明治から戦前にかけては、まさに世界全体が帝国主義社会という
「傲慢で睦みのない世の中」であったために、日本も剛克たる軍国化で抗った。
しかし、それは最終的に失敗に終わり、日本は実質的なアメリカの占領下に置かれた。
帝国主義は表向き廃されたにしたって、決して今の世界が「平康」や「燮友」や「高明」
な状態であるわけではない。世界規模ではCIAのような諜報集団による水面下からの戦乱の
誘発がたびたび繰り返され、日本でも旧荘園領主であるような地主出身の政治屋などが、
巧言令色で民を欺きつつの腐敗まみれな虐政を繰り返している。この状態は明らかに
「沈潜」という状態であり、箕子の政治理念に基づくなら「剛克」で制圧されるべきものである。
世界にしろ日本にしろ、水面下からの腐敗に基づく不健全な社会情勢が続いている。
それは、日本なら平安末期以降の武家の台頭などによって十全に征討された試しのあることだが、
世界規模で見てみれば、そのようなショック療法的な対処が未だ試みられたようなことすらない。
平和といえば「沈潜」であって、秘密警察や諜報組織や政商が暗躍することで民の生活を
蝕んでいるような状態であっても、表向き紛争などが起こっていなければそれで「平和」だと
片付けられるのが世界の常識となっている。そこに「剛克」での対処を企てたりすることは、
腐敗まみれな権力者の立場などからこそ「余計なお世話だ」とされることとなっている。
それでもあえて、沈潜状態の世の中を剛克で征討するというのなら、その先には柔克や正直の
ような別個の対処法にも切り替えて行く用意をしていなければならない。いつまでも剛克でい続け
たりしたならば、ナチスドイツやその他の軍事政権のような様相をも呈してしまうこととなる。
箕子の為政の根幹はどこまでも「中正」であり、剛克も偏った世の中を中正に引き戻すための
手段として提示されているものであることを、重ね重ね計り知って行くようにしなければならない。
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