
この、「漢書」中の箕子朝鮮跡地の描写は、「魏志倭人伝」
における倭国の描写とも酷似している。「事件沙汰が些少」や
「婦人が貞節で嫉妬しない」などの記述はまさに一致していて、
しかもこれは今の朝鮮や朝鮮女の性向とは完全に相反してもいる。
「魏志倭人伝」には「(倭国には)刺史の如き官制あり」ともあって、
この「刺史」という官職が中国で置かれたのも、朝鮮北部が正式に中国
の一部となった武帝の代であるため、それ以降に朝鮮の人々が倭国へと
流入して来て、先進的な制度を自分たちで実施したのだとも考えられる。
箕子朝鮮が滅び、段々と中国本土からろくでもない連中が流入して来た
結果として、民度を極限まで高められていた古代の朝鮮人が日本列島
へと移住して来た。だからこそ、日本人の民度は中朝人以上にも高い。
江戸時代や戦前までに限れば、世界一というほどにも高かった。これこそ
はまさに、殷の遺臣である箕子がもたらしてくれた賜物なのである。
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