人間の社会体を考えるとき、どの単位をひとつとするか?
つまり、地域共同体のような目に見える具体的な人の集団しか問題にしなければ
共同体であろうがなんであろうが、人の寿命のそうといんでもない掛け数を待たず消滅する。
日本の地方という社会の目を覆うばかりの消失はたった半世紀のできごとだ。
シュペングラーなんかを持ち出したのは、また精神や魂を持ち出したのも、
人間は社会的集団であり、社会それぞれが統一した意識構造を持つことで単位をなすからで、
魂は最も深い位置にあって、社会意識が発生した原始からずっとこころの基礎をなしており、
精神はその上層に浮遊して歴史の各段階に応じた価値をもとに変幻に組み立てられてきた。
そう見ればアシュラムは継続的な社会を紡いでいるし、
「皇統一系」もかすか〜にそれに属するかもしれなくもなくなくはない?ww。
てなことが趣旨だったんだがや。
19世紀国民国家の黎明期に、とくに遅れて発展したドイツで盛んに考えられた諸理論は
衆愚が主人のごとく闊歩する今のような時代にこそ、興味深いことでありもなくもなくなくはない?
返信する