♥長宗我部 総合♥


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001 2012/02/01(水) 15:18:33 ID:d/nDrAMmPQ
元土佐国長岡郡地頭。秦始皇帝の血筋である秦氏の末裔とされる。
戦国時代に四国を統一し、領地一体の寺社を焼き払うなどの横暴を働くも、
豊臣秀吉に屈服させられて土佐一国を安堵され、関ヶ原及び大坂の陣で
徳川方に敗れて政治的には完全に失脚。敗亡後に執拗な追討を受けるも、
土佐の山間に逃げ込み、非正規の武士である土佐藩郷士としての勢力を保つ。
幕末には、配下の坂本龍馬が薩長同盟および薩長と大坂堺の豪商の結託を斡旋し、
薩軍が長州藩士からの偽勅とグラバーから購入した重火器で幕府を倒壊させることを援助。
倒幕維新後には、これまた長宗我部配下の岩崎弥太郎が三菱財閥を興し、三菱三井住友
といった、近現代の日本の財界勢力を形成することの原動力に長宗我部勢がなった。

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002 2012/02/01(水) 18:29:40 ID:d/nDrAMmPQ
要するに、今の日本の実質的支配者(財界人)の源流だ。それが、長宗我部。

長宗我部家は今でも存続していて、自分たち自身はそんなに大した役職にも就いていない。
ただ、戦国時代に功名のために身を興した長宗我部元親やその子の盛親らの軍勢が
一時の栄華の後に政争で敗れ、土佐の山間に落ち延びて辛酸を嘗めていた、その怨念が
幕末から維新後にかけて爆発し、今日の財界の隆盛を形作るまでに至ったのである。

長宗我部が秦始皇帝の末裔であるという確証はない。しかし、長宗我部が自国で
実施していた一領具足政策は、一芸に秀でたものは鶏鳴狗盗の輩でも取り立てるという、
戦国時代から秦代にかけて流行していた食客制度に似通っているし、坂本龍馬の
幕末におけるフィクサーとしての暗躍も、中国の戦国時代に、諸国に合従連衡を説いて
中間マージンを吸い取っていた、蘇秦や張儀のような縦横家のあり方に似ているし、
維新後に三菱財閥を興し、政商として巨万の富を築き上げた岩崎弥太郎の姿も、
豪商兼秦帝国の宰相として辣腕を振るった、呂不韋の姿にも見まがうものがある。

本当に長宗我部が始皇帝の末裔かどうかは分からないにしろ、始皇帝の実父でもある
呂不韋の末裔であったり、そこまでいかずとも、秦朝の重臣やその取り巻きの末裔で
あったりする可能性は十分にあり、王侯をも上回る権能をほしいままにする財界人としての
長宗我部勢の素養は、確かに深い歴史にも裏づけされた、お墨付きの代物であるのだといえる。

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003 2012/02/01(水) 18:52:19 ID:DKCTDP5nII
嫌いではないんだが、仮定の上に仮定と仮定と仮定を重ねた感じ。
「と言われる」「不思議ではない」「可能性は十分」は、
結局可能性でしかなく、「似ている」に至っては歴史の必然や、
結果的に外形が似ただけという当たり前の可能性を軽視している。

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