方法論、もう少し絞れば徴税方法、徴税パタンが一新されたときに、新たな文明に取って代わったと言明できる。
だが、もちろん徴税テクニックという「点」だけ凝視してもあまり意味はなく、国家財政全体の回し方の方に注目しなければならない。
そのパタンが変貌する(せざるを得ない)ときに文明のシフトが起きる。
それが滅多に起きないからこそ、人類史は「古代、中世、近世、近代、現代」程度の分類で済んでしまい、
「古代、中世、近世、近代、現代」の「財政システム」を辿ってゆくと、「文明」の変遷が描き出せるというわけである。
国家とは、財や資源の配分装置という意味ではかつては唯一機能的な「市場」でもあった。
沈黙交易とか象徴交換などは「市場」ではないのである。
国家とは別の系統に分岐した「交換的な形態」を装った税と分配装置を「市場」と呼ぶ。
「市場」における「税」は「利益」であり、「分配」は「流通」である。
市場が利益を追求するように、国家は税を追求する。市場が流通阻害で異常(機能不全)を来すように、国家は分配方法を誤れば異常(暴動や政権崩壊、革命)が起きる。
市場が利益飽和を起せば衰退するように、国家が税収を失えば衰退する。
企業がその事業利益に基づいて健康度が測れるように、国家と文明も徴税によって健康度が診断できる。
「徴税困難性」という補助線で、お馴染みの歴史区分の「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の区分けの成り立ちの真因が判明する。
返信する