>>16 元々彼が脳裏に描いていた国家構想はルイ・ナポレオンの
フランス第二共和国の形態であったと思われます
事実、大政奉還したからといって朝廷がまた幕府(慶喜)を
頼りにしてくることは分かりきっていましたし
実際、いきなり政権を返上されても朝廷自身には何かできるわけでもなく
すぐに頼ってきましたけどね
すでに小栗忠順らによって徳川中央集権国家路線は敷かれていたものではあったけれども
慶喜は将軍になってからもそれを強力に推進させ
大君(徳川家)を政権の中心とした具体的な構想を持っていた
この大君というのは行政府の長にして上院議長を兼ね
その上院では膨大な徳川直轄領を背景に他を圧する発言力を持つものとされていたもので
このほか、旗本を再編した全国守護兵という直属軍を置く構想までもあったようでして
大政奉還による公議政体論はあくまでも幕権の温存を狙ったものと
武力討幕派の出鼻をくじくためのもので
慶喜は大政奉還でさえ自分の権力強化に利用するつもりであったかと
ですのでソフトランディングによる政権移譲を目指す〜の部分はちょっと?です
(私が勝手に政権移譲=大政奉還との前提でレスしてますが、違ってましたらすみません)
しかし、孝明帝の死によって大久保、岩倉たちが幼帝を手中にした後の
王政復古のクーデター〜鳥羽・伏見の敗戦後の彼の心境は
稲田さんの言うことに同意しますけどね
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