王仁博士


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001 2010/06/19(土) 18:51:46 ID:DebaprLk8o
日本に漢字字典を伝えたとされる王仁
朝鮮のひとらがホルホルしてるみたいっすが、これ普通に中国人っしょ?
当時の百済や新羅人の名前は日中の史書に多く残るが、こんな中国人風の名前じゃないし。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/11/01/0400000000...

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002 2010/06/19(土) 20:39:55 ID:SICohV8lj.
王(wang)姓を統一新羅以前に半島人が名乗っていたとは考えにくいから
普通に漢人だろうね。

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003 2010/06/19(土) 23:57:07 ID:T9rl/VWMv6
秦氏や漢氏は中国皇帝の末裔って
いわれてるけど、実際は半島から来た
渡来人なんだよね

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004 2010/06/20(日) 01:21:10 ID:9PaSnXIrbk
「半島経由で来た」と
「半島出身者が来た」を意図的か単にバカだかしらんが
混同する在日くん

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005 2010/06/20(日) 02:18:59 ID:iHu/zuPwoU
朝鮮書店で「王先生の中国拳法講座」を買うと
書店店主・朴李から、中国拳法を習った事になってしまう不思議。

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006 2010/06/20(日) 02:56:52 ID:odi2wD3Y1I:au
高校の英語の先生が「和仁(わに)」という苗字だった。
何か関係あるのかな?

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007 2010/06/20(日) 05:55:40 ID:9PaSnXIrbk
「続日本紀」には、王仁について
漢高帝の末裔にあたる名門の出で、楽浪郡にいたが、
313年、高句麗に滅ぼされたときに、百済に亡命し、
その後、日本に来たことを王仁の一族の言として記しているね

実在かどうかってはなしはあるにせよ(俺は実在を否定する理由は無いと思う。意外と日本書紀などは正確に物事を記録しようとしてる)
王仁は普通に中国人だろうと思うよ。

漢字の専門家の漢字教師なんだぜ?普通中国人だろ。
現代に例えるなら、「韓国人の中国語の先生」という特殊例を無理矢理作り出すのは無理あるだろ?
実際名前の特徴からも、続日本紀ではモロに中国人ってなってんだから、これを否定する根拠無いなら朝鮮人とするのは無茶ってもの。

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008 2010/06/20(日) 11:02:27 ID:dfXGhKEPcA
>>6
王仁とは全く関係ないよ。
大和の古代豪族である和珥氏の子孫かその所有民ってところじゃないかな?
かなり古い苗字で、一時は大和王権に匹敵するほどの勢力を持ってたと聞いたことがある。

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009 2010/06/20(日) 11:41:44 ID:9PaSnXIrbk
>>8
>一時は大和王権に匹敵するほどの勢力を持ってたと聞いたことがある

どこで!!!!w

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010 2010/06/20(日) 12:23:05 ID:dfXGhKEPcA
>>9
大和の豪族だから大和だろう。

応神天皇以来、外戚となって影響力があった氏族で春日氏、大宅氏、粟田氏、小野氏、大坂氏、柿本氏に分かれたんだから
最盛期は3世紀くらいかなぁ。

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011 2010/06/20(日) 15:03:47 ID:z24UuB7j/.
>>10
ちがうちがう!
「聞いたことがある」つーから「どこでそんなトンデモなヨタを!?」とコケにしてる。

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012 2010/06/20(日) 16:37:28 ID:dfXGhKEPcA
>>11
応神天皇以前の大和の王はそこまで力を持っていたとは思えない
だからこそ在地の有力豪族達の合議制によって大和王権が動かされてきた。
そこまでヨタ話とも思えないから、>>9さんの意見を聞いてみたい

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013 2010/06/22(火) 05:26:43 ID:MgRxqwYbSI
卑弥呼の遺跡の可能性が強まってる纒向遺跡の発掘で、最近、大規模な建造物跡なんかが出てきて
構造が、大和朝廷時代に通じる配置・構造で、これが邪馬台国かはさておき
この奈良・桜井周辺の纒向遺跡が大和朝廷に連なるものであることははっきりしたといってよい。
平城京だなんだといったような、左右対象の構造になっている。但し、平城京などが中国思想を取り入れ南北に正中線を置くのに対し、東西(つまり太陽の運行方向)に正中線を置くのが特徴。
しかし構造上、これが大和朝廷に連なる遺構であると判断できるものになっている。

となると、卑弥呼や壱与が天皇位のプロトタイプということになってくる。
これは王様というより、部族合議社会において、祭祀を司る神への生贄として擁立されるような存在。壱与なんてまだ幼い少女ですからね。
本来の天皇位というのはこのような部族らの、神と対話する代表者として各部族から輩出されるようなものだったのだろう。
それが強い勢力を持つ部族が独占するようになっていき、実力上の王位と祭祀長が兼務されるようになっていって政教一致の天皇位となっていった。

部族の合議社会という政治構造は、疑う人は少ないんじゃないか。
しかし「和珥氏は一時は大和王権に匹敵するほどの勢力を持ってた」とか言われると「はぁ?」と思う。なんの証拠があってそんなことを!

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014 2010/07/21(水) 01:19:10 ID:qSd7WDaK1Q
在日は歴史にうとすぎる
要するにバカばっかり
学が無い

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015 2010/07/21(水) 01:51:50 ID:JTelrsC9UQ
おうじんはかせ

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016 2010/07/26(月) 11:43:22 ID:WKOcc9CYZ6
博士というとロボット作ったりする人を
思う浮かべる

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017 2010/07/26(月) 19:14:48 ID:Eabhd5r2nI
すまん、関係ない話をするかもしれんが
古代においては大王(?)の統治は合議制であったり
一つの部族だけでなく入れ替わりながら大王(?)は決まっていたと聞いたんだけど
いつの天皇の時代までそうだったのかな?
崇神?応神?

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018 2010/07/27(火) 16:36:10 ID:6mKmSrSYaY
そもそも百済人と現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは同じ民族なのかい?

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