聖徳太子を知っていますか?


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001 2014/09/23(火) 22:44:05 ID:F/pGQZFTgM
「和を持って尊しとなす」は余りにも有名です。

https://www.youtube.com/watch?v=gsT8tnzkdbc

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004 2014/09/26(金) 07:37:24 ID:ySxg79.eVw
「これほど素晴らしい聖徳太子が嘘偽りなく本当に実在した」のでなければ、聖徳太子を作った事で利益を得た「誰か」が必ず存在する。

普通に考えるなら、その子孫。
俺の先祖はこれだけ偉大な人だったんだぜ、と言って自分を権威付けるのに利用するというもの。
しかし残念ながら、聖徳太子の子孫は全滅している。
よってこの理由は消滅する。

次に考えるのは、皇族の権威付け。
聖徳太子は天皇にはならなかったものの、皇族の一人である事は確か。
皇族に傑物が産まれるのですよ、と言って天皇・皇族の称揚に利用するというもの。
しかし、だとするなら子孫を全滅させているのは不自然。
(たとえ「聖徳太子(のモデル)」が実在し、その子孫が実際に全滅したとしても、
記録の上で直系の子孫を用意するのが、目的から見た自然な「操作」)
よってこの理由は消滅とは言わないが可能性が低い。

次に考えるのは、よく言われる藤原氏の正当化。
大聖人である聖徳太子の子孫を滅亡させたのは蘇我氏。だからこそ蘇我氏を討伐した藤原氏に正義があるという対比。
この場合、聖徳太子が聖人であればあるほど蘇我氏の悪さが増し、藤原氏の正統性が増す。

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005 2014/09/27(土) 09:23:04 ID:YuLws5IHs6
こり誰だっけ

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006 2014/09/27(土) 13:44:46 ID:vneZJy6KsU
証拠が無い、だけで実在しなかったとは断言できんでしょ

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007 2014/09/27(土) 15:21:09 ID:O4hGDu2dfM
そうですね。

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008 2014/09/27(土) 22:42:28 ID:k8.M9QBZSE
>>6
幽霊や妖怪変化の類もそうですけど。学問の世界では、存在の証拠がないものは、
多くの場合、存在しないということで良いのでは無いでしょうか。
よく言われるように、不在の証明は難しいですから。
ただ、聖徳太子のことは知りませんけどね。諸説有るようだから。

>>4
蘇我氏殺害の正当化、すなわち藤原政治の正当化というのは理に適っていますね。
そういえば、作家の井沢元彦氏が色んな所で説いている、殺した相手を褒め称えて、
怨霊の怒りを鎮めるという目的も、もしかしたら有るかも知れない。

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009 2014/09/29(月) 08:18:10 ID:LJnpBW3ZjE
>>8
>殺した相手を褒め称えて、怨霊の怒りを鎮めるという目的

だとすると、その褒め称える気のある主体は、記紀の通りなら蘇我氏と言う事になるが、
記紀編纂時には蘇我氏は既に没落していて、政治的権力は皆無だった可能性が極めて高い。

つまり、「聖徳太子が褒め称えられているのは、蘇我氏が怨霊の怒りを鎮める事を目的とした」という仮説は成立しないと考えられる。

聖徳太子一族を滅亡させたのが蘇我氏ではなく、真犯人がいるなら別だけど。

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010 2014/09/29(月) 19:47:43 ID:RwBzQtERO6
>>9
確かにそうなる。話しを厩戸皇子が、聖徳太子に変身した頃に遡らなければいけませんね。
その聖徳太子伝説を、藤原不比等健在の時代の編者がなぜ受け入れたか?
①前の方が指摘した、偉大な太子を殺害した蘇我氏の悪玉振りを強調する。
イコール藤原氏の正統性の強調につながるという推測。
②他に可能性を考えれば、利害関係抜きで、伝説をそのまま受け入れた。
③或いは、怨霊一般を恐れた(別段身にやましい点が無くても)。

想像をたくましゅうすれば、実はやましいところが大いにあった可能性もある。
例えば山背大兄王暗殺のような“凶行”を、実は藤原氏が首謀また実行し、それを
蘇我氏の事跡にすりかえれば、記録としての歴史は変えることが出来るが、太子に
つながる怨霊を恐れる心の闇は残ることになる。

まあ、100%想像ですけど。しかし、先の大戦のことですら、一部の軍人の意図的な
発言によって、事実と違った事が事実としてまかり通っている例もありますから。
こんな昔の、チェック機関のない時代に政権側によって書かれた書物は、疑い始めれば
きりが無いですね。

ただ、すべてが藤原氏や天武天皇(舎人親王の父)の顕彰目的で首尾一貫していると
考えると不自然な点もあるし、さりとて伝えられたことを有りの儘に書いたとはとうてい
思えなし。それ以上のことは、素人の自分には分からない。

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011 2014/09/29(月) 20:28:52 ID:5//WBfqpkQ
>>10
藤原氏を真犯人と考えれば、おおまかな筋は通る。

しかし、記紀で聖徳太子が顕彰されてはいるが、藤原氏が聖徳太子及び山背大兄王を祀った様子は無い。
また、謀略で失脚された蘇我氏に対して恨みを恐れるような部分が無い。これは矛盾となる。
(恨みを恐れないのであれば、そもそも聖徳太子をそこまで称揚する理由付けが消えるし、
恨みを恐れるのであれば蘇我氏に配慮をしないのはおかしい)

>すべてが藤原氏や天武天皇(舎人親王の父)の顕彰目的で首尾一貫していると考えると不自然な点もある

天武天皇発願で記紀が編纂されたから「天武天皇を顕彰する目的」と思われがちだが、それはまったく違う。
藤原氏は天智天皇派であり、完成したのは天智天皇の娘・持統天皇の影響下の時代。
つまり実際は、「天智天皇と中臣(藤原)鎌足」の直系「持統天皇と藤原不比等」の時代に「公認」された書物であると言える。
天武の偉業はさりげなく天智や持統のものになっているとも指摘される。
そう考えると不自然さが無くなる。

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012 2014/10/03(金) 07:56:45 ID:31k4pCjQ/E
皇族の顕彰目的でしょ。
他にも「聖帝」とか数人いるし。

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013 2014/10/03(金) 19:24:20 ID:FKdD.dmThQ
そういえば江戸時代の国学者の山片蟠桃が聖徳太子暗殺説を提唱してたな
河内国下ノ太子(現在の大阪にある太子堂の大聖勝軍寺)に古い縁起絵巻があって
聖徳太子とその母・妻・子四人が毒殺されたという記述と吐血のシーンを書いた絵巻があったそうな
ちなみに現在は現存してません

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014 2014/10/05(日) 16:02:39 ID:AlxUgNK7pk
>>11
成る程、日本書紀の編者が太子の怨霊を恐れる蓋然性は低いようですね。
しかし、それとは別の話ですが、壬申の乱の記述は天智天皇に都合の良いように
改作?或いは捏造?されたという説は、昔から有力ですよね。

>>13
聖徳太子暗殺説は何かで読んだことが有ります。
何で読んだかも、詳細も忘れてしまいましたが、説得力のある話だったと記憶しています。

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015 2014/10/05(日) 16:17:18 ID:AlxUgNK7pk
>>14
〈訂正〉
×天智天皇に都合の良いように
○天武天皇に都合の良いように

序に、改竄隠蔽されたとされる内容は、大海人皇子(天武天皇)に殺害された
大友皇子は、実は既に即位して天皇になっていた、というもの。つまり、天武は
皇子ではなく天皇を殺害して自ら即位したとする説。

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016 2014/10/05(日) 21:30:20 ID:peZn1wKU0g
>>14
>壬申の乱の記述は天武天皇に都合の良いように改作?或いは捏造?されたという説

私はその説は誤りだと思ってます。
根拠は、天武天皇の即位前「大海人皇子」としての活躍が貧弱だからです。
天武天皇に都合よく捏造するつもりなら、若い頃の武勇伝をもっと追加しないわけがないからです。

まあ、大きな事件が無いなら捏造しようがないという言い訳もあるでしょうが、
大海人皇子が若い頃、乙巳の変や白村江の戦いなどの日本史に残る重要事件が相次ぎます。
その主役は大海人皇子の兄(一説には弟)の中大兄皇子(天智天皇)であり、
そこで活躍させないどころか名前も出てこないのは、記紀(編者)が「天武天皇を蔑ろにしている」からに他ならないと考えます。

記紀が「天武天皇に都合が良いように」捏造するのなら、たとえ事実がどうであっても
「天武天皇は乙巳の変や白村江の戦いで大活躍した」と書くはずです。
書かないはずがありません。

書いていないという事は、仮に参加し活躍していたとしてもそれを黙殺したという事。
活躍・参加していないならそのまま書いたという事であり、天武天皇の扱いがぞんざいであることには変わりありません。

さて、そのように記紀の記述において冷遇されている天武天皇ですが、
現(記紀編纂時)権力者である持統天皇との夫でもありますから、そう悪し様にも書けません。
武烈天皇のように書いてしまうと、現天皇の権威まで失墜してしまうのですから、
「腫れ物に触るように」書くしかなかったと思います。
だからこそ、伝わるような記述になったのだと考えています。

ところで、記紀編纂を発願したのは天武天皇とありますが、命は元明天皇。
天照大神に祈り戦勝したと言われる天武天皇ですが、伊勢神宮の遷宮も持統天皇の御代。
そんな風に、天武天皇「だけ」の実績というのは実はほとんどありません。

決定的な事に、天皇家の菩提寺である京都の泉涌寺には、天武系天皇の位牌が無いのです。
天武天皇は、歴代天皇にとって異質な存在だったのだと思います。
(存在を抹消する事は出来ないが、かと言って悪し様にするわけにもいかない存在)

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017 2014/10/05(日) 21:39:40 ID:1kQciHG8As
>>16は自分で書いておいてなんだが、長文過ぎると反省した。ゴメン。

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018 2014/10/05(日) 21:51:14 ID:lcITqB/1jA
まだ俺はここらへんの時代の知識が乏しいからたいしたこと書けないが
個人的に一つだけ気になることがある
天智の諡号は中国史上最悪とされる殷の紂王ゆかりの字で
天武の諡号は紂王を滅ぼした商の武王に由来するものだ

>>11さんの言うように持
記紀が「天智天皇と中臣(藤原)鎌足」の直系「持統天皇と藤原不比等」の時代に「公認」された書物だとすると
なんで持統天皇と藤原不比等は天智、天武なんて諡号を認めたんだろう
諡号を付けたとされる淡海三船も天智天皇のやしゃごだし、そんな悪い諡号を付けるとは思えないんだが

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019 2014/10/06(月) 07:57:31 ID:GZi/9shnRE
>>18
>天智の諡号は中国史上最悪とされる殷の紂王ゆかりの字で
>天武の諡号は紂王を滅ぼした商の武王に由来するものだ

面白い。
恥ずかしながら初耳です。
単に「智」と「武」の兄弟一対だと思っていた。

漢風諡号は仰る通り淡海三船がそれぞれの天皇の事績などを参考に付けた号ですから、
淡海三船の価値観・歴史観が大きく影響している事は間違いないでしょう。
深く考えた事はありませんでしたが、参考になるような資料・サイトなどあれば教えてください。

特に、殷の紂王ゆかりの字とかわかる資料があれば見てみたいです。

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020 2014/10/06(月) 14:01:30 ID:sUVilwJkio
森鴎外が歴代天皇の謚号の由来、出典について考証した『帝謚考』に書かれているみたいですね
『帝諡考』は岩波書店『鴎外全集』の中に収められているみたいです

「天智天皇 諡号 天智玉」でググるとたくさん出てきます

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021 2014/10/06(月) 22:44:21 ID:Oy9WqrVFyk
>>20
ググりました。面白いです。
しかしそうなると、僧であり博学な淡海三船がその意味を知らないわけがないという前提で
考えるなら、当時はたしか「復活した天智朝」と言っても差し支えないはずでしたから、
相当な覚悟を必要とした諡号撰述だったのでしょうね。

パッと見(もしくは真の知識人でなければ)は天智天武共に違和感を感じない諡。
ただし漢学に明るければ、天智を悪人とし、天武をそれを討った善人とした意図が分かる。

これはもしかしたら、歴史の勝者に真実を隠蔽された天武天皇を憐れんだためではないでしょうか。
「天智天皇から指名された皇太子を蹴落とし武力で皇位を奪った」と明記された天武天皇ですが、
その実態は違う、という事を指摘したかったように思えてなりません。
記紀では天武天皇は悪し様には書かれていませんが、流れで読めば明らかに皇位簒奪者です。
その天武天皇に「悪帝を討った善帝」を意味する「武」をあてがうとは・・・。

そしてその天武天皇が、歴代天皇菩提寺である泉涌寺で弔われていない事実。
これはもう、「悪側」つまり「天智朝(系統天皇)」が勝利し、「善側」つまり「天武朝」が敗北した事を意味するように読めます。
淡海三船はその世に疑問を呈するかのように、善悪を暗示する文字をあてがったのではないでしょうか。

創造の幅が広がります。
楽しい。

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022 2015/07/24(金) 20:23:30 ID:5su/RmKEV6
聖徳太子末裔ならば、山梨に
甲斐の黒駒話もあるし。
天津名はわかるよな?
本当の天皇だ

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023 2015/07/26(日) 08:40:10 ID:s6DAMg/gZA
聖徳太子は蘇我系であるから、
蘇我同族内で善玉悪玉を設定し
蘇我氏の怨霊を鎮めた(中和した、あるいは事跡を消去できないので架空の善玉に担わせた)とはならぬのですかの

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024 2018/03/17(土) 17:53:33 ID:LRQBVWDB8o
聖徳太子は、7〜10人くらいなら同時に話されても会話内容をきちんと聞き取れたらしいぞ。すんごいですね!

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