浄土真宗の歴史


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001 2019/05/11(土) 16:47:56 ID:fhL3mT8FF6
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270年-1351年)は、三代伝持等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。
こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺七世の了源(1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。

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023 2023/12/19(火) 13:57:57 ID:LhDnTxFW12
>>22
「なんにもしん」しゅう(真宗)と揶揄?される教義や戒律のゆるさが理由だと推測
じゃあ曹洞宗も人気(寺が多い≒信徒が多い)だけどそれは?と言われると答えに窮するんだけど

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