討ち入り
目指すは上野介ただ一人でござる
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001 2010/01/30(土) 14:32:53 ID:Iw.u.Hk65w
武士の意気地、一にかかって今暁の働きにあり。
いざ取りかかれい
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002 2010/01/30(土) 16:02:30 ID:kxsmb5/YlA
平和で格式ばった江戸時代だからこんなことになったんだろう。
戦国時代ならよくある話だよな。
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003 2010/01/30(土) 22:51:08 ID:Iw.u.Hk65w
本日森村誠一氏の「忠臣蔵」を討ち入り日に合わせて
単行本下巻の討ち入り箇所を読みました(史実と異なる部分もありましたが)
忠臣蔵はなんとなく知っていたのですがドラマ、映画など見たことも無く
このたび初めて読んでグッと心に響くものがありました
時代を問わずこの話は日本人に受けるんでしょうね
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004 2010/01/31(日) 09:20:40 ID:vl9EybNg1c
やれば死がまっている
考える時間いくらでもあたえられたのに
それでも決行した47人はすごい。
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005 2010/01/31(日) 11:50:36 ID:HRWBDafYqI:au
馬鹿だね〜泉岳寺の主君の墓前で全員切腹なら『美談』だが、敢えてしなかったろ。有力大名が仕官の面倒をみてくれるとの『打算』があったんだよ。
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006 2010/01/31(日) 12:42:03 ID:AHZ1Rd6YFQ:au
007 2010/02/02(火) 16:16:17 ID:02fXDd/he.
御恩の代償として奉公があるのだから、この契約が破綻したら、殿様に
忠義を尽くす必要はないというドライな考えがあった。同じことは
幕末にもみられ、慶喜の謹慎に従わず、自由に東北を移動し転戦した
侍が大勢いた。
赤穂の場合も殿様がいなくなって契約が破綻したのであるから、仕官し
直せばよかったのだが、江戸詰の家臣はそれがかなわず窮乏し餓死寸前。
同じ死ぬなら、世間の腰抜け侍の悪評を払い、武士らしく体裁を繕う必要
があった。赤穂なら城に立てこもって一戦を交えることもできたが、江戸では
これしかなかった。
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008 2010/02/02(火) 22:43:04 ID:dDJEuAJRPU
純粋に主君の仇討ちのみを考えていたって志士たちは
どれくらいいたのだろうか・・・
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009 2010/02/03(水) 09:07:17 ID:rJr00EMSjQ
010 2010/02/03(水) 18:05:18 ID:.oPXzhuFEI
>>5 みたいな奴が吉良だったんだろう
そら堪忍袋も切れてぶち殺したくもなるわな
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011 2010/02/04(木) 12:48:09 ID:JoQlQ2od0.
大石主税を討ち入り前に仏門に入れていたらどうなったろうかなあ。
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012 2010/02/06(土) 12:58:07 ID:3Dfuwm0Wz.
完全に悪者になってしまっているけど
吉良って実は善政してたんだろう?
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013 2010/02/06(土) 14:41:06 ID:BGjISy8lJ6
>>11 部下達も上司に習って仏門に入り、やがて僧兵として挙兵、討ち入った。
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014 2010/02/06(土) 14:52:43 ID:Ymz5aN4NM2
幕府によるお家断絶は何件もあったが、ここまで極端な行動に出たのは赤穂浪士だけでしょ。
赤穂藩には何か特殊な背景とか思想とかがあったのか?
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015 2010/02/06(土) 15:36:50 ID:bB1BdIOW3A
一か八かの破れかぶれ作戦だろ。
現代の日本人にさえ理解しづらいもんね。
忠臣蔵だけは日本びいきの外国人にも理解不能らしい。
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016 2010/02/06(土) 16:03:23 ID:am8QZdvgpg
広島の浅野家が本家だし、浅野の分家にまで赤穂などを与えておきたくなかった。
浅野氏は豊臣秀吉の妻の実家だし、徳川にとって後ろめたい存在だったから
なんとか勢力を減らしたかった。
そんな陰謀が裏にあったら面白いな。
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017 2010/02/06(土) 17:32:20 ID:5dHZz3u3oY
赤穂城は水がない。兵糧攻めされると簡単に落ちちゃう。
籠城なんて机上の空論。かぶきものが集まって討ち入りだと思う。
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018 2010/02/08(月) 19:56:11 ID:Ro2dHxAclQ
当時の医療レベルじゃちょっと深手になれば死んじゃうじゃね?でも浅野は年老いた吉良に
2度切りつけたのにしばらく寝てれば治る程度の傷しか与えられなかったんだよな。
よっぽど腰が引けた状態で切りつけたんだろうな。
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019 2010/02/08(月) 20:33:20 ID:7zf21ayPYE
>>18 >よっぽど腰が引けた状態で切りつけたんだろうな
君が切りつけても無理だったと思うよw
致命傷を負わすには切るよりも突く事だと知らないんだもんねw
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020 2010/02/08(月) 21:26:22 ID:5lL3kps47I
>>18 逆上したものの刀抜いた時に一瞬われにかえったんだろう
自身は切腹お家断絶が脳裏に駆け巡り 頭の中真っ白になりふらふらの状態で切りつけたんだろう
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021 2010/02/08(月) 21:51:37 ID:7zf21ayPYE
>>20 >逆上したものの刀抜いた時に一瞬われにかえったんだろう
殺意を持っていきなり切りかかったんだよ?
切腹とかお家断絶なんか頭から吹っ飛んでいたはずだ。
逆上したまま切りつけてしまい、冷静に組み伏せて殺せなかったんだろう。
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022 2010/02/09(火) 01:39:47 ID:jV2o2UoQPg
城内で斬りかかるなんてありえないことだよなw
だから「吉良は相当酷いことをしたに違いない」ってことにされてるんだろうけど
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023 2010/02/09(火) 02:39:11 ID:Aj03FqO2M6
024 2010/02/10(水) 17:27:04 ID:1l2dRikxgY
>>10 吉央公は名君だ。
大石良雄以下も行いは武士としては間違っていない。
ただ、主君が病気持ち長矩だったのが残念だったんだ。
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025 2010/02/13(土) 21:10:24 ID:8ikq5bbxDU
赤穂浪士の前に2件あるね。
1628年、豊島明重が江戸城内で老中・井上主計守(横須賀城主)を殺害
1684年、若年寄・稲葉石見守が大老・堀田筑前守(山形城主)を殺害した事件。
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