漢委奴国王


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001 2013/04/08(月) 10:15:54 ID:/57mE/GS9U
西暦57年に日本(金印発見地などから九州と推定される)から、
中国に渡ったって信じられる?
当時の日本の船で行くって、アポロ11号が月面に着陸するより大変だったのでは?
そう思うとロマンを感じるなぁ…

一番すごいのは、金印が発見時も含め、溶かされず今まで残ってることだ!
古代の歴史書の、真実を記載してあった決定的な証拠が見つかるのはスゴイ!

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002 2013/04/08(月) 10:33:51 ID:JEzs0jojx.
天明の大飢饉のころ、甚兵衛さんというお百姓さんが発見。

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003 2013/04/08(月) 15:14:29 ID:VR7QZH/jZ6
日本人は思い出を大切にするからね。

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004 2013/04/08(月) 22:43:16 ID:UM7xSeFdSM
>当時の日本の船で行くって、アポロ11号が月面に着陸するより大変だったのでは?

そんな事は無いと言う事は既に証明されているんだが。

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005 2013/04/09(火) 02:26:34 ID:jakdiVIH7A
>>1を教科書で見たとき、文鎮ぐらいのイメージがあって
重いだろうな、落としたら曲がりそうって思った。

志賀島で実物大見たら、ちっぽけで残念だった

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006 2013/04/09(火) 09:51:06 ID:aCBa8zS0gU
>>5
純度95%の金製らしいから、落としたら確実に歪むよね。
よくこの形状を江戸時代まで維持したまま発見なんて、まさに奇跡だ。

>>4
>そんな事は無い
えっ!?日本語の意味がワカランよ。
当時の日本の造船技術で行ってないってこと?
それともアポロのこと?
とにかく、もっとちゃんとした言葉で書き込まないと在日認定されちゃうよ。

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007 2013/04/09(火) 23:32:41 ID:omP/E8ycYg
何が在日認定だ?バカかお前

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008 2013/04/13(土) 20:56:35 ID:ZZtgWD4WYc:au
陸路にしろ海路にしろ食料はどうしたんだろうか。
日の丸弁当を持って行ったんだろうか。

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009 2013/04/14(日) 00:41:33 ID:jwA8Sezhw2
金印の側面に持ち主の名前が書いてあるらしい

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010 2013/04/15(月) 22:27:55 ID:jCIa8Viy2U
金印って偽造説があるけど、ホントのところ
どうなんだろ?

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011 2013/04/15(月) 23:29:48 ID:wMnkiyUFqk
当時から下賜品を複製するのが習い
だから、朝貢で得たものは複製がたくさんある
三角縁神獣鏡とか
金印が三つ四つ出たっておかしくはない

本当かなあ

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012 2013/04/16(火) 13:31:16 ID:tIXGd6AGcI
削除(by投稿者)

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013 2013/04/16(火) 21:17:35 ID:UjwWIUMeKw
金印に年代測定法なんて通用しないだろ。

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014 2013/04/21(日) 13:16:22 ID:cBz5yDiBUw
常津根彦命所有

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015 2013/04/25(木) 20:25:03 ID:fDu3iLr4pE
本物ならK24と刻印があるはずだ

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016 2013/06/05(水) 15:07:32 ID:40JTI97Lu2
文字のない国にハンコ送ってどーすんだ

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017 2013/06/05(水) 19:14:43 ID:87/OnuiyJs
江戸時代のおっちゃんが掘り当てたのか
よく届けてくれたな

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018 2013/06/08(土) 01:21:32 ID:17lZCAGC1U
土の中から発見て、どんだけ粗末に扱ってたんだよとか最初思ったけど
よく考えたら当時としては妥当な措置だったんだろうな、永久保存の方法としては。
銅剣とかと同じ考えだろうか

そんで千数百年経って、金だけが土の中に残ったってことだろうか、と想像する


それと、当時の船旅ってのも興味が尽きない
何割くらいが辿り着くもんなんだろうか?食料は何を?水は?
箱みたいな当時の船で、よくやったもんだよ

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019 2013/06/16(日) 14:01:34 ID:q/Okk35QNI
>>18
というか、奴国自体途絶えてるわけだから
戦乱のどさくさで燃えた廃墟にうずもれてかもしれないし、王族かなんかの墓にいっしょに入れたのかもしれないし
そこはなんともじゃない?

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020 2013/06/16(日) 21:44:57 ID:fp2kawI37I
>>18
>それと、当時の船旅ってのも興味が尽きない
>何割くらいが辿り着くもんなんだろうか?食料は何を?水は?
>箱みたいな当時の船で、よくやったもんだよ

縄文時代から海洋技術は発達しており、日本海を巨大な内海のように縦横無尽に行き来していたと考えられている。
沖ノ島、対馬などに縄文時代の祭祀跡が残っているし、日本海海岸線沿いに文化伝達の跡がある。

想像よりも発達していた、と考えるべきだろう。

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021 2013/08/29(木) 18:54:02 ID:J3T4Pv8126
ヨーロッパがアジアを知らぬ頃
日本人が地中海を疾走していた

とゴルゴに書いてあったけど

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022 2013/08/29(木) 22:56:11 ID:B1jl1mnYQQ
偽物です

江戸時代をなめちゃいけない

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023 2013/09/09(月) 18:53:14 ID:2JzLb8ZLFg
そのうち 日本はかつて我が国の冊封国であり
つまり我が領土とか言い出す国が出てくるやしれん
大体 奴の国とか呼ばれてよろこで国宝にするという気がしれん

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024 2013/09/09(月) 20:04:44 ID:Ui6mVe185Y
よろこで

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025 2013/09/14(土) 18:52:14 ID:8RuepRzMys
誰かが既に書いてるけど縄文時代から
八丈島とか神津島の遠洋通って船で出かけて黒曜石取りにいったりよくしてた
のが分かってるから、当時にそんな造船技術がとか言うのは事実からすると変だわな
知らなかっただけだろうから別にそれほどおかしい事でもないけど。

それに九州の初期王国(集団)は大陸から渡ってきた人たちがベースなのが多いんでないの?
それなら潮流で大陸から来やすいにしても造船や航海技術あっても更に不思議でもないし、
ただ縄文の航海技術と系統が別かもね

一応縄文の人が大陸に渡って交易してたような考古学的証拠もでてるらしいから
大陸方向にもいけるだけの技術はあったようだが、どっちが優れていたのやら
遣唐使の頃でさえ中国に遡るのよく失敗してるし

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026 2013/09/15(日) 06:38:25 ID:cQNe6eGKow
>>25
少人数の船旅と大人数のそれでは難易度が段違いじゃないのかな。
単純に比較はできないと思うけど。

縄文時代は多くても5人以下乗りのボートやカヌーのような船でしょ。
遣唐使遣隋使なんて頃は、人だけでなく国家的プロジェクトとして
衣冠を正した役人が膨大な資料(本や宝物)をやりとりする為の大型船。

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027 2013/09/29(日) 00:06:39 ID:IsSHSJkXLY
うん内容とレベルが違うのは分かるよ、縄文と大陸のは系統が全く違うって思ってるからさ
ただ、人類が行った事ない月に行く位大変な事だって>>1が言ってるから
大だろうと小だろうと行けるか行けないかは大きいって意味でね

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028 2013/09/30(月) 14:20:55 ID:svoOFKdGko
漢委武蔵国王

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