ヤマタノオロチ伝説の正体


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001 2010/04/17(土) 11:06:03 ID:wfYCVYbHKU
ヤマタノオロチってなんなの?
水害説とかよく聞きますけど、川の氾濫なんてよくあるはなし、あれだけ大きく扱われるもんかね?
国譲り神話的な退治話しとは違うんですかねえ?
ご意見求む

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051 2011/03/20(日) 13:01:20 ID:g99COQw6J2
>>50
みんなの話が聞こえるんですねw

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052 2011/03/20(日) 15:13:46 ID:rmvJ.8gQEs
みんな詳しいなあ

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053 2011/03/23(水) 09:14:22 ID:82aAujdRVs
一説にはオロチ族(オロチョンだかオロだか朝鮮語と共通するという見解もあったような)
という朝鮮渡来の先住土着部族の事で製鉄技術と鉄器による武力で勢力を持っていたというのもあるな
倒したとき切り刻んだ尻尾から草薙の剣を手に入れたというのがその象徴とも。
またその時スサノオの振るっていたトツカの剣の刃が欠けて気づいたというのは
倒したスサノオ一族に鉄が普及しきってなかったのかもしれない、
だからこそだまし討ちをする必要があった、と

色々説はあってこれもどこまでかってのはあやしいが
記紀(日本書紀とか)でだけヤマタのオロチの話があり
国づくりの神話とここだけお伽話じみてるのは
その当時日本書紀を書いた時に権力にいた勢力や氏族にとって
本当の事を書けないか、そのままかくと都合が悪いから
あえてお伽話にしてごまかしたという意見もあるね。

基本的に日本書紀などの記紀は当時の権力にいた勢力が自分の勢力を正当化するため
に書かれたものであり歴史的事実を含んでいてもかなりの歪曲が含まれている、
という意見があってここだけはかなり納得。
天皇家にも色々流れがあるし、なにより物部氏、蘇我氏、藤原氏と
それぞれ系譜の違う覇権氏族があったからその勢力争いと正当化があったと見える
日本書紀を作ったのは藤原一族が権力握った時だから藤原にとっての正当化で
それ以前の物部や蘇我系統の王朝の否定で歪曲されてる気がする。
しかも当時に残ってた物部氏等の古くらかの伝承書物を強制的に没収して焼いてるらしい

例えば、藤原一族の祖中臣鎌足朝鮮出身という話もあるしもしかしたら
オロチ一族と関係があってお伽話にするしかなかったとか・・
まぁオロチ一族の子孫がその当時影響力が残ってたとか、
単純に話が古くて風化によりお伽話化したとか色々考えられるけどね

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054 2011/03/23(水) 09:23:42 ID:82aAujdRVs
せめて一回位推敲すべきだった・・

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055 2011/03/24(木) 06:12:14 ID:ZV1261uIe2
>>53
>祖中臣鎌足朝鮮出身という話

百済最後の王子「扶余豊璋」じゃないかっていう説かな。

書紀は乙巳の変により曽我氏から大化改新の手柄を横取りした藤原氏の正当化が目的で、
その一環として、不比等の後見である持統天皇の女帝という不安定な地位を磐石にする為、
皇祖である太陽神を男神から天照大神という女神に書き換えたって説もある。

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056 2011/11/15(火) 21:43:10 ID:9Q0EaRCTUw
>>1
個人な意見で言うと、「ヤマタノオロチ」で象徴される山賊一族がいて、
その討伐と言う印象がありますね。

ただ、素戔嗚尊が策略でしか倒せないところを見ると、単なる山賊と言うよりは
山に棲む部族・一族という一大勢力かな。

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057 2011/11/16(水) 12:03:35 ID:DDmh0bzWio
過去レス読んでないけど、「越の八口」説はもう出た?

当時ヤマト王権と敵対していた
越国の八口(地名)を制圧したのがモチーフという。

出雲系のスサノオが絡んでるということは、
ヤマト国が出雲と共同あるいは従属させて越を破ったということになる。
実際旧越国の福井県に「九頭竜」という地名があるのもおもしろい。

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058 2011/12/10(土) 02:18:00 ID:efYuLRu5Fw
九頭竜神社に関しては・・・

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059 2011/12/15(木) 23:29:48 ID:HFsV/cSgbs:au
戸隠山の九頭竜は頭が九つで尾はひとつ。

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060 2013/01/31(木) 23:57:17 ID:ovk8aM5WSM
古事記は神々の生い立ちと、日本の国ができた由来は書いてあるが、
「人間」がいつ、どうやって生まれたのかの記述はない。不思議だ。
人間は突然、出てくる。
八岐大蛇の生贄になる娘親子のことも、
人間なのか神の一員なのかよくわからない。

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061 2013/05/26(日) 13:27:02 ID:e61ql65YRM
>>60
神すら湧いて出て来るんだから、人間の如き些末な生物が雲霞の如く湧いていて何の不思議も無いと思うが。

>八岐大蛇の生贄になる娘親子のことも、
>人間なのか神の一員なのかよくわからない。

国つ神と名乗っている。

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062 2014/12/06(土) 20:48:07 ID:4MOy/uKxn6
土蜘蛛とかと一緒。縄文人の集団の事。

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063 2014/12/07(日) 16:06:01 ID:NYLUEG6ZSo
ヤマタノオロチは大物主
ヤチホコ
一夫多妻というよりファルス崇拝(蛇)

オロチと猿田彦の描写も似たり ホオズキのように赤い大きな目
ヤチマタ
天狗のモデルでやはりファルス崇拝(高木神)
同系のプレヤマト文化圏の支配層
猿田彦はうずめの色仕掛けに寝返ってニニギを手引きしたので謀殺された
プレヤマトにとっては裏切り者

両者の祀られ方も符合している。

まずは大神神社

崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、
従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。
崇神天皇7年2月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。
11月、大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし
(これは現在の大神神社に相当し、三輪山を御神体としている)、
市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、
疫病は終息し、五穀豊穣となる。

つぎに伊勢神宮

天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動した。
垂仁天皇25年3月、天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す(元伊勢伝承)。
垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。土地を提供したのは猿田彦の子孫である「大田命」。


どちらも皇居から出されて彷徨い、どちらにも「倭」姫が出てきて、子孫だとされる「大田」が祀り役。
伊勢は猿田彦じゃないって?伊勢伊賀松坂一帯が猿田彦の支配域
謀殺された場所は阿射加神社ではなく、二見ヶ浦の二見興玉神社(これは推測)
ここは伊勢神宮内宮の鬼門であり、外宮と二等辺三角形を形成する頂点に位置する
鬼門に猿は裏鬼門などではなく、発祥は猿田彦だったのだ

大物主が鎮座する飛鳥の地に猿田彦は入れない
大物主が先に祭神となった日吉神社にも入れない(神猿として使い走りがせいぜい)
秀吉は猿田彦にあやかって日吉丸、して比叡山を再興する
尾張はオロチの「尾を割」った先から出た草薙の剣を納める熱田神宮があり

万葉歌人はホオズキの赤い実を忌避した

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064 2014/12/07(日) 17:34:57 ID:mcl3aiC2tw
>>63
パッパッと言っているだけだけど、けっこう面白いね。

答えてくれるなら聞きたいんだけど、最初の主張「ヤマタノオロチは大物主」なら、
何故それがヤマトの中心地でも最高の聖地とされる三輪山で祀られしかも現在まで
廃れる事無く崇拝されているのだろうか?

「プレヤマトにとっては裏切り者」なんですよね?
そこらへんの整合性はどうお考えですか?

(疫病を祟りとして恐れたから祀っていると言っても、いくらなんでも祀り上げすぎでは?
それだけで説明がつくものなのか?という疑問)

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065 2014/12/07(日) 19:17:09 ID:NYLUEG6ZSo
プレヤマトの裏切者は猿田彦だよ

天皇は神じゃなかったんだよ
記紀が出雲神話だらけなのは当たり前なのさ
天皇神格化は明治にならないと無理だった
せめて皇祖の神格化をして来ればよかったのにしなかった
神話時代から、シフトしてながらく古墳時代が挟まっていたろう?
古墳は中国風味の大王崇拝で全国に流行らせることができたけど
神を生産できるものではなかったんだ
現世支配の服属認証だからね
何だこの墓は・・・てなもんだよ、庶民には
だから古墳の由来にもホトをついて死すなんて嫌味がささやかれていたんだと思うよ
前方後円墳は「ホト」だし、版築技法で築造されるからね
ホトを突いて墓(死者)ということ

古墳時代が終わるきっかけが唐の滅亡と白村江の敗戦
支配体制が動揺し、埋め合わせが仏教と天皇の神格化
あわてて中国に引けを取らない条坊制と伊勢神宮が生まれた
伊勢神宮に明治時代になるまで天皇家は参拝していないだろ
猿田彦=大物主にとっての売国奴が居座っているからさ
加えてパワーがない
古墳にかまけていたから古墳以前の神しか日本にはいない
中国の威を借りて鏡で脅し、古墳で豪族を従えたけれど
本古来の古代神道しか大和を統合するパワーがなかったってことだよ

プレヤマトの宗教空間は日本中いたるところに蔓延しており、それは21世紀の今でもそうだ
大神神社がどうこうではなく、照葉樹林温帯モンスーンの日本の気候風土に奥深く根ざした風土から立ち上る信仰だ
あるいは何度規制してぶっ壊しても再生し、新しく生まれても来る縄文スピリットやファルス信仰としての元型(アーキタイプ)を我々が持っていることにある

明治政府は国家統合のための天皇を神格化に本格的に成功した
これによって伊勢神宮は全国の自社のトップに躍り出て完全に他を圧し、天皇が参拝でるようになったけど、庶民の間では江戸時代ほどの熱狂は去り、廃れたんだ

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066 2014/12/07(日) 22:40:21 ID:NYLUEG6ZSo
大物主は大国主
杵築大社(出雲大社)だけでは足りずに祟る国津神
(杵撞きですよ杵撞き・・・大黒が手にしているのは小槌、大黒天の置物は後姿がペニス)
杵と臼
石棒と擂鉢
諏訪大社の御柱

ドメスティックな神製造装置しか持たない大和は、祟り神の鎮魂パワー以外に宗教的パワーの源泉を手にできなかった

後は輸入品だ(鏡、古墳、仏教)

出雲大社と大神神社で成功したと思った大和政権は、これを引っ張り出して祟り神の資格のある猿田彦を援軍に伊勢神宮を建設

だが、結局は天照、豊受、ウズメの三女神に猿田彦を押し付けて国体護持・・・ありえない
やる気あんのかと

蘇我氏を滅ぼし、やがて藤原氏の天下
蘇我氏は武内宿祢の流れ

武内宿祢の正体は・・・

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067 2014/12/23(火) 16:54:35 ID:6p3BvJmYsU
山口県光市には三輪神社があり、正対して猿田彦大神の御神体石が「塩田」という場所に鎮座している。大和町なる地名もある。のみならず石城山の北側のふもとの地名は伊賀である。何か関係でもあるのであろうか?

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068 2014/12/24(水) 08:50:15 ID:Ge.zlxzXu6
>>66
>大物主は大国主

これが、大和が勝手にまとめただけの「嘘」なんだけどね・・・

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069 2014/12/24(水) 20:29:28 ID:C61EfFxcc2
こういう伝説を読むたびに思うんだけどさ、
科学というものが存在しない時代ゆえの想像力ってのは興味深いね。

今だと自然災害や人災をやっぱり怪獣に例えて映画とかになってるわけで、
人間の想像力とやってる事は今も昔も大して変わっていないのかもね。

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070 2014/12/24(水) 23:54:08 ID:j3aIYx69nA
大物主は持ち物が大きかったので大物主
道鏡みたいなもんだと思ったら大間違い
大きいのは心の御柱だ
大国主は大黒天が入っているんだろ
まとめがまとめまいが、その時代の「事実」に照らす可能性もなく、
よくわかりようのない捏造テキストなので、テキストの裏を読むしかない
捏造テキストの字面の裏にあるのは「意味」
南京大虐殺という捏造の裏にあるものは構造的にわかるでしょ
同じこと
利用できるのは考古学と歴史の大局観
後は推理
意味から事実に接近するのだ

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