>>11 >意図的に「権威を高めてない」とする根拠
もちろん日本書紀だけでははっきりわからないように書かれている。
とは言え、日本書紀記載内容での例
・前半生がまるで無個性(壬申の乱、大化の改新、白村江の戦い等での活躍がゼロ)
・年齢が明記されていない(天武が兄とする説もある)
・天武に味方した豪族が(朝敵として書かれる)蘇我・出雲系が多い
・天智が死の直前に会った際、軋轢が生じていて一触即発だった事が書かれている。また助言で天武を助けたのは「蘇我」。
・出家し吉野へ行った際、「虎に翼を付けて逃がした」と嘆かれる(天智朝視点での「敵」として書かれる)
日本書紀以外で決定的におかしい例
・天皇家菩提寺の京都泉涌寺に天武系が一人も祀られていない
(天智の後は天武系を飛ばして光仁、桓武・・・と続いて祀られている)
とりあえず以上。
いくらでも捏造・脚色出来る日本書紀で、天武前半生の活躍がゼロなのは権威を高める意図が
一切無かったと言う事。その後の功績も、「天智が始めた」や「持統が引き継ぎ完成させた」と
なるものがほとんどで、わかりにくいが天武は蔑ろにされている。
天武が天皇に即位したのは間違いなく、存在そのものを抹消出来なかったとはいえ、
天智朝に都合の良いように書かれたのが日本書紀。
(もちろん、上記だけが根拠の全てではないが、そのあたりを足掛かりに考え直すと
色々面白い話が出て来ますよ。対百済、対半島政策とか、藤原氏の重用とか。
天智天皇−中臣鎌足連携が時代を超えて持統天皇−藤原不比等で再現とか・・・)
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