鎌倉時代


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001 2013/05/11(土) 17:40:00 ID:z/6OD0.J5o
鎌倉時代を中心に関連する事やなんかを語ろう。

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002 2013/05/11(土) 21:37:15 ID:JrwkcYvmWU
西行が銀の招き猫か何かをもらったってのが、一番心に残ってる。

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003 2013/05/11(土) 22:03:14 ID:evV1pegi7Y
西行か・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8...

西行って言えば、今年吉野山に花見に行った時、西行庵までは行かなかったな。
まだ奥千本には早い時期だったから割愛したが・・・

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004 2013/05/11(土) 22:17:36 ID:mgSEPk6uwk
完全に「日本独自」といえる仏教が生まれ育った時代が鎌倉時代だな。
法然・親鸞の浄土宗/真宗、栄西・道元の禅、そして日蓮宗と
3つの大きな流れで、純粋に日本人による仏教が生まれた。

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005 2013/05/11(土) 22:29:12 ID:evV1pegi7Y
>>4
>「日本独自」といえる仏教

そう言われればそうだな。
鎌倉仏教/鎌倉新仏教と言われるぐらいだからね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E4%BB%...

理由は一般的に「手軽になった」からだと言われているね。

・南無阿弥陀仏と唱えれば良い(浄土宗/法然)
・悪人(煩悩の深さを自覚している者)ほど救われる(浄土真宗/親鸞)
・念仏によって救われる(時宗/一遍)
・南無妙法蓮華経と唱えれば救われる(法華経/日蓮)

などかな?

本来は自らが苦行や厳しい修行を経て得られるとされていた悟り(解脱)が、
一般人でも教養のない者でも極めて手軽に実現出来ると説いた事が
広く大衆にも普及・浸透した原因。
武士の時代に変わって行くなかで、人々の不安がすがるものを求めた結果そうなったのかもな。

まあそれ以前に、神仏習合や本地垂迹・神本仏迹なんかで十分馴染んでいたのが背景にあるけど。

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006 2013/05/12(日) 00:25:30 ID:xSbyyq1z0I
司馬遼太郎いわく、『鎌倉幕府は開拓農民の政権』。
貴族や宗教勢力から、庶民が奪い取った時代とも言えるかな。
ただ、ちょっと血生臭い政権ではある。
その流れは、徳川幕府安定期まで続いたと思う。

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007 2013/05/25(土) 10:00:58 ID:njnKJjxiXs
いいくにつくろう。

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008 2013/05/25(土) 11:19:48 ID:h8dOQeTuv.
平安末期から「末法の世」に入ったとする末法思想が、
貴族の没落、律令政治の崩壊、武士の台頭、新興仏教の勃興など
鎌倉以降の日本社会にひろく影を落としてきたんだと思う。

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009 2013/05/26(日) 09:47:42 ID:e61ql65YRM
逆・・・じゃないのかな?

律令制度の崩壊は平安時代前から始まっていた。
天候不順や未成熟な農業技術などによって税収は安定しなかった。
で、苦し紛れに墾田永年私財法(平安遷都前)なんて出したから土地の私物化を認める事になり、
公地公民が基本だった律令制度が崩れだした。
もちろん、農民が開拓したからと言って農民のものって事じゃなく、
開墾者は税金を逃れる事と庇護を求めて大規模な寺社や貴族に寄進した。

つまり、「公地」が増えなかった。

で、そんなままで平安遷都して、朝廷が政争をしている間に地方や庶民の生活は悪化。
寄進された土地は「荘園」として地方が独自に管理/武装防衛するようになり、
結果的に地方に根差した「武士」って奴が成立しだした。

更にお互いが武装しあうのは当然いざこざがあるからで、年貢や開墾の苦労だけでなく
戦闘の被害まで庶民が受けるようになったからこそ、平安仏教(つまり末法思想)が
定着したわけでしょ。

世の中が酷くなってないのに末法思想が先に広まるって事は無いので、逆だと思ってた。

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