後藤又兵衛の最期を記す史料発見


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005 2016/11/28(月) 22:13:17 ID:v2P94ZD1V.
>>4
しかし、一説には大阪方の敗戦の後は、放浪の旅で西下し、縁故のあるこの地へ落ちのび、
隠棲の中で豊臣家再興を期していましたが、風の便りに豊臣家廃嫡の不運を知り、遂に自刃したと伝えられています。

しばらく時が過ぎて村人は、この自刃した武士が後藤又兵衛であったことを知り、墓を立てましたが、
後に、伊福茂助が昔の墓の荒廃を見かねて建てかえたのが宝暦13年(1763年)でした。

墓には「義刃智光居士」と書いてあります。碑文は「居士俗名を又兵衛と云う何処の人なるかを知らず。
往昔この邑に寓居すること3年志気に英で武徳俊高にして眼光人を射る。憶に諸侯丈夫に逆うての謫居するものか
承応3年(1654年)正月29日夜剣刃にて自殺す時往き歳久しく石碑欠落す。よってここに里人古を慕いて新に石碑を建て
冥福に資するものなり」とあり、後藤又兵衛とは、はっきり書いていませんが、世は徳川時代で幕府に遠慮してのことであったと思われます。
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2013100900062...

落ち武者伝説のようですね

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