鮎川義介氏
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001 2016/06/01(水) 20:48:12 ID:of5PEgTqow
008 2016/12/24(土) 22:53:29 ID:2GXlEzDHoc
>昭和12年(1937年)、当時の社長であった鮎川義介氏から特命を受けた。
ナチス・ドイツで「国民車」という革新的な小型車が出来ていると聞いた、購入して日本に送れというものであった。
この時期、日本とドイツは同盟関係にあったので、ドイツ駐在の大島大使から添え状を貰って、ハノーバーからまだ単線であった列車に乗って、
列車に乗って、ウォルフスブルクの寒村に建設されていた国民車工場を訪ねた。折よくフェルディナント・ポルシェ博士に会うことができた。
博士は工場はまだ一部稼動であり完成車もなくはないが、これは労働者手帖(KdF)保持者が月額5マルクずつ積み立て、
それが500マルクに達したら車を渡すもので、法律上から車の売却は出来ない。しかし自分の設計に興味を持ってくれた事には感謝する、
設計資料も渡すし何よりも工場に留まって、生産状況を見学してゆかないか、という真に親切な申し出を受けた。
工場には博士の子息のフェリー氏がいて、同じ年配でもあり直ぐ仲良くなって、技術解説も丁寧に受けた。
戦後かなり経てからオーストリーのツエルアム・ゼー湖畔の山腹に建つポルシェ家でフェリー氏と再会し、
昔話に花を咲かせた数年後に氏は亡くなられた。
荒木貞發
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