後藤又兵衛の最期を記す史料発見
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001 2016/11/17(木) 21:41:50 ID:fOeIw8HFrg
NHKの大河ドラマ「真田丸」にも登場する武将、後藤又兵衛が大坂夏の陣で討ち死にした場面を記した書面が見つかりました。ひん死の又兵衛の首を、豊臣秀頼からもらった刀で落としたことなどが記されていて、専門家は、又兵衛の秀頼への忠誠心を示す貴重な史料だとしています。
後藤又兵衛は、その勇猛さから「槍の又兵衛」と称された武将で、大坂夏の陣で豊臣方について、大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田信繁らとともに戦いましたが、伊達政宗の鉄砲隊に撃たれて最期を遂げたとされています。
見つかった書面は横35センチ、縦27.4センチで、又兵衛が討ち死にしたときの様子が13行にわたって記されています。
それによりますと、又兵衛の下で戦っていた武将、金万平右衛門が、ひん死となった又兵衛の首を、秀頼から又兵衛に与えられていた刀で落とし、秀頼に刀を返したと記されています。また、その際に首を持ち帰ることができなかったため、又兵衛の折れた旗を討ち死にの証拠として秀頼に差し出したなどと記されています。
書面は、京都府内に住む平右衛門の末えいの元に残され、岡山県立博物館の調査で内容が初めて明らかになったということです。
調査に関わった、九州大学基幹教育院の福田千鶴教授は「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げたと言うことができ、又兵衛らの秀頼に対する思いとともに、秀頼が又兵衛を信頼していたことも読み取れる貴重な史料だ」としています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161117/k1001077234...
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003 2016/11/18(金) 11:54:38 ID:eBtQcPumL6
>>2 長澤まさみの「関白を怒鳴りつける侍女」のインパクトよりマシだろう?
まぁ、クソ・シナリオが悪いんだけどね。
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004 2016/11/28(月) 19:00:07 ID:hUs7rwGotE
005 2016/11/28(月) 22:13:17 ID:v2P94ZD1V.
>>4 しかし、一説には大阪方の敗戦の後は、放浪の旅で西下し、縁故のあるこの地へ落ちのび、
隠棲の中で豊臣家再興を期していましたが、風の便りに豊臣家廃嫡の不運を知り、遂に自刃したと伝えられています。
しばらく時が過ぎて村人は、この自刃した武士が後藤又兵衛であったことを知り、墓を立てましたが、
後に、伊福茂助が昔の墓の荒廃を見かねて建てかえたのが宝暦13年(1763年)でした。
墓には「義刃智光居士」と書いてあります。碑文は「居士俗名を又兵衛と云う何処の人なるかを知らず。
往昔この邑に寓居すること3年志気に英で武徳俊高にして眼光人を射る。憶に諸侯丈夫に逆うての謫居するものか
承応3年(1654年)正月29日夜剣刃にて自殺す時往き歳久しく石碑欠落す。よってここに里人古を慕いて新に石碑を建て
冥福に資するものなり」とあり、後藤又兵衛とは、はっきり書いていませんが、世は徳川時代で幕府に遠慮してのことであったと思われます。
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2013100900062... 落ち武者伝説のようですね
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006 2016/12/06(火) 18:51:16 ID:w8.ecisgK.
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