商戦戦記を読むと、国力やシーレーン防衛の概念の差はあれ
別に米は週刊空母でもなかったようだし、ミッドウェーまでは
流れが分からない部分もあったようだけど…
後世から言えるとはいえ、けっきょく
「一発ぶん殴って有利なうちに第三者の仲介で休戦できれば…」
という他力本願的な希望的観測で始めた点で、そもそも無理
あったのかも。
もっとも、単に軍が悪かったで終わる話でもなく
・1920年代の米での排日移民法によって、行き場をなくした
日本の貧困層の大陸進出が加速したこと。
・石油や屑鉄の対日禁輸。
・共産主義への恐怖心。
・抗日ゲリラによる日本の民間人への無差別攻撃と泥沼化。
・その他、国内はテロが吹き荒れ、元老制度の疲弊や統帥権
問題が政争の具にされてゴタゴタ。国際情勢もゴタゴタ…。
いろいろ重なって、なるべくして開戦に至った感もあるけども。
山本五十六の発言や昭和天皇が永野修身や杉山元に勝算について
厳しいツッコミを入れてたのを見ると、当時の人も厳しさは認識
していたようだし、それでも決断したのを思うと
開戦しなくてもジリ貧で植民地化される可能性も強かったのかな…。
優秀な学生が多数死亡したのは日本にとって損失だったと思うけど
後の時代から言えることだしなあ…。
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