>私見は「権力の喪失イコール一族の滅亡」を根拠として持ち回りを否定するに訂正です。
>蘇我に源平、北条では根拠が乏しいのか、それとも傍流が存続したから根拠とならないのか。
>古代中国、朝鮮史にはいくらでも例がありそうですが。
>(こういう書き方は学問的な議論をする立場になってないですな。)
うん、ですから、あなたが「こうではないか」と考察するのは良いと思うのですが、
考察する根拠を自分で仕入れたらいかがですか、と言う事なんですが。
「いくらでも例がありそうですが」ではなく、例を挙げて下さい。
そして、それにより自分の考察が正しく、例外はあるとしても基本はそう(※)である、と証明立てて下さい。
それが出来ない、もしくは面倒だから、俺は可能性だけ論じて証明はお前たちがやれ、では話になりません。
※権力の喪失イコール一族の滅亡
もう一つ付け加えれば、確かに「別勢力に一族を滅亡させられる事で権力を失う」事はあるでしょう。
しかしながらそれは、「権力を失えば必ず(もしくは高確率で)一族滅亡する」という根拠にはなりません。
違いはおわかりですか。
簡単に言えば、現代でも様々な権力の家系が生き残ってますよね?
それは、結局一時的に権力の座に着いたり権力を失っても、完全に滅亡するなどと言う事が無かったと言う一つの傍証でしょう。
女子供や、傍流は許された場合が多く、「お家再興」や「返り咲き」などという言葉もあるとおり、
子孫が再び権力の座に就く事も往々にしてあったわけです。
具体例で言えば藤原氏でしょうか。
藤原不比等が持統天皇に重用されたのは藤原氏の返り咲きです。
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