豊臣秀吉


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001 2011/04/15(金) 16:43:49 ID:DHCSJFjwLY
底辺から頂点へ登りつめた男。
天才は運命を選ばない、或いは、運命が天才を作ったか。
アウトサイダーならではの求心力とカテゴリを選ばない発想力。
戦国の覇者にして救国の現人神。
権力に執着したのとは対照的に、体制作りにはまったく興味を示さなかった一世一代の遊び人。
俺の眼の黒いうちは俺が神、死ねばその屍をこえてゆけ、そんなフェアな哲学すら感じさせる。
未成年に実施する暗記問題の点数が生涯を決定付けるこんな時代
その弊害がいよいよ露骨に露呈しだした今だからこそ、秀吉という苦労人の生涯を皆でおさらいしましょう。

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002 2011/04/15(金) 16:58:39 ID:7wFUjpIv1s
NHKドラマの作為で、イメージが「小汚い下品なおっさん」に貶められている。

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003 2011/04/15(金) 17:22:19 ID:DHCSJFjwLY
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004 2011/04/15(金) 22:02:15 ID:9AIjZoN0mw
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005 2011/04/15(金) 22:40:15 ID:oh2kJy87Hg
晩年はボケ老人だったけどね

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006 2011/04/15(金) 23:14:08 ID:SMgD7D84hk
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007 2011/04/15(金) 23:47:13 ID:/f5fL.5F9s
>体制作りにはまったく興味を示さなかった

そんなことはないだろ

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008 2011/04/16(土) 00:00:35 ID:1qbbZwxWig
>>5
>>6
ボケたという証拠は一切ない!!
そんな文献は一つもない!!

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009 2011/04/16(土) 01:33:50 ID:ZesF3jzC9.
要らない人

信長→家康で十分

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010 2011/04/16(土) 07:01:19 ID:xDZ9yiJuCA
大阪に拠点を置いた反徳川だから、未だに叩かれる。

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011 2011/04/16(土) 08:18:28 ID:21QLkfP3JI
天下をとるまでは偉人なんだけどねぇ

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012 2011/04/16(土) 10:38:19 ID:gtPlNsnxqI
聖徳太子にも匹敵する日本屈指の偉人なのに
今年の大河でのあの扱いは何だ

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013 2011/04/16(土) 13:16:09 ID:NKBnEz2Bvs
いくら有能でもただの小汚い下品なおっさんが
あの時代に底辺から関白まで成り上がれるわけないだろ。
カリスマだよ。圧倒的なカリスマがあったんだよ。

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014 2011/04/16(土) 13:16:44 ID:xDZ9yiJuCA
諸悪の根源は、NHKの大河ドラマの演出にあるね。
NHKが作り上げた姑息で下品で無知蒙昧なオッサンが、
多くの名将の信頼を得て天下統一など出来るはずが無い。

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015 2011/04/17(日) 00:13:38 ID:yoOqmq3fZk
>>8
「認知症」だと言ってるわけでない。ただ天下統一するまでは人心掌握も優れていたが
晩年は諸大名を引きつける求心力が弱まっていただろう?朝鮮征伐も西国大名を疲弊させ
徳川をはじめ東国大名は体力を温存できた。また朝鮮征伐は豊臣家での武断派と文治派との
派閥抗争を激化させてる。我が子可愛さで甥っ子の妻子まで皆殺しにして、挙句の果てに
最大の危険人物の徳川家康に我が子の将来を託してる。天下統一までの英邁さとはかけ
はなれた老人だと思うけどね。秀吉は政治的な駆け引き上手で関白までのし上がったのに
晩年はその政治的な嗅覚が完全に潰えてる。

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016 2011/04/17(日) 00:40:26 ID:T70N8KQ2Fo
最大の危険人物だからこそだろ?

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017 2011/04/17(日) 01:46:05 ID:FP7X9DnRCQ
>>18

>朝鮮征伐も西国大名を疲弊させ徳川をはじめ東国大名は体力を温存できた
>また朝鮮征伐は豊臣家での武断派と文治派との派閥抗争を激化させてる

ここは完全に結果論だね。最悪のタイミングで秀吉が死んだだけで
東国大名も秀吉の本隊と同時に渡航する予定だった
二行目に関しても、秀吉自身が渡航すれば収まっていた事は明白

>最大の危険人物の徳川家康に我が子の将来を託してる

ここについては秀吉自身が完全に豊政権の存続を諦めていたんだろう
諦めながらも、我が子の行く末を案じ泣いて縋るより他になかった

とは言え、晩年の秀吉の知恵に翳りが見え始めていたのは事実だと思う

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018 2011/04/17(日) 01:47:33 ID:FP7X9DnRCQ
>>17
アンカーミス

>>18×
>>15

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019 2011/04/17(日) 04:35:06 ID:/iyl3uc7wo
太閤殿下は偉大です

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020 2011/04/17(日) 13:19:33 ID:yoOqmq3fZk
>>17
>ここは完全に結果論だね。最悪のタイミングで秀吉が死んだだけで
つまり秀吉が死ねば豊臣家がつぶれる事を理解しないまま漫然と朝鮮征伐なんて思い付いた
のがおかしいのだろ?天下統一までは取り潰した敵の領土を分け与える事で臣従する者を
満足させるだけで良かった。だが天下統一した後分け与える領土がなくなったので大陸に
目を向けたのだろう?そこが間違いだ。豊臣家が秀吉亡き後でも成立する政治機構を
構築すべきだった。五大老五奉行は豊臣家内での話で武家社会の統治機構ではない。幕府は
無理とわかっていたにせよそれに代わる武家の統治機構を整備する方が良かったはず。

また朝鮮征伐をするなら先ず東国、とりわけ徳川の財力兵力を減らすべく画策するべきだ
ろう?西国の方が近いので脅威を感じていたのかも知れないが…。

>ここについては秀吉自身が完全に豊政権の存続を諦めていたんだろう
>諦めながらも、我が子の行く末を案じ泣いて縋るより他になかった
豊臣政権の存続を諦めていたならなんで朝鮮征伐なんてしてるの?矛盾してるだろうw
本気で諦めていたなら豊臣家の安泰の為の方策を考えるべきだろ?それもよりによって
徳川家康に秀頼の後見人の大義名分を与えるような形をとったのは間違い。まぁ信頼すべき
有力大名がいなかったのだろうけど。

晩年には天下取りに奔走した秀吉像とは違うただの思いつきで行動する老人像が相応しい。

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021 2011/04/17(日) 16:39:43 ID:FP7X9DnRCQ
>>20
君はあくまでも国内の権力争いで思考停止している様だけど
朝鮮征伐はヨーロッパ列強に対する牽制の色が強い
それは、秀吉がマニラ総督に宛てた書状や、キリシタンの弾圧など
残された史料で如実に窺い知る事が出来る
秀吉があと十年長生きしていれば、秀吉のマニラ上陸も夢ではなかったし
秀吉は本気でそうする気だったんだろう

>また朝鮮征伐をするなら先ず東国、とりわけ徳川の財力兵力を減らすべく画策するべきだろう?
>西国の方が近いので脅威を感じていたのかも知れないが…。

一々反論するのもめんどいけど、豊政権下においては
戦場に近い大名が真っ先に動員される事になっていたのよ
例えば、小田原討伐の時はすでに朝鮮遠征が決まっていた事もあり
西国の大名は動員を免除されている
あと上にも書いたが、徳川などの大名も明軍との決戦要員として
秀吉と一緒に渡航する予定だった。
君が主張する東国大名の兵力を削ぐ事も、秀吉があと少し長生きしていれば可能だったわけだ
繰り返すが、最悪のタイミングで秀吉が死んだだけだよ

>豊臣家の安泰の為の方策

国内統治に勤めれば多少の延命は可能だったろうが、どの道滅んでいただろう

秀吉に実子が十何人もいて、
秀吉の晩年に成人している跡継ぎがいれば
秀吉も豊政権の存続を第一に考えただろうがあの状況じゃ難しい
秀頼は幼児、秀長が死んで、頼みの利家も老体、三成には人望がない、豊家の直轄領が少なすぎる
政権の存続は四面楚歌と言っていい状況だろう
賢明な秀吉がその事に気付かなかったとは思えない

そして、その秀吉の心境は辞世の句に良く表れている

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

一応補足しておくけど、浪速(大阪の意)のこととは、
大阪を本拠地とする豊政権のこと
秀吉はこのタイミングで自分が死ねば、
豊政権は滅亡すると確信していたと思うよ

日本史上、空前絶後の足跡を残した男が
我が子可愛さのあまりに、絶対に無理だと悟りながら
家臣に泣いて縋った気持ちを思うとなぁ・・・

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022 2011/04/17(日) 20:03:18 ID:rejwvkHaH2
まぁ、秀吉はんは、国内だけにとらわれるような
平凡な人物ではなかったということだろうと・・・
信長と似ていて、凡人では考えられない壮大なことを
考えていたんだと思うな。
家康は堅実ではあるが、国外のことまでは
考えることができなかったんだろうと思う・・・
どっちがどうと言うつもりはないが、
海外に遠征した秀吉が晩年、そのスケールの大きさの
せいでボケていたと言われるのは、悲しいね・・・

徳川政権はその後、鎖国を引いたわけだが、
一部の学者によれば、それが、欧米から遅れを
とる原因になったという考え方もある・・

なのに、秀吉はボケで、家康は賢明だったっておかしいでしょ・・

もしの仮定の話をするなら、豊臣政権だったら国際貿易が
盛んに行われていたかもしれんからね・・・

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023 2011/04/17(日) 20:58:20 ID:9BQE/hob12
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024 2011/04/17(日) 21:01:33 ID:FP7X9DnRCQ
>>22
いや、家康も外交してる事はしてるのよ
秀吉と同じくマニラ総督に書状(秀吉とは違い友好的な文面で)を送って
通商条約を結んでいる(スペインとの国交は十数年で断絶)が、
貿易による利益の独占と布教活動を掣肘する為に
諸藩による対外貿易を禁じ、貿易を制限していただけで鎖国はしていない
イングランドと断絶したり、ポルトガルの使者をたたっ斬ったりと
紆余曲折はありながらも、限られた場所限定だが外国船は普通に来航していた
(西国の大名は普通に密貿易していたし)

この鎖国はしていないという説は、すでに定説になりつつある
たまには子供の歴史の教科書読んでみると面白いと思うよ
自分が学生の頃とは武将の肖像画や歴史の解釈が少しずつ変わってるから。

ちなみに、信長や秀吉、家康がキリシタンを弾圧したのは
布教活動がヨーロッパ諸国による植民地獲得政策の一環であり尖兵だったから。

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025 2011/04/17(日) 21:09:42 ID:rejwvkHaH2
>>24
いやいや、別に家康が鎖国したとは言ってないよ・・
その後の、家光の時に成立したことは俺が学生だった
時にもそう習った・・・
ただ、どちらかと言うとそういう堅実な考え方は
家康から受け継いだろうとなんとなしに思うわけです。
でも、そう・・・家康もマニラ総督に書状を送ってたん
ですか・・・
勉強になりました・・

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026 2011/04/17(日) 21:10:34 ID:6h59JQbf2.
国際貿易盛んにしたい奴が無謀な侵略戦争始めたらダメだろ
平凡でないのは認めるが、意外と小心者だったのかもよ?
下賎身で学も無い奴が天下手に入れたんだ。
後年は何でも好きにできて舞い上がった感じだ。
色ボケのジジイで自制が効いてないし、家康の堅実さ忍耐強さと余りにも違う。

そもそも秀吉の優れたところは人垂らしといえる人間的な魅力であり
実務や個人能力は家康や信長には遠く及ばない。
快進撃も彼を支える有能な部下の存在無くては語れない。
過大評価されてるね

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027 2011/04/17(日) 21:22:30 ID:rejwvkHaH2
俺、このスレに随分書き込んでるな・・・
>>26
色ボケじじぃで自制がきいてないって・・
江戸時代の大奥はどうなのよ??
それに側室ぐらいどんな武将でもいたでしょ・・
秀吉ばかり色ボケってのは偏見だ・・・
あと、外国の領土をのっとってその貿易を支配すれば
莫大な利益になったと思うんだ・・・
関税とかさ・・・
そもそも、オランダとかポルトガルの貿易って
フィリピンとかインドネシアを支配した結果
東アジアで貿易できるわけでさ・・・
今から考えれば、利己的な帝国主義なのかもしれんが、
当時としてはそういうのはリアルな現実だったと
思うんよ。

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028 2011/04/17(日) 21:33:20 ID:1HuiWSznu.
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029 2011/04/17(日) 21:38:39 ID:1HuiWSznu.
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030 2011/04/17(日) 21:45:31 ID:rejwvkHaH2
一方で、醍醐の花見とかで、自分に従った
女性たちにも気を配って、大サービスの
ねぎらいをしてる・・・
こういうところが、人間味があって好きだね・・
太閤はんww
厳しいところは厳しいけど、気配りもできる人物だよ。

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031 2011/04/17(日) 21:51:47 ID:1HuiWSznu.
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032 2011/04/17(日) 23:49:27 ID:yoOqmq3fZk
>>20
当時の寿命から言ってあと10年も長い生きできると考えたと思うほうがどうかして
ないか?先がないと不安があれば朝鮮に攻め入るよりも国内の安定を図る方が得策だろ?
堅実な商売上手で成り上がったものが多角化経営に乗り出して失敗したようなもんだ。
それも自分は結果も見ないで死んでしもうた。そのつけで豊臣家は滅亡だろ。

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033 2011/04/17(日) 23:51:49 ID:1HuiWSznu.
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034 2011/04/18(月) 00:12:20 ID:KOO9eZY.ww
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035 2011/04/18(月) 14:19:13 ID:qa.jCGyo4s
>>32
当時の寿命についてちゃんと調べてから書こう

戦国時代の平均寿命は乳幼児の死亡率が尋常じゃなく高いので平均だと30もない
(食うや食わずの平民は栄養失調などで成人後も死亡率が高い)
でも、戦国時代の記録に残ってる歴史上の人物の平均寿命なら
若くして討ち死にしてる武将が多いながらも、平均で60ぐらいはある
言うまでもなく、平均で60あると言う事は長生きしてる人も普通にいるよ

君は史料に目を通さずにイメージだけで語っていないか?
まさか「人間五十年」とか本気で思ってるんじゃないだろうな
そもそも、敦盛の「人間五十年」は人間の寿命の事を言ってるのではないよ

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036 2011/04/18(月) 16:41:02 ID:ivh.0Tfyko:au
人参50円は野菜の相場を言っているのではない!

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037 2011/04/18(月) 18:48:21 ID:KOO9eZY.ww
平均寿命に関してはその通り。
数値バカが勘違い起こして見落とされている事実がそこ。
昔は幼児の死亡率がむちゃくちゃ高かった。
それが平均年齢を大幅に押し下げている要因となっていただけで、何事もなければ90歳まで生きる人間も普通にいた。
自然の淘汰にふるいにかけられて、真に免疫力のたかい人間だけが生きることを許されていたため、極端な実例を出せば、真冬でも褌にちゃんちゃんこ一枚で水仕事とかやってた。菜食中心の食事事情なのに。

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038 2011/04/18(月) 20:36:26 ID:kotPaj7pAo
>>35
>言うまでもなく、平均で60あると言う事は長生きしてる人も普通にいるよ
当時に統計的な平均値が一般的に認識されているとは思えないがwまぁその平均60歳
だとして、秀吉は文禄の役で55歳、慶長の役では60歳でしょ?いつお迎えが来ても
おかしくない年齢じゃないか?それで5年10年かかるかわからない朝鮮征伐って事に
なるんじゃないの?現代で言えば80直前に爺ちゃんが10年かかるような事業を始め
たようなもんじゃないのか?問題は死期が近づいた爺ちゃんがどれほどの能力が発揮
できるんでしょうね?w

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039 2011/04/18(月) 23:20:11 ID:qa.jCGyo4s
>>38
平均値を認識する必要はないだろ
秀吉の身近に長生きしてる人が少なくなかったという事だよ
秀吉の御伽衆は数百人もいたらしいけど、周りに70歳や80歳の爺がいれば
55歳の自分もと思うのが普通だろ。それぐらいわかれよ

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040 2011/04/18(月) 23:40:59 ID:kotPaj7pAo
>>39
具体的に誰よw

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041 2011/04/18(月) 23:45:12 ID:qa.jCGyo4s
例えば利休は秀吉より十五歳年長だね

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042 2011/04/19(火) 10:55:18 ID:5VxyvZtkZk
底辺ではない

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043 2011/04/19(火) 17:55:25 ID:zAoNYoouBY
>>41
えっ?利休一人しか例がないの?
「秀吉の御伽衆は数百人もいたらしいけど、周りに70歳や80歳の爺がいれば」って言う
くらいだからもっと居たんでしょ?それとも「お伽衆」って名称で勝手にこの人たちは
70歳80歳の老人クラブみたいに思ったの?お伽衆に70歳80歳の人が居たという
確証もなしに想像で言ってるの?そんないい加減な事で「お伽衆」を持ち出したら
アカンのと違うw

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044 2011/04/30(土) 17:54:23 ID:4VgVS5QVYU
徳川時代の政治的意図で蔑んだ論調の影響が大きいと思うなあ

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045 2011/05/01(日) 00:18:21 ID:pjLpBhMaiM
秀吉が社内の派閥抗争を勝ち抜く能力に長けていたエリートサラリーマンであったのは事実である。

秀吉の天下取りは、既に日本中を敵に回して勝ち抜く実力がある織田という会社の実力を行使したという形。仮に、賎ケ岳の戦いで柴田勝家が勝利し織田家を継げば、柴田勝家が信長の子を担いで天下統一をしただろう。
朝鮮出兵(大陸進出)については、織田信長の構想。
大坂城の建築も織田信長の構想。

豊臣秀吉に、国の経営のアイデアがあったとは思えない。
秀吉は、家康のようなシステムを作るスキルが無かったのではないか。
創業者とかオーナー社長といった資質は見受けられない。

秀吉に子どもがいても、次は家康の時代になることは、信長の子どもを排除し続けた秀吉にはよく判っていたことだろうと思う。
秀頼が、織田有楽斎のように、家康の一家臣になることを悟るだけの判断力を持っていただろう。

秀吉の子飼いの部下たちは、そもそも武士らしい武士の出ではなく、豊臣家という会社に対し、徳川家の家臣のような忠誠心を持ち合わせていなかった。
秀吉の死後は、豊臣家の社内にあって社内抗争として石田三成を排斥すれば済むものを、わざわざ徳川家康に取り入り、結局豊臣家を滅亡させる尖兵を買って出ている。
親友ということになっている前田利家は、人を裏切ることで身代を大きくしてきた男で信用できないことも、人を見抜く達人であった秀吉には当然わかっていたことだろう。

日本史上最高の人に対する目利きの能力を持った秀吉は以上のことが見えていたことと思う。
一代限りの、10数年間しか続かない栄華と判ればこそ、半ば捨て鉢な、爛熟した繁栄が桃山文化だったのだろうと思う。

とはいえ、豊臣秀吉は、サラリーマンとしては日本史上最高の出世をした人ではある。

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046 2011/05/01(日) 13:09:58 ID:dB2w8fVZDc
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047 2011/05/01(日) 18:34:32 ID:9hP/gzE.02
秀吉ボケてた説って、戦後の左巻き史観の、SFまがいの説でしょ?
もしそんな事実が少しでもあれば、あれだけ豊臣悪玉論を政治的意図で盛り上げまくった
江戸幕府が、それを誇張吹聴しないはずがない。
けど、そういうのって江戸期に言われたりしてないと思うんですが〜

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048 2011/05/01(日) 18:51:19 ID:CR9AsXVn/w
>>45
>国の経営のアイデアがあったとは思えない

家康と比べたら経営に近いのは秀吉のほうじゃないかな?
秀吉は検地をしたり
織田家にぱなかった五大老・五奉行という合議制を作ったりしている

実際、家康は国を安定させたけど、
江戸時代に独特の文化的進化はしたものの、
産業に関しては世界から遅れをとってしまった
そういう点で経営とはほど遠いものとなっていないか?

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049 2011/05/01(日) 20:22:09 ID:dB2w8fVZDc
削除(by投稿者)

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050 2011/05/01(日) 21:59:15 ID:dB2w8fVZDc
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051 2011/05/02(月) 00:43:39 ID:GGoREeOxac
今日、正確には昨日だが、普段は見てないNHKの大河ドラマをたまたま見たが、酷いね、秀吉の扱いが。
無茶苦茶だろ。
あのドラマ自体も、トンデモで無茶苦茶な感じだが。
よくあんな下らないドラマを、莫大な費用かけて作ってんな。
受信料の無駄使い。

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052 2011/05/02(月) 10:02:00 ID:urzAOdS9Uw
>>8
明らかに1本おかしい石原慎太郎に「キチ○イ」と真正面から書くやつがいるかい?
特に、それが歴史書みたいな公式文書の場合

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053 2011/05/02(月) 12:29:44 ID:Z7vHMk/aaY
「fisher」って知識層相手には通用しないよな。
事実的側面を指摘されると言い回しを変えて言い逃ればかりだし。
めんどくさいからあえていかに変てこなこといってるか指摘してやる人もいないから
延々あのレベルでそこらじゅうで衝突してる。
小学校のなかで物知りっていわれてのぼせあがってるガキみたいな感じ。
今時「釣り」とかやってる時点でしょぼ杉って感じだし、失敗した時の言い逃れとして名前すらも誤魔化しの効くものにしている小物。
相手にする必要ないね。

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054 2011/05/02(月) 19:20:06 ID:QwEdiCzdRc
>>53
知識層?w
>事実的側面を指摘されると言い回しを変えて言い逃ればかりだし。
具体的な例を示してくれよ。自分の間違いなら謝るし、そうでなければ反論しよう。

>>43がその「言い回しを変えて言い逃れ」だと言うのなら心外だなw
これは>>39が発言に対して俺が事実的な側面を指摘したんだろう?

>秀吉の身近に長生きしてる人が少なくなかったという事だよ
>秀吉の御伽衆は数百人もいたらしいけど、周りに70歳や80歳の爺がいれば
>55歳の自分もと思うのが普通だろ。それぐらいわかれよ
↑この事に関して秀吉のお伽衆で70歳80歳の爺が居たという具体例を上げろと
言ったら、本人か知らないが利休一人だろ?数百人いた中で利休一人しか具体例を
知らないんだろう?少なくとも039は事実的側面、つまりお伽衆に70歳80歳の爺が
居て秀吉の世情分析の役割を現役同様にこなして居たと言う事実も不明なまま反論してた。
俺はそれを指摘しただけなんだけど?なにがご不満でしょうか?w

返信する

055 2011/05/02(月) 20:46:42 ID:Z7vHMk/aaY
馬っ鹿だなあ・・・こいつは。
お前が痛いのは別にその件だけじゃないし。
何をさもそこだけだったように誤魔化してんの・・。

んーっと、信じようが信じまいが俺は>>39ではない。お前の痛いレスなどそこら中にあるわけだし。
年齢の件に関して今読んでみたけどやはりこれもお前の早とちりと知識不足なだけだね。
お前にはそれが分からんだろうとも思う。

んで、ま、うるさいから相手にしない。
好きなように言っといていいよ。
馬鹿って誰の目にも丸わかりだから。

ほんとのとこめんどくさいしお前が喋り出すと話のレベルが一気に下がるから、俺がキミにレスつけてあげるのはこれで終わり。

返信する

056 2011/05/02(月) 21:29:38 ID:kW6Zw6e5mI
>>45
仮に、賎ケ岳の戦いで柴田勝家が勝利し織田家を継げば、柴田勝家が信長の子を担いで天下統一をしただろう

いやそれはないからw
つーか勝家は秀吉に負けた、それが全て。
2006年の天皇賞(春)でリンカーンがディープインパクトに勝っていたら
リンカーンが2006年の天皇賞馬だった。って言ってるのと同じだよw

返信する

057 2011/05/02(月) 23:28:19 ID:QwEdiCzdRc
>>55
>年齢の件に関して今読んでみたけどやはりこれもお前の早とちりと知識不足なだけだね。
>お前にはそれが分からんだろうとも思う。
お前は結局具体的には反論できてないだろう?そんな稚拙なオツムなら絡んでくるなw

>んで、ま、うるさいから相手にしない。
お前から絡んできてなに言ってるの?w4月19日以降は特に論ずる事もないから控えて
いただろう?それをお前はわざわざ言いがかりをつけきたんだろう?男なら性根据えて
反論しろ!なに逃げてるんだ!根性なしか!ついてるものはあるのか?
お前こそまともに反論できないならこそこそ文句つけるな!言いたいことがあるなら
真正面で勝負しろ!

返信する

058 2011/05/03(火) 10:34:28 ID:tkVrbte4hE
ちょっとネットで調べてみたよ

①六角義賢
秀吉が死去した慶長3年(1598年)に義賢も死去している。享年78

②宮部継潤
晩年は秀吉の御伽衆として、秀吉の相談相手を務めながらも、秀吉重臣として政務にも関わった。慶長4年(1599年)閏3月25日死去。享年は64、71など諸説ある。

③古田重定(勘阿弥、還俗し主膳重正)
古田織部の親父さん。織部は秀吉の7こ下だから結構としいってる。

④金森長近
大永4年(1524年)に美濃国の多治見に生まれる。
秀吉より、12〜13歳年上。

⑤細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)は、戦国時代の武将、歌人。号は幽斎玄旨。一般に細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)として知られる。また一時期、領地の長岡を名字としていたことから長岡 藤孝(ながおか ふじたか)ともいった。
秀吉より、3こ上

あとは、自分で調べてー。
他のマイナーなところを含めると結構年寄りいたんじゃないかなぁ?

横槍すんません

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059 2011/05/03(火) 13:11:06 ID:G1606YKDS6
俺が書き込むの止めた後も続いてるのね・・・
秀吉の御伽衆には>>58の他にも
秀吉より17歳年長の今井宗久や13歳年長の桑山重晴もいる
御伽衆=老人クラブは紛れもない事実だよ

Fisherは自分で調べようとしないし基本的に無知
(秀吉の年長者が利休一人しかいないとか俺は書き込んでいないにも拘らず、勝手にそう思い込む
恐らくFisherは自分で調べようとせず、自分に都合良く勝手に思い込む性質の人間なんだろう)
ましな反論してこないから、こっちが一方的に教えてやる羽目になるし
そう云う奴の相手すんのめんどいから書き込むの止めたし、もう相手する気はない
この後もまた頓珍漢な書き込みするんだろうけど、勝手にやってくれ

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060 2011/05/03(火) 17:06:07 ID:iHyJgY.OKI
食が一番質素になった江戸時代において、そのなかでも貧乏長屋で晩年を過ごしていた北斎でさえ90歳まで生きている。
子供がぼろぼろ死んでいただけで、長生きしたやつはいくらでもいた。
年度もいうが無知なfisherが平均年齢の落とし穴にひっかかっただけの話。
バカ丸出しなやつにありがちなことで、どうでもいい。
ばかばかしい話の相手をする必要などない。

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061 2011/05/03(火) 17:09:36 ID:iHyJgY.OKI
fisherのようなオッチョコチョイなんざ、焦ってまくすように勢いだけで乗り切ろうとする典型例。
そんなごときをいちいち相手にしても何の話にもならんよ。
少々臭いが、明和の天然記念動物とでも思って放し飼いにしておくといいよ。

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062 2011/05/09(月) 09:49:08 ID:BEk5RzH.1c
削除(by投稿者)

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063 2011/05/11(水) 06:15:30 ID:mkWQ7Um6kk
自分の感想で文句言うだけじゃなくて文献調べたり年齢調べたりする人がいるのがいいね
感想や思い込みであーだこーだ言うよりも残ってる文献や事実(真贋も含めて)を検討しながらあーだこーだ言うのが楽しいよな
実物はスレ画の肖像画よりこっちのイメージに近かったのかなと勝手に思ってる。花の慶次の風呂場での秀吉のマッチョを思い出す

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064 2011/05/11(水) 09:19:24 ID:eJ8dKWewqA
せっかくいいこと言ってるのに花の慶二出したら台無しじゃん
いい漫画だけどね

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065 2011/05/11(水) 11:16:59 ID:mWbrPOHIc2
>>63
ネットに転がってる論文すら読まないし、資料の引用ったってただ一次資料羅列するだけだから
ここでそういうのを期待しちゃ駄目

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066 2011/05/11(水) 19:15:15 ID:J2QA0oHrPU
ネットでざっと調べただけで不明な点もあるが以下が秀吉のお伽衆
参考:豊臣秀吉(1537年)

古田重定(不明) 20歳前後上
六角義賢(1521年)16歳上
千利休 (1522年)15歳上
金森長時(1524年)13歳上
小寺休夢(1525年)12歳上
宮部継潤(1528年)9歳上

有馬則頼(1533年)4歳上
細川藤孝(1534年)3歳上
荒木村重(1535年)2歳上
佐々成政(1536年)1歳上 注1516年生まれ説もあり。
大村由己(1536年)1歳上
足利義昭(1537年)-同年
板部岡江雪斎(1537年)同年
新庄直頼(1538年)1歳下
前田利家(1539年)2歳下
山岡道阿弥(1539年)2歳下
斯波義銀(1540年)3歳下

織田信包(1543年)6歳下
滝川雄利(1543年)6歳下
古田織部(1544年)7歳下
六角義治(1545年)8歳下
織田有楽斎 (1547年)10歳下
山中長俊(1547年)10歳下
山名国豊(1548年)11歳下
今井宗薫(1552年)15歳下
佐久間正勝(1556年)19歳下
織田信雄(1558年)21歳下 
前田利長(1562年)25歳下

曽呂利新左衛門(不明)年下と推定
土屋円都(不明)年下と推定
富田信広(不明)年下と推定

前波勝秀(不明)年上か年下か推定できず

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067 2011/05/11(水) 19:24:41 ID:J2QA0oHrPU
>>58
確かにちゃんと調べてるんだけど意図的に高齢者をあげたでしょ?だから>>59>>60
ような馬鹿が秀吉のお伽衆が老人ばかりだと浮かれてしまってる。可哀想な事だ(/_;)
fisherに一泡吹かせたと思ったんだろうけどさぁw秀吉より高齢者だけを意図的に
あげただけなのにそれを真に受けて全体像を見てないんだよな〜。
なにが「御伽衆=老人クラブは紛れもない事実だよ」wお前はホンマに何も調べずに
よく書き込めるよなw恥を知れよw

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068 2011/05/11(水) 19:25:18 ID:HRSS3jGBqk
削除(by投稿者)

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069 2011/05/11(水) 19:46:00 ID:HRSS3jGBqk
家康に対する処遇からは、家康という大人物をそばにおいて無駄に飼い殺しにするという贅沢さと、無力化させるという策の、二つの秀吉の楽しみがうかがい知れる。

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070 2011/05/11(水) 19:50:18 ID:J2QA0oHrPU
そもそもお伽衆を老人クラブよばわりまでもなく、大政所をなぜあげないのかな?
1513年生まれとされている母親がまぁ元気に生きていると自分も漠然とその年齢まで
生きるのかなと思う事は不自然とは言えない。

お伽衆全てを老人クラブに仕立てることなく、その中での高齢者の幾人かを例に挙げ
また母親・大政所が存命である事などを秀吉が10年20年先まで生きる事を考えていたかも
知れないとしていたなら別に問題にならなかっただろう?

>>66
桑山重晴 13歳上 が抜けたね。

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071 2011/05/11(水) 20:40:44 ID:mkWQ7Um6kk
>>67
意図的にってwそもそも、
戦国時代の平均寿命が低い→秀吉が自分が長生きすると考える筈がない→早死する子供が平均寿命を下げている→秀吉の周辺に自分より年上がいれば秀吉も自分が長生きすると考えるだろ→御伽衆に高齢者いなかったか?→じゃあ調べよう
こんな流れだった気がするんだが

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072 2011/05/11(水) 22:00:30 ID:J2QA0oHrPU
>>67
君が>>58だけの書き込みなら失礼な言い方をして悪かった。
秀吉より高齢者のみを取り上げたって事だね。了解した。

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073 2011/05/11(水) 22:55:58 ID:Nhv4iu0FPg
>>71
さんの流れでしたので、御伽衆についてネットで調べてみただけです^^;;

調べたら、御伽衆って結構いろいろな人がいて驚きました。
敵対した佐々成政も御伽衆になってたんですね。
失政で切腹させられちゃったけど・・・

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074 2011/05/11(水) 23:23:22 ID:tIqExYRl6k
学校で、日本史と世界史は別物で習った弊害で、秀吉の朝鮮出兵は、なんだか国内問題みたいなイメージしかないなぁ。

でも、最近は、白人の侵略を見据えた、戦略的行動って気も最近はする。
当時の東アジアを見ていたハズだもんね、多くの日本人は。

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075 2011/05/12(木) 09:23:19 ID:l6aXZtriGY
Fisherえらそうに書いてるけど
自分が>>38あたりで言ったことはどうなんだよ?

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076 2011/05/13(金) 10:11:56 ID:AQH4yyLtJ.
放置でいいだろ こんなくだらない釣りコテは。
ショーもなさすぎてどうだっていいんだよ
てかいちいちスクロールして飛ばすのめんどくせえし、そのためスレ読んでてもテンポが狂う。平均寿命スレでも勝手につくってやってろよ fisherの勘違いってもうわかってんのに、意地汚くも粘着とか恥の上塗りだし・第一迷惑

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077 2011/05/23(月) 22:47:44 ID:C/CS5Xx6Bc
ヒデヨシ印の殺虫剤、これは朝鮮人に良く効きます。

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078 2011/05/28(土) 16:35:58 ID:F2faWD0Kms
猿と読んでいたのは実際は信長だけだよな
従順さと汚れることをいとなわない身軽さとかがその呼称を生んだんだろう
要望は別に猿といった感じではない気がする。
鼻は少し高かったのかな?てか日本人はけっこう鼻高い人多いよな。意識して見ると意外と。

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079 2011/05/29(日) 22:55:14 ID:H3YZEvx7bU
080 2011/06/15(水) 18:50:17 ID:s5/cSTb/Is
信長より残虐で世間体を気にするずば抜けた好色で嘘つき

秀吉は気に入らないと功績のある人物でも残酷に殺す(秀次、千利休、山上宗二)
信長でさえ佐久間親子や林秀貞など追放にとどめている

その他にも聚楽第の落書き事件での対応や、天正5年にはみずから手紙の中で
「女子供二百余人、備・作・播州(備前・美作・播磨)
三ヶ国の境目に、子供をば串に刺し、
女子をば磔物(はたもの)にかけ、並べ置き候」と自慢している

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081 2011/06/15(水) 19:57:49 ID:50wBwnsJwQ
そのゲシュタルト崩壊っぷりは
高潔な秀吉らしいな。

甘やかすと世俗どもは際限がなくなる。
人を殺め、策謀に奔走し、忍耐に忍耐を重ねて天下をとった秀吉にとって、天下人としての生活は極楽浄土のように満たされていただろう。
どの隠居人もそう辿るように、やがて心は理想高き潔癖性を求め出す。これが秀吉人生の第2の覚醒。
そしてそんな秀吉にとって、早速水をさすようなことをいう人間達がいよいよ気に食わなくなったのだろう。

そうして第3の覚醒が起こる。
すなわち、人間に完璧など求める事はできず、人生もまたなんと短いことか。
権力を手にした今、それを独占するのが本分なのだという意志の固まり。
それからというもの、秀吉の心はいよいよ夢幻の如く自由になった。

ちなみに、第1の覚醒、それは貧農を飛び出し戦場に立ち、武者震いを起こしながら生きるために人を殺し、自らの戦慄する心も殺したときだった。

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082 2011/06/16(木) 21:29:57 ID:YBAAPG8xGA
ルイス・フロイスは「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった」と記している。

最低の評価だなw 本能寺も秀吉が黒幕じゃないのか?

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083 2011/06/18(土) 00:00:50 ID:IZGMlFNO.k
明石家さんまが現代の秀吉(バラエティで天下とったし)と思ってた時期あったが、
ちょっと違うんだろうなぁ・・・
おそらく、秀吉の女に対する接し方、話し方はさんまに似てたんだろう
男に対するスタンスも含めて

と勝手な妄想なんだが、外れすぎてるか?

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084 2011/06/18(土) 13:12:32 ID:C6DLV6WZmY
さんまはしょせん芸人
あの場に出させてもらっているだけ。
喧嘩する腕力なんてないし、臆病。
そもそも小心者。それは画面に映る姿だけで伝わる人には伝わる。

優秀な武将で戦闘に熟練、気品に欠け、極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺。

カメラの前に並べ絶対安全とわかる場所でたベラベラ喋ってキャバクラの宣伝の司会者つめるだけしか能がないさんまには到底不可能。

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085 2011/06/18(土) 13:19:50 ID:C6DLV6WZmY
テレビはしょせんセットの世界の人形。やらせの世界。
さんまには何の力もない。司会者=番組の制作者でもなければ、司会者=商品の企画者でもない。
製作者や企画者がセットしたシーンに登場する駒にすぎない。

秀吉の容貌がよかったろうが悪かったろうが、そんなことは秀吉が果たした偉業の魅力を左右する材料にはなんらならない。むしろ醜かったならなおさらいかにして人に好かれて出世していったかを考えれば感心できる。

・信長は西洋人を囲って厚遇していた。
・秀吉は西洋人を強く警戒し、結局まとめて見せしめ処刑までしている。

ここらへんに比例するように、西洋人の書いた両者の評価に大きな差が出ているのも注意して見るべき点だ。

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086 2011/06/18(土) 17:37:36 ID:ZkLjGJMrvg
対照的だな。信長は自分に絶対の自信が有ったのだろう。
自分を神として拝ませ天皇より上位に位置付ける。だがその分心にゆとりが有った。
キリスト教も西洋人も利が有れば保護した。  

一方秀吉はコンプレックスの塊だったのだろう。
パフォーマンスは大胆でも神経は細く評判とか噂には過剰に反応した。
花見を開いたと思えば落書き程度で大勢の無実の人を殺した。
西洋人に対する扱いも、不安を掻き立てられれば容赦なかった。
秀次事件や利休の件も同様であろう。不安を感じると暴走する性格

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087 2011/06/18(土) 17:47:21 ID:4x9X1wYh4Y
>>82
そりゃイエズス会の修道士だから、良く書くはずが無い。

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088 2011/06/18(土) 19:47:26 ID:XgDVmw08aM
>>78
秀吉が猿と呼ばれていた記録はない。
信長が呼んでいたのは「はげねずみ」
それすら、秀吉の妻おねへの手紙の中位しか資料は残ってない。

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089 2011/06/18(土) 19:58:45 ID:wqbPO.HJTk
>>82
まぁ、指六本は間違いないと思う。

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090 2011/06/19(日) 10:33:49 ID:vj.gtIZGno
西洋人に対する扱いについては秀吉は間違っていない。
信長が間違っていたというわけでもない。
信長の時代は鉄砲輸入が先決であったため、諸大名ともども西洋との交易をとにかく重宝した。
日本という総合体で考えた時、鉄砲技術を得るために必要だった信長、その後はびこった西洋の危険性を除外した秀吉。
天下統一の過程で両者ともに役割りをはたしたと言ってもいいだろう。

とくに西洋人に対する不安でいうなら徳川になるとさらに過熱になり
自国民に対する徹底した宗教弾圧にまで発展する。以降徳川300年間はキリスト踏み絵と異国通商の規制の時代となる。

南蛮に日本人町があったように、日本にもまた交易で栄えて港湾都市に入っていた外人や混血児などがいたわけだが、それらは徳川の世に入って国外追放処分を受けた。故郷日本の家族や里を偲んで書いた手紙が現存している。

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091 2011/06/19(日) 21:09:56 ID:P6BURIeA0c
>>90
信長がキリスト教の布教を許したのは貿易の為だけでなく日本仏教への対抗意識も
あったと思われる。織田や徳川は一向一揆に悩まされていたし、その総本山である
本願寺を敵視していた。信長は仏罰を恐れず延暦寺焼き討ちや高野聖の殺戮や石山本願寺
との全面戦争をしている。これは信長が仏教の教えが迷信であると考えられるほどに
西洋の文明文化に触れ合理的な考えを養っていた事も影響していたと思う。

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092 2011/06/23(木) 07:13:28 ID:df9dgflwiw
とりあえず徳川時代の長い間に作られた豊臣家貶めのバイアスというものを
鑑みてモノを見ないといかんと思うよ

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093 2011/06/23(木) 08:51:34 ID:hkywqqNhxg
朝鮮出兵とかも本当は家康の策略だったりするかもな

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094 2011/06/24(金) 22:09:11 ID:lzPnlpuVlE
秀吉様の話ってほんと切ないよな。
日銭と相談する日々、橋で寝てたら脚をふんずけられ、賊等相手に立腹。普通なら叩ききられるところだが、頭目に一目置かれる。そういう方面に顔の利くようになり、発想もますます豊かになっていっただろう。
ぼろぼろ人が死んでゆく最前線、命がけの戦いを生き抜いた野太い男たち。誰も見もしない、だけど強く逞しく、生命力に満ち満ちて生きる、そんな生死の境にありがなら、もっとも生けるものらしい表情をしていた男の一人だった。
天はそんな秀吉に光を当てた。
以後、死ぬまで、彼は自在に生きてゆく。
その自在の人物が完成するまでの、記録にも残っていない無名の下積み時代、是は誰も評価しようとしない。
ストリートキッズもそのこと自体を悲観せず、現実のままにタフに生き、社会の一部として存在したような時代の話である。

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095 2011/08/26(金) 05:37:46 ID:5TmVdtJ9p6
096 2011/09/06(火) 16:28:24 ID:UMB62hB1pU
>>91
信長は仏教敵視していたなんてことはないでしょ
仏教同士が宗派で争っていた時代
安土宗論なんてなかなかおもしろい
信長も寺結構建ててるよ

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097 2013/06/09(日) 16:02:51 ID:V69zSdGzRw
寺も立てているし、地元の神社にも寄進している。
宗教を信じなかったのでも敵視したのでもなく、「敵であれば宗教でも容赦しなかった」だけ。

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098 2013/12/06(金) 17:30:45 ID:OQlpkzNG/g
>>26
別に無謀ではない。

文禄時に秀吉軍が、後退したのは寒気で凍死者が出たため。
その文禄の経験を活かして慶長の役は、
暖かい期間中に全羅道の明・朝鮮軍を討伐したあとに、
越冬のために半島南部に後退した。
戦略・戦術的に作戦通りに推移していた。

そして1599年に一大攻勢をかける準備もできていた。

上記が真実なんだが、左翼と韓国・在日朝鮮人は
これを「支配する能力がなかった」とすり替えている。

そして秀吉が死んだから打ち切りになっただけ。

それに文禄時も秀吉軍を解放軍として歓迎して、
協力を申し出たり、一緒に軍勢に加わって女真と戦ったりしたが、
慶長の役の時も秀吉軍に積極的に
味方する、朝鮮の役人、民衆、街、村があったのは興味深い。
宣祖実録30年11月12日 乱中日記(1597) 

東西大陸では十年単位、数十年単位、はては100年単位で
各国家、民族が攻めたり攻められたり、占領したりされたりを
繰り返していたので、実質32ヶ月の文禄・慶長の戦いは
大失敗というほどではない。

モンゴル、清(後金)も何十年もかけて、中国を切り取っていった。

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099 2014/08/18(月) 18:34:16 ID:75B3OGa.W6
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101 2014/12/27(土) 23:45:01 ID:0x4k3yxWoY
>>96
>信長は仏教敵視していたなんてことはないでしょ
別に仏教全てを敵視していたとは思ってない。本願寺派や僧兵を率いる比叡山などの
敵対する軍事勢力としての寺院についていっただけ。
その上で有名な高僧でも容赦なく切れたのは仏罰なんてないとわかっていたからだと
思うのね。神や仏に対しては政治的に利用するだけでそれ以上の信仰心はなかったろう。

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103 2015/02/05(木) 18:51:26 ID:MCfaVCZgEY
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