戦列歩兵


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001 2014/07/03(木) 10:28:34 ID:wjLMA6z4Rs
戦争とはいえ、花があるよね。

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002 2014/07/03(木) 13:34:04 ID:y5lu5htqSo
無駄死戦法。

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003 2014/07/03(木) 21:39:47 ID:BqgUHWiSOk
・・・

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004 2014/07/03(木) 23:30:53 ID:0SF6TEMCZQ
銃と槍の兼ね合いで陣形が試行錯誤される時代は面白い。
ルネッサンスといえば芸術と膾炙されてるけど、
文献で古代戦史が研究され、特にファランクスが見直されて
それが当時最新鋭の武器だった銃と組み合わされたと本で読んだ時は結構感動した。
三兵戦術やオーダーミックスでも砲兵や騎兵に比べて地味だけど主力には間違いない。
砲兵や騎兵と連携が密で、下級将校が優秀な歩兵陣は心底恐ろしい。

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005 2014/07/04(金) 00:08:40 ID:zfUxUB3ZNU
>>2
無駄死にじゃないよ、
当時はそれなりに合理的な戦術。

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006 2014/07/06(日) 14:31:45 ID:UtzYP7i8G2
信長が3段撃ちをしていた時期にこんなアホな戦争をしていた欧米。
こいつらやっぱり物量だけの能無しだわやっぱり。
物量+日本が最強。

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007 2014/07/06(日) 21:43:38 ID:LMseaylrLg

釣とは、思うけど
まさか、本気で長篠の三段打ちとか、信じてないよね!!

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008 2014/07/06(日) 23:47:49 ID:v4cMp1oeSI

日本の戦国時代の鉄砲保有数知ってる?世界一だよ。
最強の軍事国家だった

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009 2014/07/07(月) 00:07:41 ID:RYUmV3sgnI

そんな事より、15世紀と18世紀比べて如何するの?
まさか戦列歩兵に戦国時代の侍が勝てると思ってるの?
笑われるよ。

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010 2014/07/07(月) 11:15:34 ID:LYOSRWuuTU
戦列歩兵も段数撃ちな件
信のは後世に↑を元にした創作、って節もあったよね

まあ15世紀の(分裂した)日本の総数と西欧各国とを比べる時点で意味不明だし、
当時の西欧視点だと重装騎兵とか野砲が無い点を戦技未熟と評される気がする

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011 2014/07/07(月) 12:05:04 ID:RYUmV3sgnI
戦国時代の瞬発式火縄銃は、滑空銃身のマスケット銃としては、
命中精度も良く優秀な銃だが、
密集隊形で一斉射撃を行う事は出来ない。
火皿が開放されているため、横に爆煙が数メートルも飛ぶ、
装薬や口薬を身につけた兵士が密集していたらどうなるか、其の危険さは解るだろう。
実際は、適当な間隔を空けた兵士が、それぞれの判断で射撃していた。
日本の火縄銃は、そういう狙撃的用途に特化した銃だった。
発射速度を高めたいなら銃手を決め、二人の装填要員が次次と銃を渡す。
之の法がよっぽと理屈に合っている、
実際 雑賀の鉄砲衆がそういった戦術を使っている。
密集隊形による一斉射撃戦術は、フリントロック式マスケット銃が完成して、取り入れられた戦術だ。
この銃など何処へ玉が飛ぶか分らないほど命中精度の悪い銃だったか、
密集隊形が取れる唯其の一点において、近代戦術に合致していた。
其の合理性と、戦術の優位性は、イギリスが侵略戦争で証明している。

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012 2014/07/07(月) 21:42:25 ID:0Egn6oxO.Q
なんか日本を貶めたい朝鮮人が沸いてるな
お前らの先祖が中国の属国をしてた頃
当時世界最強国のスペインが植民地化をあきらめたくらい
日本軍は強かった(半分くらいは信長の功績)
その後秀吉が

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013 2014/07/08(火) 00:11:14 ID:afubhMpS/g

お前、馬鹿な上に失礼な奴だな。
16世紀と18世紀の違いも分からんくせに
ネットに落ちてる様な知識を得意げに書きこむな。
土人しか相手にした事がないスペイン人が、地球の裏側でリスクのある戦争を嫌がった
其れだけの事だ、別に日本人を恐れた訳じゃない、
日本が船団を仕立てて、植民地や本国に乗り込まれるほどの国なら話は別だが、
外洋帆船も、航海術も当時の日本には無い。
日本の何を怖がるんだ。
一つ教えてやるが、鉄砲の数が多いとか、実戦経験の豊富な兵が揃っているとか、
其れだけで勝てる訳ではない、実際秀吉は朝鮮でコケたろ?

そんな事でホルホルするなんて、そっちの方が余程朝鮮脳だ。

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014 2014/07/08(火) 01:24:36 ID:gWoxJVeZ3s
秀吉は日本国内で病死したんだけどな。

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015 2014/07/08(火) 04:00:50 ID:XYuT6IUDOA
>>13
ば〜かw
「リスクがある」と思わせたら戦略レベルですでに勝ってるんだよ
スイスとか知らんの?ナチスドイツがスイスを攻めなかったのは
攻めればリスクがあると思ったからなんだよ

>外洋帆船も、航海術も当時の日本には無い。

日本人が東南アジアで戦ってたの知らんの?山田長政とか
戦争で勝ちまくってたんだが・・・

>実際秀吉は朝鮮でコケたろ?

朝鮮猿って本当に豊臣秀吉を恐れているんだね

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016 2014/07/08(火) 07:24:37 ID:6sGB6XSrhc
わかりやすい詭弁だなwww

相手する方も酷使のファンタジー史観なんか無視しろよ

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017 2014/07/08(火) 16:21:58 ID:LkO8Zzkfso
>外洋帆船も、航海術も当時の日本には無い。
遣明船とか後の朱印船貿易とか、あれ、外洋じゃなくて瀬戸内海の話だったのか。
目から鱗の新解釈だね。

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018 2014/07/08(火) 17:19:02 ID:afubhMpS/g

あのな、外洋って何だかわかってるか?
遣明船で大西洋や太平洋横断できるか?
日本海や東シナ海をチョロチョロしている竜骨も無い船で、スペインまで行けると思ってるのか?
そこら辺の海域は外洋とは言わないんだよ、沿岸だよ沿岸。
ブルーウォーターじゃない、ブラウンウォーターだ。
外洋帆船てのは、乾舷が高く竜骨を持ち構造的に堅牢で、
外洋の荒波を走破する帆装を持った、当時ではガレオンの様な船だ。

航海術にしたって、原始的な羅針盤と、陸地の目印を頼りにする航海術で、
何の目印も無い大洋を渡れるわけなかろう?
現在地の割出どうするの。
ソフト的にもハード的にも、そういう技術は当時の日本には無かったって事。
スレ違いだからもう止めるけどね。

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019 2014/07/08(火) 20:32:47 ID:uQsaCtlK42
個人的には、この時代の(重)騎兵に関心がある
日本だと長槍やスウェーデン軽騎兵などを持ち上げ、反動で重騎兵は…
だけど実際にはナポレオン期まで決定戦力だし、騎銃装備で密集突撃なら
直接支援無しでも同数の戦列歩兵相手には優勢〜圧倒 なイメージ

とはいえマスケットや槍の戦列に突っ込むのは歩兵以上に罰ゲームな気もするが

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020 2014/07/08(火) 21:56:10 ID:gWoxJVeZ3s
>>18
沿海・近海でスペインまで行けるだろ。
時間はかかるがな。
平水・沿海・近海・遠洋って知ってるか?
せっかく知ったかしてんだから、今さらググるなよ。

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021 2014/07/08(火) 22:48:00 ID:afubhMpS/g

如何でもいいが少しは、話の前後を考えろよ。

じゃあ何か、お前は遣明船みたいな船で艦隊組んで、其処に兵隊乗せて、
アフリカ周りでスペインまでえっちらおっちら言って、ドンパチするのか?
時間がかかる何処の話じゃないぞ、
何年かかると思ってんだ?
沿岸航海?
東南アジア辺りで土人に襲われて、終わりだよ。
頭悪いなー、お前は中学生か?

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022 2014/07/09(水) 00:07:15 ID:uIwl7dREmc
>>19 この時代の(重)騎兵に関心がある

之はいいよね、最強の決戦戦力だし絵になるよ。
この時代になってもの歩兵の最大の脅威は、(重)騎兵の突撃だもの
防御方法は方陣位しかない、「やらないよりまし程度だけど。」
当時のマスケット銃の射程、精度、発射速度では、
重騎兵のチャージを防ぎきれない。
自己膨張弾を使用する前装式ライフルが発明され、戦列歩兵は、お払い箱になったが、
依然として騎兵は、歩兵に対してアドバンテージが有ったし、
散兵戦になり、余計騎兵に対して弱くなったとも言える。
結局、歩兵が騎兵を圧倒するのは、日露戦までかかったと思う。
長射程、高精度、連発式の三十年式小銃が開発され騎兵の時代は、終わったといえるんじゃない。

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023 2014/07/09(水) 01:49:22 ID:zJxvke/Y4g
>>21
話をすり替えるなよ。
お前が「外洋航海は不可能」って書いてるから、それは違うと書いてるだけだろ。
そもそも、お前は「外洋」と「遠洋」の区別が出来ていない。
お前は小学生か?

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024 2014/07/09(水) 03:27:23 ID:yeMoZrMW4g
>>19
クリミア戦争で命令が間違って伝わってその罰ゲーム状態になった時は600いた騎兵が終わる頃には半分に減ってたなんて事もあったっけな
カーディガン伯爵も無鉄砲にすぎるでぇ

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025 2014/07/10(木) 18:10:46 ID:FXXqMXE5t6
>>23
話をすり替えているのは、お前だろ、
実際、遣明船で太平洋を渡る様な外洋航海は無理だろ、何が間違っている。
大体、シッタカはお前だろ、
16世紀当時の船と、航海術の話をしているのに、
現代の法的水域区分を得意気に書きこんで、どうすんだ?
お前も、上の16世紀と18世紀の区別がつかないアホと、一緒だな。

結局お前の理屈は、遣明船の航路は現在の水域区分で言えば近海に当たる場所も有る。
日本の区分では外洋は近海を含むから、外洋航海が出来ないとする俺の理屈は間違ってる、この程度のことだろ?

そう言うのは、詭弁と言うんだ、アホたれ!!
俺は歴史の議論をしているのであって、日本の船舶法の議論をしている訳じゃない。
この議論に、法の外洋に関する定義に何の意味があるんだ、
当時の日本の技術で、スペインまで艦隊遠征出来るかの議論だぞ。
第一そんな定義、法律運用上の利便を図るため作られた、日本だけの理屈だろ。
世界、増してや16世紀と何の関わりが有るんだ。

>>お前は「外洋」と「遠洋」の区別が出来ていない.......はぁ?

関係ねーよそんなもん、漁師のオッサンとでも議論してろ。
頭悪いのに、場違いな屁理屈コネルな、厨房!!

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026 2014/07/10(木) 21:20:47 ID:wsACZGzj2M
全身鎧の防御力や、カラコール戦術みたいな火力じゃなくて、
結局はアレクサンダー大王やハンニバルが示したような機動力が
騎兵の最大の武器だったという原点回帰がロマン溢れていて良い。
まぁ銃器の進化に伴い、防御側有利の構図の中でその騎兵も死に兵科になったけど…。
戦列歩兵も連発銃の登場で、銃剣による接近戦の必要も無く、
数が有利の密集隊形から、一部隊少人数編成の散兵に変わってしまった。
というより、そもそもの会戦がなくなった。

歩兵も騎兵も大なり小なり要塞のような防御装置に吸い込まれて死んでいった気がする。

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027 2014/07/11(金) 21:48:59 ID:AVXpprhwf.
>>25
そんなに熱く語るなよ、超スレチガイだぞ。
沿岸航法でスペインに行けるとか言ってる時点で
ただの馬鹿だろ、スルーしとけよ。

>>26、騎兵ロマンがあるよな、
今でも皇室の馬車列とかみると、ワクワクするもの。
昔、ペルシュロンを、見た事があるけど、
超でかいぞ、之に乗った胸甲騎兵なんか、恐怖以外の何者でもないよ、
良く、馬蹄に掛けるっていうけど、
マジで人を踏みつける訓練とかしていたらしい。
オッかねー。

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028 2014/07/12(土) 05:00:47 ID:UO7UfpcCMo
>>1
こんな戦法で「いくさ」に勝てるわけがない
せいぜいインディアンや原住民に勝てる程度
侍の抜刀突撃のほうが遥かに強いよ
実際ズールーという国が使った戦法
最終的には物量に負けたんだけどねw

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029 2014/07/12(土) 11:27:25 ID:oQvn4/LaKw
戦列歩兵を無駄死戦法と言い切るのは、余りに愚かな事だ。
ヨーロッパの戦場では、17世紀初頭から19世紀初頭まで約二百年間、
歩兵の主たる戦術だった。
兵法とは、非常に必然的な物だ。
無駄死戦法を各国が二百年も使い続ける訳が有るまい。

インドも、清もこの戦術を使う英国によって簡単に征服された、
人口も、兵器の数も上回り、火器の性能も、そう変わらないのにだ。
敵の戦線を一斉射撃の後突撃突破するこの戦術の前には、
個々の武勇に頼んだ抜刀突撃など、戦術的には全く意味がない。
軍用兵器の規格を厳密に等しくして、
なおかつそれを一斉運用することを心掛けることによって、
百梃の銃、能く一万の烏合の衆をも自在に追い回せるのであると、
英国人は、解っていたのだ。
東洋は西洋の技術力に負けた訳では無い
二百年間実戦の基に練られた、軍隊の運用思想に敗れたのだ。

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030 2014/07/13(日) 01:52:36 ID:ouZLC/TKLU
>>28
酷使のファンタジーは、もういいって。

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031 2014/07/13(日) 04:36:49 ID:Be82AQ//Zg
>>27
実際、アメリカ大陸到達前のスペインは、沿海を通ってインドへ到達している。
本当の大洋横断遠洋航海は、バイキングを除けばコロンブスが初めてだろ。

外洋という言葉と、遠洋航海、近海・沿海・沿岸の区別がついていないのよ、お前ら。

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032 2014/07/13(日) 09:42:33 ID:ouZLC/TKLU

そんなの誰でも知ってるって、アフリカ周りのインド航路なんて、
学校で教わるだろ?

数隻での航海と、艦隊遠征を一緒にしてる時点で、
理屈が終わってるのよ、
行けりゃ良いってもんじゃ無い、
何時までも子供みたいな屁理屈言ってんなよ。

この時代のスペインへのメイン航路は、メキシコ経由の大洋を二つ越える航路、
ガレオン貿易位、知っとけ。

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033 2014/07/13(日) 19:05:36 ID:Be82AQ//Zg
>>32
話をすり替えるなって。
和船は外洋航海出来ないて書いてあったから、それは無いって書いただけだよ。
何回書けば解るんだよ。
さすがに遠洋航海は無理だろうけどね。

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034 2014/07/13(日) 20:26:29 ID:ouZLC/TKLU
あのさ、
俺は、>>25じゃないから、スレチを何時までも垂れ流すつもりは無いけど、
お前ちょっとおかしいよ、

>>さすがに遠洋航海は無理だろうけどね。

自分で解かってるなら其れでいいじゃん、
お前の理屈は、論点がずれてんだよ。

そんなのは、船板でも行ってやれよ!!

>>何回書けば解るんだよ。

俺が言いたいぞ。

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035 2014/07/13(日) 22:53:33 ID:rq5ecyqkhw
戦列歩兵は塹壕にとって代わられたけど、騎馬隊自体は第一次大戦の初期まで現役で稼動していた。
大戦初期はナポレオン戦争ばりの騎馬戦だけど、塹壕戦に切り替わってから戦車飛行機潜水艦毒ガスといきなり現代戦になった。
逆に言えば、第一次大戦初期までは騎馬隊が戦闘の決定打で、100年前にようやく陳腐化した。

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036 2014/07/13(日) 23:39:28 ID:ouZLC/TKLU

そうそう、俺はこういう話が聞きたいんだよ。
騎兵の終焉は、色々な説があるよね。
WW2で、ポーランド騎兵がドイツ軍に突撃したらしいが、
あらかたの資料は、自殺行為で片付けてるけど、
結構有効だったなんて説も、ちらほら聞く、
そこら辺の高説が聞きたいな。

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037 2014/07/14(月) 00:32:17 ID:eKanIXQVMw
高説っていうほどお高くはないけれど、騎兵の終焉は45年の日帝騎馬隊が国民党軍に突っ込んで蹴散らしたので最後。
ポーランド侵攻時の騎兵隊はむしろ大活躍してたって言ってもいいんでないですかね。
ドイツ軍の規模も質もポーランドから見れば異次元に強力だっただけでフランスよか長くもちましたし。

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038 2014/07/14(月) 09:36:42 ID:hT7zmT8Lp2
>>34
おまえさ、随分粘着してるけど、「外洋」ってのと「遠洋」ってのは意味が違うんだよ、書かれてるの、理解してるのか??

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039 2014/07/14(月) 14:39:22 ID:E/qx5edbMs
>>37
さすがに、戦車に騎兵突撃は嘘だと思うけど。
名高き、有翼重騎兵の末裔の突撃がどうだったのか、とても気になる。
博識そうだから教えて貰いたいのだが、
何か良い書籍を教えてもらえないか?
この系統のは、洋書ばかりで。

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040 2014/07/14(月) 19:36:38 ID:BzJUJqUm9g
第一次世界大戦から軍vs軍の構図から総力戦に移行したけど、
人馬とも高度な訓練と物資が必要な騎兵は総力戦に最も向いてないよね。
突破し難い塹壕や、機関銃などの大火力に破れて意義を失ったんじゃなくて、
兵科として高価すぎるのがネックになったのだと思う。
お題の戦列歩兵もかなりの訓練が必要だったけど、
鉄道輸送が主流になりだした時代
数で戦うという点で容易になった分、歩兵の重要度はより増したのかな。
大型の火砲も輸送しやすくなった。
(実際の鉄道輸送は輸送力よりも、物資集積地での荷揚げが問題だったらしい)

兵站・補給関連の話が好きなので、騎兵もこの面での運用法が気になる。

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041 2014/07/15(火) 00:17:34 ID:0c/mtoTXKw
>>39
まぁwikipediaに載ってる程度の知識しか無いんですけどね。
自分も装甲車への突撃は脚色された話ではないかと思いますね。
ポーランドの騎兵についての話だと↓が面白い。
http://www.polinfojp.com/kansai/kym2002.ht...
二次大戦のポーランド軍については『ポーランド軍と第二次大戦』『ポーランド電撃戦 』
竜騎兵隊の元になったシュラフタの話なら『ポーランド民族の歴史』
騎馬自体の本だと申し訳ないが存じませんね。

運用コストについては戦車よりはむしろ安上がりだったのでははないかと思いますね。
近郊農業主流の頃なら飼葉はすぐ手に入りますし、輸送も担える馬と違って戦車は3、4人以上の人員が必要かつ石油なんて手間のかかる燃料が必要だったりしますし。
鉄道は線路の敷設が必要ですけど、馬なら泥濘極地以外はどこへでも行けるという長所が第二次大戦まで騎馬隊が組織的に運用された理由ではないかと。
WW1後のポーランド・ソビエト戦争では歩兵主体の赤軍をポーランド騎兵隊がボコボコにしてたり、独ソ戦のソ連の反攻作戦でコサックが撤退する独軍歩兵隊に切り込んでたりしてましたし、
陳腐化はしても局地的にならまだまだ使いようがあった分、戦争の形態を問わず使い勝手は良かったんじゃないかなーって思いますね。

そう言えば一昨年にやってたスパルバーグ監督の『戦火の馬』はいい感じの映画でした。

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042 2014/07/15(火) 00:26:01 ID:0c/mtoTXKw
>>37の最後一行が誤解を招く文になってしまっているので修正。

× ドイツ軍の規模も質もポーランドから見れば異次元に強力だっただけでフランスよか長くもちましたし。

○ ドイツ軍の侵攻に加えてソ連からも攻められた割にフランスより長くもちましたし。

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043 2014/07/15(火) 16:20:48 ID:.EGH8eYISI
総力戦で戦争が縦深化した結果、騎兵突破が不可能/無意味に。それが要因だと思うよ

・近代国家化により、良質で信頼できる歩兵を無尽蔵に徴収可能なストックが実現
・恒常的な補給で、戦域に長期間・密集して軍が生存可能になった
→戦域全体における、縦深のある野戦築城、部隊配置が実現
(昔の、薄く分散して常時移動徴発・決戦時の短時間のみ密集→短期野戦決戦あるのみ ではない)
・前線に配置可能な兵数は、鉄道駅から各部隊への道路輸送能力で決まる事に
 →前線後方・多方面・本国などに「前線に送れない兵」が大量に存在する事に
・人と比べて、軍馬の維持は 大量の水と食糧(嵩張る上に保存困難な飼葉だ) 良質な環境
が必要なため、前線に高密度に配置する事ができないし、補給線を外れて長期生存も不能
・当時の騎兵は、十分な支援がなければ、同数であっても防備を固めた歩兵を破れない

ってな状況なので、
・騎兵で首尾良く前線を突破しても、支援無しで第二線にぶち当たる→停止
・敵前線軍を突破しても、すぐに後続軍にぶち当たる。衝突を避け迂回しても、騎兵軍は
 すぐに干上がって戦力喪失
・突破兵力としては、歩兵の方が衝撃力・拡大能力ともにある(馬よかマシってレベルだけど)

戦術・戦略どちらにせよ、相手が十分な防備を整えていない状況以外では、騎兵の
存在意義が無くなった。だから正面兵科としての騎兵類は衰退した。のだと思うのよ
正面兵力以外、偵察や遊撃的軽戦闘ならまぁ…だけどさ

ついでに言えば、歩兵による突破も不可能に。んで戦線停滞・ガチンコで削り合い
重兵力で包囲殲滅 がWW1後期の様相になったとな

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044 2014/07/15(火) 17:16:18 ID:y4Ggrd/FkM
>>41
ありがとう!!
良くこんなサイト見つけたね。
面白かった。
本の方はアマゾンで古本見つけたので、
早速買って読んでみるよ。

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045 2014/07/15(火) 20:29:57 ID:iseIheIw1g
>>41
>>43
かなり限定的な状況の中でしか騎兵は動けなかったようだね。
これ逆に辿って行くと、そもそもの作戦立案の段階で騎兵が入り込む余地がないようにも思えるんだけど…。

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046 2014/07/16(水) 00:09:17 ID:mMBKKUG4nc
>>45
一番大事な偵察がありますからまぁそこまでは。

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047 2014/07/19(土) 19:26:17 ID:XPeHUzJ/KM
WW1の話題が続いたので、ナポレオン時代かそれ以前に話を戻したい。

三兵戦術が確立され始め、各兵科の役割がはっきりしてきたけど、
砲撃の後に歩兵同士が交戦して最後は騎兵が敵の綻びを攻めるという流れで、
歩兵の効果的な用兵ってよく分からないんだよね。
私的には、戦場での実際の動きよりも、戦場到着後の準備や、開戦前の行進隊形からの展開に
どちらが早く、より効果的に動けるかに歩兵の強さがあると思っている。
層の厚さは防御性で砲兵や騎兵は歩兵に適わないし。

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048 2014/07/21(月) 00:37:36 ID:V3LG91sxMw
三兵戦術は本来は騎兵の復権とスペイン式要塞陣形を打ち破るために考案されたものだから、歩兵は常に主役であり常に効果的な運用はされてきてるんじゃないですかね?
オランダのマウリッツが織田信長の三段撃ちの元ネタになった戦術を考案したのと三兵戦術の産みの親のグスタフ2世が撃ちながら前進する戦術を展開して、
それ以後はこの二つが主流戦術になったんで、むしろ効果的な運用で一番困ったのが騎兵の使い所じゃあないかと思いますね。
騎兵を決戦兵力として用意していたナポレオン式の運用も、普仏戦争では、プロイセンは装備に勝るフランス側を警戒して騎兵を偵察用にしか使わず、それで勝ってますし。

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049 2014/07/21(月) 03:19:43 ID:V3LG91sxMw
>>48
我ながら酷い文章だ・・・

もうちょいきちんとまとめると
・三兵戦術は主役が歩兵なので常に効果的な運用は出来ていたはず。
・そもそも騎兵の使い勝手を改善するための戦術だった。
・だからと言って騎兵の運用は状況によってまちまちで扱いが難しかった。
ということでした。

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050 2014/07/22(火) 20:49:57 ID:dvaGYFwmOI
古今、地域問わず、騎兵で勝利を収める将は天才型が多いよね。

戦争技術がマンパワーの歩兵の方が蓄積しやすく、
各作戦に対する対応力では諸兵科の中でも飛びぬけていただろうね。
ナポレオン軍の歩兵は下級将校が充実していたから、戦術思想もかなり浸透していただろう。
騎兵はシンプルな抜刀突撃に先祖帰りした分、求められる動きが固定化されて、
投入するも、まず如何に決勝点を見つけられるか
指揮官のセンスによるところが大きかったから運用は中々難しかったかな。
格闘用じゃなくて、強襲用の兵科に変わったしね。

ではでは、日露戦争で秋山好古がコサック騎兵を騎兵で迎え撃ったような、
予め騎兵対騎兵が想定されるというのは極めて稀だったんだろうか?

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051 2014/07/23(水) 14:57:45 ID:7LhuTOiZk.
グスタフの三兵、戦術的には小型馬を少数しか揃えられない北欧の国力・地勢上の制約下で
重騎兵軍の突破力を再現しようと試みられたもので、当時〜近世の欧州(重)騎兵とは
異なるものだと思うのね。
戦術的には歩兵と騎兵の役割が↓と真逆だし
・グスタフ:歩兵の衝撃力で崩す→騎兵で拡大して勝利確定
・中-東欧騎兵:騎兵の衝撃力で崩す→そのまま拡大追撃 歩兵で支援

三兵以前のグスタフ軍を一方的に凹ったポーランド騎兵をはじめ、東中欧ではずっと
騎兵が(少なくとも野戦の攻撃では)主役であり続けたわけでさ

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052 2014/07/23(水) 15:24:21 ID:mwThsAeQOw
実際の所秋山支隊は下馬し、陣地戦、塹壕戦を以てコサック騎兵を向かえ討ったから、
騎兵対騎兵の様な戦闘は、行われ無かった。
日本の騎兵は、馬体、錬度、兵数、共に劣り真っ向勝負では勝ち目は無かった。
長射程、高精度の30年式小銃と、当時最新兵器であった機関銃を使用し、
突撃して来る、騎兵を駆逐した。
之は、歩兵が騎兵を無力化した決定打とも言え、
普仏戦争で、予感されていた騎兵の終焉を実感させるものだった。
騎兵の戦い方を捨てた騎兵が、騎兵自身に引導をわたす結果に....
皮肉だよね。

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053 2014/07/24(木) 22:45:34 ID:.Ww2ASh0.w
>皮肉だよね。

(何も皮肉になってないなんて言えない・・)

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054 2014/07/27(日) 13:11:12 ID:t0ZLpkDjuo
歩兵・騎兵・砲兵の全てが傭兵中心であったのに対して、
グスタブ・アドルフの軍は徴兵制から成る国民軍。
スイス傭兵やランツクネヒトなんかは独自の隊規があっただろうけど、
傭兵はどうしても軍令遵守の精神に乏しい上に、
複雑な作戦遂行能力や他兵科との緊密な連携は難しかったんじゃないかな。
そして何よりグスタブの最大の特徴として、武器の国産化、
特に火砲の充実を図った点が大きいと思う。
生産者によってまちまちだった砲の口径を統一化して補給を容易にして継戦能力を底上げし、
軽い砲を歩兵・騎兵に付随させた。
騎兵に砲が付いたことで、カラコールなどの馬上射撃の必要性もなくなり、
戦場にへばりつく重騎兵から、抜刀突撃に特化させられる軽騎兵にすることが出来た。

戦術を模索したというよりも、
鉱山資源が豊富なスウェーデンならではの軍制改革を進めた結果、
自ずと生まれた三兵戦術だったと思う。

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055 2014/07/28(月) 18:56:48 ID:lhbjl2DBAI
グスタフが指揮した軍は国民軍では無いよ
スペインをモデルにした選抜型の長期兵役を自国内に課したのは事実だけど
隷下軍の圧倒的多数は傭兵と国外徴募兵

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056 2014/07/28(月) 22:29:27 ID:lhbjl2DBAI
↑だけではアレなんで…
人的資源の制約と傭兵より高コスト※って事から主力は外国兵になってた。グスタフ下には最末期で
総数16万の兵があったけど、自国兵は2万に満たない。
傭兵を(戦役連続で結果的に?)長期雇用とした事、傭兵・徴募兵にスウェーデン人指揮官※を配し自国式
の装備訓練を施した事、同盟者にも自国式の隊形訓練を要求した事などにより、軍全体を信頼/計算可能
で高度な戦術を実行可能なものに出来た。その根源は、王権下に軍関係の権益/資金を集約できた事。
ここら辺は、スペインのテルシオ、オランダ式軍隊といった前例をベースに拡大発展させたものだね。

※当時の徴収兵は、平時は国内駐屯先の地域が糧食その他を負担、国外遠征時には王/国家から(傭兵より)高額の俸給と補給を受ける。といったシステムだったため、平時=王の負担超軽い 遠征=超高コストに。
結果、グスタフ軍での徴収兵は遠征での近衛軍+国内予備として使われ、傭兵、同盟者に金銭を払って
出してもらう軍、占領地での徴募兵(平時戦時とも俸給支給)が数的主力として用いられた。

※軍事権益の集約化と徴兵により、職業的な士官・下士官たりえる人材が豊富に存在する事になった。
ここら辺は、貴族階層が(自立した騎士ではなく)王に雇用され歩兵指揮官となったテルシオと同様

・遠征で高額の俸給:中世の慣習で、騎士階級は年間で平時3月or遠征2週程度の限定された軍役義務
(この間は無給)しかなく、これを超える場合は王から代価を得るor自由行動(帰郷)。といった形が
一般的だった。徴収兵の遠征義務も同様で、何にしろ無制限の軍役義務は無い、って観念が普通だった。

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スレッドタイトル:戦列歩兵

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