「娘が生まれたら秘密にしたまま暮らす。他人に知られるのが心配で、隣人にも娘を見せられない。
娘を隠していた事実が発覚すれば、村全体が害を被ることになり、親族を縛って取り調べ、屈辱を与える。
処女を選ぶ過程でわいろが取り交わされるが、金がある者は切り抜け、金がない者は連れて行かれる」
ことあるごとに中国に献上しなければならなかった「人間の献上品」こと貢女のことだ。
恥辱の歴史は、5世紀初めまでさかのぼる。高句麗・新羅から中国の北魏に、女子を送ったという記録がある。
貢女の献上が最も盛んに行われたのは、高麗後期から朝鮮王朝時代にかけてだった。
高麗時代の元宗15年(1274年)、元が140人の婦女を連行したのを皮切りに、
忠烈王・恭愍王代に元に対し献上した貢女は170人以上、44回に上った。朝鮮王朝時代にも、
太宗から孝宗の時代にかけて、明・清に対し9回にわたり146人が献上された。
学界では、中国の高官が私的に連れて行ったケースを合わせると、数千人に上ると推定している。
中国から、貢女を選ぶ「採紅使」が訪れると、朝廷では貢女選抜機関を臨時に設置し、巡察使が各地を物色して回った。
だが、民衆の抵抗は激しかった。孝宗の時代、慶尚道の鄭煌(チョン・ファン)という人物は、
娘が貢女候補になったことを知るや、娘の顔に薬を塗って傷を付けた。また、娘を出家させるケースもあった。
高麗時代には、乳飲み子を乳母が抱いて嫁がせることまであった。
そのため朝鮮王朝時代には、世宗が「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」という法令を
公布しなければならないほどだった。
高麗・朝鮮王朝時代の「貢女」の実態とは(上)
http://news.livedoor.com/article/detail/5512803... 高麗・朝鮮王朝時代の「貢女」の実態とは(下)
http://news.livedoor.com/article/detail/5512804...
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