>>30 偉人の顔が畏れ多くて直視することも出来ないのと、
サイコパス患者などが恐ろしくて近寄りたくもないのとは、当然まったく違う。
サイコパス患者には、世の中に危害を加えていこうとする害心があって、
その害心に取り込まれたりするのが恐ろしいが故に、近寄りたくもなかったりする。
実際にその害心が世の中に危害をもたらす場合もあるわけだから、一般人なら少しも
道を譲ったりする必要もなく、むしろ向こうを社会的排除の対象とした所で、一行に差し支えない。
一方で、数多の死亡確実な死線を己が精神力によって乗り越えてきたが故に、
世の中に有益無害かつ多大なる回向を施すことをまでをも可能としているような大偉人の場合には、
これまた怖ろしくて近寄り難いのは同じだが、仮に自分が一般人であったりするのなら、
道を譲るべきなのもむしろ自分のほうで、相手方の動向のほうが、自分のそれよりも優先されなければならない。
社会的により有益無害な御方であるが故に、より有害無益な存在である自分のほうが譲らなければならなくなる。
後者に相当するような偉人というのは、実際、今の世の中ではほとんど皆無といっていい。
誰しもが少なからず、後進国の人々に対する強盗リンチ殺人に加担してしまっている資本主義先進国において、
地球社会に「有益無害」と呼べるほどの良影響を及ぼしている人間などというのは、ほとんど皆無であると見なす
他はないわけで、「人を見たら泥棒と思え」というかの文句が、ありのままに通用しているのが現状だといえる。
しかし、それが人間社会の常なる姿などであるはずがなく、むしろ世の中にとって有益無害極まりない人々が方々に
割拠して居られるが故に、常人ならば事あるごとに道を譲らなければならないような世の中のほうが普遍的であり、
なおかつ情勢としてもより健全なものである。誰しもが泥棒かリンチ殺人犯と化してしまっているが故に、
誰を本気で敬ったりする必要もないなどという世の中のほうが、不健全に過ぎるために、そう長くはもたない。
そのような世の中で身の程知らずな思い上がりを募らせて来た連中の将来も、決して明るくはない。
返信する