従軍慰安婦の証拠は?


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042 2021/05/18(火) 08:12:26 ID:cYzLdvR2v2
>>41
このような類似は、古来、傀儡師、方術師、吟遊詩人、旅芸人、坐女、白拍子、魔法使い、方術師、香具師、幻人、博徒、踊り子、道士、勧進聖などが、
半島から日本へ漂泊民として流入したからだとする説(杉山二郎など)もあるが、根拠薄弱である。

むろん、農民などとは異なり、土地に根付かぬ漂泊民は海を越えても流入しやすい人々ではある。
弥生時代や古墳時代には海を渡るが、それ以降は使節や帰化人としての正式な渡来以外では海峡を渡らぬという理由もない。
国境警備が万全で、漂流民は必ずや政府に通知されて処理されたなどという体制もない。
正式使節に関しては、遭難などすれば逆に通報を望まれ、中央政府へと諮問されたのであり、
そのエピソードの一つでは、16世紀、朝鮮半島の釜山漁師町出身の通信使が、対馬に漂着し、漁師達が会話する方言と自分の故郷の方言と似ていたから
意思疎通を図れたというものがある。
朝鮮南部の旧い言語が、対馬の言語と似ていたのではなく、海人・倭人の拠点としての半島南部の性格を示すものと捉えるべきであろう。
中世、元寇以前にも海運技術の発達とともに半島との人流は活発化し、任那日本府喪失後も日本館が拠点として釜山にあり、
これを元寇が損じたことが倭寇の始まりとも言われる。倭寇を収めたのも倭館の設置であった。
いくらでも出入りは可能であったわけである。
社会から若干浮いた芸能やら異色文化的な習俗が国境を越えて浮動しやすいことに鑑みれば、内部自然発生・発達だけにこだわれるものではない。

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