明治維新がいまいち理解出来ない・・・


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001 2014/07/09(水) 08:29:06 ID:UJRGL.Hvos
開国しようとしていた幕府に不満を募らせて、天皇を旗印にした討幕派が勝利して・・・

で、開国したの?
なんで?

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017 2014/07/11(金) 00:44:28 ID:RmUXjbYm3k
当時の指導者たちが西洋に倣いすぎて、何でもかんでも西洋流にしてしまったのは大間違いだった
明治や大正の時代には江戸を生きた日本人がたくさんいたが、昭和の時代になってほとんどいなくなってしまい、軍部がだんだん無能になってきたのもそのせいらしい
今の時代にも言える事だが、見習った方がいいところだけを取り入れられないのかいな?

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018 2014/07/11(金) 02:35:18 ID:gK/FNxXHw2
らしいって随分てきとうだな

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019 2014/07/11(金) 06:01:14 ID:Mo7m8ozgMc
>>17
>見習った方がいいところだけを取り入れられないのかいな?

いや勿論、それは理想だけど、岡目八目と言うモノだろう。
後になって俯瞰すればアレは良い、コレは悪いと指摘できるだろうけど、
異文化が大量に流入してくる渦中にいる人が正確に取捨選択できるかと言えばそれ極めて難しい。

影響が分からないから全体的に拒否するか、悪影響を考慮してでも受け入れるかのどちらかしかなかったと思う。
後から批判するのはさすがに非論理的だと思うよ。

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020 2014/07/15(火) 03:02:13 ID:WKuoSHbmCg
やっぱり大きいのは「黒船来航」だろう すべてはここから来ている

圧倒的な武力を背景に開国させられた と言う事への屈辱感が、日本という国家への意識を目覚めさせた訳で
天皇が治めるべきか幕府が治めるべきかは その後から議論が沸騰したもの

それまでの江戸時代の人間達は「 国家」というものは余り意識はしていなかったのでしょう
このままでは諸外国の植民地にされるのでは という危機意識がそうさせたのでしょう

だから、外国の勢力を撃てという「攘夷」が、当初は幅を利かしていたのに
いつの間にか「開国」に 変化していったのだと思う この辺が理解しにくい部分でしょう。

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021 2014/07/15(火) 04:55:23 ID:K84Lrilc5g
>当初は幅を利かしていたのに いつの間にか「開国」に 変化していったのだと思う

そこを詳しく!

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022 2014/07/15(火) 12:23:18 ID:WKuoSHbmCg
つまり、当時の武士たちが 忠誠を誓っていたのは、あくまでも「藩」であり、「国家」ではなかった
だから、当初は 藩の事情や 藩の利益などを優先してものを考えていたから、様々な思惑が交錯していた訳ですが
日本中、喧々諤々の大議論が深まるにつれて、「国家」という意識が 徐々に芽生えてきたのではないでしょうか

私もあまり詳しくは無いんですが (冷や汗) ^^;

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023 2014/07/15(火) 12:26:19 ID:i.io/aiI/c
≽≽020
≽やっぱり大きいのは「黒船来航」だろう すべてはここから来ている
いやだから、その「黒船来航」から始まっているのは論ずるまでもない事。
そもそもは開国派の幕府を倒した攘夷派であったはずの明治政府が何故開国に
転じたのかが疑問でスレヌシは明治維新がよくわからないと言ってるのね。
「黒船来航」から始まる「開国」か「攘夷」かで日本が割れたのが明治維新のきっかけ。

≽外国の勢力を撃てという「攘夷」が、当初は幅を利かしていたのに
≽いつの間にか「開国」に 変化していったのだと思う 
それは攘夷派、尊王攘夷派に限った思想変遷になるわけだよね。幕府は元々開国派だから。
ではその攘夷派の中心であった薩長が何故開国派になったのか?それは戦争によって
外国の武力を知り今の日本では攘夷が不可能であると悟ったのは明らか。

「開国」か「攘夷」と言う意見対立は倒幕のきっかけだけで、
「攘夷」が目的で倒幕運動したんじゃない。

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024 2014/07/15(火) 16:17:24 ID:WKuoSHbmCg
確かにおっしゃる通り、決して 開国した事が不満なのではなく
外国の言いなりになっていく“情けない幕府”に不満を募らせた事が 倒幕に繋がったのでしょう

まあ、最初は「攘夷」を主張していた勢力は それが無理である事を痛感させられ
遠い将来において「攘夷」を果たすためには、まずは「開国」して 国力を付けなければ駄目だ
という結論に傾いていった訳で そういう意味において「攘夷」と「開国」は矛盾してはいない

欧米諸国への対抗心が 日本人の心に目覚めたのが黒船来航、劣等感と言っても過言では無い
それが富国強兵への原動力の一つになった事は言えると思う

すぐさま外国勢力を撃つべきという「攘夷」から
いつの日か外国勢力を打ち負かす 富国強兵のための「開国」へと変わっていったのでしょう

つまり、外国勢力とずっと仲良くせよ という開国ではなく、いずれ打ち負かすための開国という事
しかし、最終的には(第二次大戦で)打ち負かされる訳ですが。

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025 2014/07/15(火) 18:36:10 ID:K84Lrilc5g
>>22-24
確認したいのですが、それは貴方がた歴史通の方の「推定」ですか?それとも「史実」ですか?と言う点です。

つまり、「○○の記した文書に「遠い将来において「攘夷」を果たすためには、まずは「開国」して 国力を付けなければ駄目だ」という主旨の言葉が明記してある」という事なんでしょうか?

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026 2014/07/16(水) 00:16:09 ID:mMBKKUG4nc
>>25
大国隆正が言ってた『大攘夷論』っていうのがそれです。

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027 2014/07/16(水) 03:06:22 ID:ehoelWNiwU
>>25
そりゃもちろん、「推定」でしかありません 確定した「史実」だったら何も議論する余地など有りません

公文書も新聞記事も録音テープも ほとんど無い時代の事は 推定するしかないでしょう
例えば、嘘か本当か判りませんが 西郷隆盛の顔など 本当は別人だったなどと言われております

「今一度 日本を選択し候」 この言葉は、坂本竜馬が書いたとされる手紙にあった文句で
公文書ではないので、本当に坂本竜馬が書いたという確実な証拠にはならない訳ですが
それを言い出したらキリが無いでしょう。

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028 2014/07/16(水) 06:19:44 ID:ZqlzP7vqL2
>>26
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%98%E5%A4%B7%E8%AB%... ですね。
ありがとう。
ちなみに、この考えが「本当に明治維新の行動を方向/決定づけた」と解るような事実はありますかね?
つまり、こういう「論」があったとしても、結局決定するのはトップ(集団)ですよね?
それらがこの論に影響され舵を切ったというポイント(何年の何会談だとか何談話だとか・・・)はどこなのでしょうか。

>>27
その反応を見ると、気分を害されたようなので謝罪します。
疑うとか、個人の推定を軽んじるとかそういう意味ではないんです。

ただ、「事実」と「通説」と「個人的見解(推定)」を混ぜると、私の頭では解らなくなるので、区別したかっただけです。
>>26さんのように資料(情報)を挙げていただくと助かります。

ところで、「公文書も新聞記事も録音テープも ほとんど無い時代の事は 推定するしかないでしょう」とおっしゃりますが、そんな事はありません。
記紀まで遡らずとも、各種文書で確認(確定)できる歴史的事実はいつの時代にもあります。
そこを楔として打ち込み、論理的矛盾の無い蓋然性の高い「推定」なのか、
それとも個人的好みに立脚した根拠のない「想像」なのかの区別をつける為にはやはり事実が必要です。

私は頭は悪いのですが、何を考えるにも、足場となる「事実」が重要だという事はわかります。


たとえばこの明治維新で言えば、「鎖国していた」「黒船が来た」「外国を排除しようとした派が勝利した」「開国した」という事実は確定しています。
そこで、それを繋ぐ(愚昧な私の知らない)事実を教えてほしいという事なのです。

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029 2014/07/16(水) 12:12:07 ID:ehoelWNiwU
>>28
いや、別に気分を害してはおりませんので お気遣いなく

確かにおっしゃる通りです、どこまでが事実でどこまでが通説なのか ちゃんと弁えておくべきなのでしょうな

ただまあ、今まで事実だと思われていた事が 実は 通説でしかなかったと言う事は 良くある話みたいで
難しい所ではありますね、特に幕末維新の時代は 登場人物や物語りが多すぎて 創作の話が定説になってたり
その辺はよく考えておかないといけませんね。

(ちなみに私はただ この時期の物語が好きなだけで 決して詳しくはありません 悪しからず^^;)

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030 2014/07/16(水) 13:45:13 ID:mMBKKUG4nc
>>28
先の大国隆正の大攘夷論は大国門下生によって王政復古の大号令につながります。
長州は下関戦争の敗北で開国派につくに加えて吉田松陰獄死や池田屋事件で禁門の変を起こして倒幕による急進的尊皇攘夷に動きます。
薩摩は公武合体を唱えて諸藩の連合を訴えますが1863年の参与会議が崩壊して公武合体論は頓挫します。
長州征伐で大打撃を喰らった長州が方針転換した結果、薩摩に近づいて薩長同盟が締結されます。
薩摩の最後の一手の四侯会議を開いて公武合体を為そうとするも徳川慶喜の横槍で崩壊、討幕運動に転換へ。
ここで大国隆正門下が合流して王政復古の大号令へと動き、戊辰戦争に続くわけです。

この流れの一つを作ったのが大攘夷論であったり水戸学であったりしますが、当初からその考えの通りでみんな動いていたわけではなく、
個々の行動が最終的に合流した結果、開国尊皇攘夷で妥協したわけです。
幕府が先に嫌われてくれたおかげで急進的攘夷派が粛清されて鎖国を訴える人がいなくなってくれたのも良い援護射撃でしたね。

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031 2014/07/18(金) 21:20:01 ID:ESRHCCJB0Q
尊皇派も、佐幕派も、どちらも国のため公のために戦ったのは事実
誰も私利私欲なんて考えてなかった
そんなヤツいたら、即座に利用されて欧米の介入を受けてたよ

実に微妙なバランスの上で戦争していた
普通の国なら、こんだけ内戦したら介入されて即座に植民地化だよ

そのことを当時の人達は知ってたんだと思うけどね


それに比べて、今の日本人は安く売国するよなあ、と嘆かわしくもなる

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032 2014/07/19(土) 00:23:08 ID:GqZ/lArk8M
私利私欲がなかったというのは、どうもね。
私利私欲と公益を巧く結び付けてたという感じかな。
大体幕末活躍した志士とか新撰組とか皆身分の低い人間ばっかり。
で新政府の役人は贅沢ばかりと、西郷は嘆いてる。

売国って簡単に言うけど、多くは公益と巧く結びついてないだけ。
昔は良くて今は駄目というのは単純すぎないか。

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033 2014/07/22(火) 06:39:49 ID:JewGGNizrM
これって結局誰が「勝った」の?

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034 2014/07/26(土) 19:11:19 ID:hLG7sLxQhs
中学の教科書に書いてあることですけど。
薩摩藩はイギリス艦隊、長州藩は4カ国連合艦隊との戦いで、攘夷の不可能なことを悟る。
以後、両藩ともにイギリスと接近して、武器購入の便を得るなどする一方、幕府に肩入れ
していたフランスを牽制する役割をイギリスに期待する。フランスに対抗心を持つイギリス
もまた、一定程度両藩の希望に答える。

教科書よりもう少し詳しい、普通の歴史の本に書いてあることを、少し付け足すと、
長州藩を代表する木戸は若い頃に江川太郎左衛門について洋楽を学んだくらいだから、
初めから、神がかり的な攘夷思想は無し。木戸よりも実年齢も精神年齢も低かった
高杉、伊藤、井上は実際に海外に行き、攘夷が無謀であることを実感する。
薩摩藩を代表する西郷、大久保は、開明的な名君といわれた島津斉彬の薫陶を最も
強く受けてたので、木戸と同様に、ナショナリズムはあっても宗教的な攘夷思想
の持ち主ではなかった。

幕末、大部分の武士は時代の風潮である攘夷気分を濃厚に持っていた。これは倒幕側も、
仕方なしに開国に踏み切った幕府側も同じ。その中にあっても、後に明治政府の重責を
担うことになる程の人物は、どこかの段階で、お祭り騒ぎの攘夷気分とは決別していた。
それから、いざ幕府を倒して、朝廷政府で、つまり自らの手で外交問題を処理する段に
なると、何人も—少なくとも責任ある立場のものは—攘夷を口にしなくなった。実際、
当事者になってみれば、攘夷の不可能なことは明々白々だから。

一個人の思想でも、壮年から晩年にいたるまで絶えず終始一貫しているとは限らないので、
ややこしい歴史の流れを正確を伝えようとすれば、もっと詳しい説明が必要でしょうが、
スレ主の基本的な疑問は、中学の教科書の説明でだいたい解決するのではないでしょうか。

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035 2017/09/12(火) 13:13:15 ID:Vh6i65XqaU
一応上から全部読んだけど、さっぱりわからん
やっぱ明治維新て難しいわ

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036 2017/10/13(金) 04:00:06 ID:nmu49/zFVc
一応上から斜め読みしたけど、嘘ばっかり書いてある
テレビドラマの見過ぎだろう
テレビとか小説とか全部が嘘だから

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037 2017/10/15(日) 14:02:20 ID:J6w1Ax.spQ
日本の歴史の中で、明治維新の真実だけは知らなきゃいけない
2chで盛んに言ってる朝鮮進駐軍なんかどうでもいい
もっと日本の根本の話だ
歴史に興味が無くても、明治維新の真実だけは知らなきゃいけない

NHKのドラマでも、堂々と明治維新の嘘を放送している
こういうところで真実を書けば、陰謀論だという工作員が出てくる
それだけ隠したいことが起こったということ

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038 2017/10/15(日) 14:36:35 ID:9Y0tBEC/Ns
>>36>>37
お聞きしたいのは、「嘘ばっか書いてある」などという文句ではなく、
「本当はこうだよ」という講釈なんですよ。
ご自分の言葉で論証可能な方向で説明していただけませんでしょうか。
論証可能と言うとちょっと堅苦しいかもしれませんが、
個人の妄想ではないですよ、というのを示しつつお願いしますという事でございます。

>>36
その画像だけで「猿にも解る」ってのはちょっといただけないと思いますよ。
ご自分の言葉で説明を是非お願いいたします。

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039 2017/10/17(火) 20:29:25 ID:NlOlYP68Cg
なんで皇族は英国留学するんだ?
と疑問に思うか、当然のことと思うか
前者なら説明してあげよう

グーグルマップで皇居西側を見ると英国大使館があるが
他国と比べて敷地がとっても広い
あそこに英国の軍隊が駐留して伊藤博文や明治天皇らを操縦してた

伊藤博文が明治を築いたことになっているが
伊藤は幕末の時点で足軽だった
戦のない幕末に足軽ということは雑兵ですらないチンピラだ
学のないチンピラに民主国家が作れるわけがない

明治に財閥が誕生したり近代化した原資というのは明治天皇による日本女性販売の収益だった
日本女性数十万人が欧米の売春宿の軒先で、全裸で犬のように繋がれるなど苦しんだお陰で繁栄した腐った国だ
当時の日本人の収入は低かったろうが、女の子一人あたり10年分の給与相当で売れたそうで
掛けることの数十万人だから天文学的金額だな

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040 2017/10/22(日) 16:59:56 ID:5QfgtB6LPA
英国は世界各地に植民地を作ったが
時代とともに、その植民地の形態が変わっていった
新しい形態では、豊かな白人国家も搾取対象になった

つまり、未開国の資源や労働力を搾取するのではなく
銀行を支配することで金融を支配する型の植民地だ

銀行を支配するには、政府を倒し傀儡政府を樹立して民間の中央銀行を設立する
政府を倒すには、宣教師を派遣して、使えそうな少数派民族を探す
それで薩摩、長州の朝鮮部落を探し当てたわけ
少数派民族を教育して右傾化し、銃器を与える

明治維新の前に、薩英戦争と下関戦争があったのは偶然ではない
英国が明治維新のための準備をしていたわけだ
ということで、薩長の朝鮮人が日本の民主化のために立ち上がったなどというのは大嘘だ
単なる英国の手先として、日本を銀行を支配する型の植民地にしたもので
それからの日本人は実に惨めな運命を辿ることになる

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041 2017/10/22(日) 23:54:15 ID:oO4kgErf42
廃藩置県 

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042 2017/10/22(日) 23:57:11 ID:oO4kgErf42
大局的にはフスマを取っ払って風通しを良くしたかったんだろうなあ

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043 2017/10/25(水) 21:47:14 ID:8.xSeayYlc
044 2017/10/27(金) 13:35:14 ID:kZuqlNOToo
日本の歴史は嘘だらけ
でも、こんなふうに時系列で見ると
何が起こっていたのか分かってしまったりする

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045 2017/11/12(日) 11:27:21 ID:BG/l7wzYgk
小説やNHKドラマでは、薩長の朝鮮人が日本を近代化するために立ち上がったと言ってるだろ
朝鮮人がそんなこと考えるわけがないじゃん

明治維新を起こしたのは英国だ
薩長の朝鮮人は英国に雇われたと考えればよい

明治に近代化して豊かになったのは上京した薩長の朝鮮人たち
それも日本の女の子を海外に販売した金で
朝鮮人天皇の無様な格好を見ろ
マントを羽織った猿回しのサルだろこれ
ったく反吐の出る連中だ

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046 2017/11/18(土) 23:19:28 ID:rmODtyj7/o
猿回しのサルが仲間を集めて日本人を苦しめている

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047 2017/11/19(日) 16:00:41 ID:9szkZkJlGQ
>>39-40
多分あなたの中では「見ればわかるだろ」という程度の話なのかもしれませんが。

証拠は。

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048 2017/11/19(日) 22:02:10 ID:0XyrMfmU7s
尊皇攘夷(薩長)と公武合体(幕府)
は実は大して変わらん
黒船で幕府も大改革しようとしていた
薩長のバックにはイギリス付いていたから純日本ではないというやつがいるが
幕府のバックものフランスが付いていた
徳川も外様大名のように新生日本の政治に関わるはずだったが
うやむやになってしまっただけ
薩長外様大名は豊臣の家臣の末裔だからむしろ260年越しにリベンジしたようなもん
だから日本政府マークには豊臣が家紋として使っていたものがそのまま使用されてる

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049 2017/11/20(月) 01:03:26 ID:hPaurphJTg
明治維新で華人支配から半島人支配になったという見方もできる
半島人はとても偏狭であり、同族の私利私欲だけで動き、民は虫けら以下となる
半島人は更に南北に分かれて争いもする
国全体での発展など微塵も考えない
それが今の政治がおかしいと思えることの根源だな

ラジオのない時代に、日本全国で言葉が通じるような仕組みが考え出されたのは天皇制ではない時代だ
天皇が引っ込み、民のための政治が行われた江戸時代に、日本文化が開花したと感じられる
その資産を明治以降に破壊しながら日本はここまでやってこれたわけだ

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050 2017/11/30(木) 02:20:22 ID:AHSpctMDtA
個人的には神仏分離は明治政府唯一の失敗だったと思う。神と仏が合体してるのは素晴らしいと思う。しかし廃仏毀釈は神仏分離を勘違いして暴走した民衆が起こしたもので政府主導ではない
戦前でも八紘一宇の日蓮や評価の高かった仏教があったわけだ。
それまでのを破壊したなら何故日露戦争で大勝利までしてるのだ?

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051 2017/11/30(木) 19:00:26 ID:GAUQrybd9Q
[YouTubeで再生]
孤立した朝鮮史

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