>>40  刀は接近戦専用という用途の狭い武器ではない。遠くからの抜刀突撃も多い。   
 柳成竜『懲䑛録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)  
 ・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて  
 大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、  
 みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。    
 ・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら  
 突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。  
 打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。    
 ・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、  
 みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。  
  (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。    
 ・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、  
 四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、  
 仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、  
 ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように  
 斬り倒し、死者は数しれなかった。    
 ・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、  
 ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、  
 その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと  
 衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、  
 敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。    
 ・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、  
 やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が  
 明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
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