縄文時代の竪穴式住居


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001 2017/05/14(日) 10:23:48 ID:yypWTqDH/I
いつの時代も「衣食住」は必要なんです!

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※省略されてます すべて表示...
003 2017/05/21(日) 10:41:22 ID:swW8USk70g
>>2

茨城県石岡市。
常陸風土記の丘です。

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004 2017/05/22(月) 12:00:56 ID:NgO6vw4VeM
上部構造は推測の部分が多い。
実際はこんな外見ではないかもね。

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005 2017/05/22(月) 14:52:04 ID:FMragYv/Lg
>>4

勉強になります。
ありがとうございました!

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006 2017/05/25(木) 09:02:38 ID:r.CrosuUQc
平安朝頃まで庶民は竪穴住居だったらしい

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007 2017/05/26(金) 10:52:23 ID:fSdn6aiuAg
>>6
それが発展して農家の茅葺き屋根の住居になっていったと考えられているので、現存している茅葺き屋根の構造を参考に竪穴式住居を再現しているにすぎないんだよね

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008 2017/05/28(日) 10:33:28 ID:aug3ixHZaw
>>7
またまた詳しい説明をありがとうございます。

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009 2017/05/30(火) 11:10:44 ID:1exrfONNG2
子供の頃から、竪穴式住居で不思議だったのが、地面を掘り下げているわけだから、土砂降りの時に水浸しになるのでは…と。
そうならない技術があったのか、それよりも優先するメリットがあったのか…。

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010 2017/05/30(火) 23:03:42 ID:awn2tsoNjc
>>9
そもそも、竪穴式住居は雨水が周辺から流れ込まないような小高い丘の上(南東向きの場所、北傾斜の土地からは住居跡は出てこない)に建てられ、集落を形成しているし、住居の周りに溝をほって排水路を作っていたので雨水が侵入することはなかったと思われます。

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011 2017/06/02(金) 18:14:48 ID:Cmoxfedx6M
横穴式住居の方が、屋根作る手間かかんねーじゃん。

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012 2017/06/03(土) 12:15:32 ID:.v9GJmj6Gc
>>11
横穴式住居は自然に出来た洞窟等の横穴を利用しますが、ゼロベースからだと掘る手間がかかるのと崩落の危険性、または炉の排煙の関係もあって普及しなかったか、それとも山の斜面に横穴を掘っていたとしても、長年の風化で土砂に埋もれ未だに発見されてないだけかも
仮に開発業者が山を切り崩していて横穴が出てきても防空壕跡ぐらいの認識でそのまま崩しちゃうんじゃないのかな

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013 2017/06/03(土) 13:13:20 ID:1m0Cv70uh6
ちなみに、明治の文化政策で東北の農民、特にアイヌの竪穴式住居を禁じていわゆる文化住宅を強要したんだが
寒くてね、冬場の栄養不足とあわせて大勢がやまい死にした。
砂漠もそうだけど、20センチも掘れば地上温度の影響はほとんど受けなくなる。
東北でも地中温度はだいたい10度〜14度、つまり地下水温度と一緒だからね、井戸水って夏は冷たく冬は暖かく感じるでしょ?
浅く掘った地面に藁でも敷いて革の敷物でも置いたら夏は涼しいし、冬は暖かい。
竪穴式住居は、存外日本の風土にあっていて、昨今のエコブームで建築界ではむしろ見直されているよ。

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014 2017/06/04(日) 05:14:37 ID:GKvT7ELqVU
>>13
湿気がヤバそうだけど。

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015 2017/06/04(日) 14:49:08 ID:S9eD6c8mow
>>13

またまた勉強になります。
ありがとうございます。

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016 2017/06/04(日) 19:25:14 ID:DWNARPmt5I
耐湿気はむしろ現代の合成建材のほうがはなはだしい。
掘っ立てで現代の建材を被せたらそりゃすんごい湿気だろうねww
でも葦や萱で葺いた屋根をかぶせるぶんには、ほとんど問題がない。
むしろ過度の乾燥や湿気を勝手に調整してくれるからね、エアコンいらず。

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017 2017/06/15(木) 23:36:28 ID:mqyCvXie/6
日本の長期人口推移と気温

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018 2017/06/17(土) 10:54:44 ID:/.opAyZ0nQ
>>16
ホントに色々な事を知ってるんですね。
参りました!

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019 2017/06/18(日) 07:01:25 ID:YzW1foq1QA
>葦や萱で葺いた屋根をかぶせるぶんには、ほとんど問題がない。

問題無いか知らんが、耐用年数が過ぎても葺き替えが出来ないし、
冬場のすきま風や夏場の虫の発生、梅雨時のカビとか、良い所無しだろ。
そもそも、そんな土間みたいな所に藁や毛皮敷いての生活は、御免被る。

そんなに「竪穴式住居」が優れているのなら、今でも残っているはず。
だが、誰もそんな土間で生活なんてしたいと思わないから、残っていない。
つまり、そう言う事。劣る物は淘汰される。

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020 2017/06/18(日) 10:42:02 ID:Xq6Mb3nDZU
別に現代でも通用する云々という話ではないでしょ

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021 2017/06/18(日) 14:12:46 ID:d8wAswZ0EA
御免被るって、こいつ(>>19)いったい何時代を生きてるんだろうか?
まあ、エアコンつけなかったのは、確かに縄文人の手落ちだった。

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022 2017/06/19(月) 12:42:24 ID:ku2tftyIws
>>10
なるほど、そういう場所に建ててたわけですな。
昔は、水浸しになるのは、気にしないのかと思ってたw
勉強になります!

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023 2017/06/20(火) 14:50:34 ID:K.p1.gshk6
縄文集落がある高台はね、北側に谷川のある台地ということがよくある。北風を避けるためにその対岸がさらに高いという立地。
これは夏に南の日当たりが上昇気流を作って谷の涼しい空気を吸い上げる。そこに家を建てたんだ。
冬は分厚い茅葺のデッドエアースペースが十分に暖房を外に逃さない。北側の谷の比較的安定した気温の恩恵も受ける。
これは「微気象」といって昨今、省エネ=エコな住環境づくりに注目されている。
僕のマンションも都心のやや東南向きの6階建ての4階。周りが低層住宅の古い町。
北側の玄関にインナーのブラインドドアを付けた。窓全部に網戸をつけて夏に解放すると
面=南側の庭の空気は日当たりで温められ、北側の日陰から涼しい空気を部屋中に呼び込む縄文方式となる。
さらに、南南東の向きは半間のひさしで、夏は部屋に日差しが入らず、冬は二間の奥行きに日が届く。
裏=北側も西北西向きだから春分前から日差しがあるし、エアコンはひどい熱帯夜の1週間たらず。冬も同じくらい。
オール家電のお隣さんが4〜5万の光熱費、ウチは2万を越えたことはない。
古いマンションの設計自由度が、縄文人の知恵を拝借できたおかげでしょう。

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024 2017/06/24(土) 13:54:20 ID:F02ei0xOM2
縄文人の知恵は凄い!

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025 2017/07/02(日) 03:24:01 ID:lFWoiDJ0Gw
>>23
そりゃ、「都心」と言っても「ヒートアイランド現象」起こらない、地方都市の「都心」だな。

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026 2017/07/02(日) 23:59:46 ID:4uhMseAR/6
>>25
ヒートアイランド現象はオープンエアの中で起こる現象。閉じた空間ではない。
気性も生き物みたいなものだかららね。メディアの通り一遍の解説とはずいぶん違う振る舞いをするよ。
たとえば、新宿には御苑がある。あるていどの開けた空間があると放射冷却が起こってね
周りの熱を「宇宙」に放出する。
これだけで、無風の熱帯夜でも新宿御苑の周りの街、たとえば新宿一丁目や内藤町では
御苑の緑の冷却効果に、放射冷却による大気の流動が起こって駅前より2〜3度は低くなる。
僕の住んでいるところは東大駒場キャンパス、駒場公園、駒場野公園などが点在しているし
庶民的だけど、古い街だから小さな民家の植え込みも緑が深い。
さらに小さな運動公園があったり、そういう環境で起こる中間気象をうまく利用できると
無風の夜でも柔らかい涼風がずっと寝室に吹いてくれる。
熱帯夜の渋谷から一、二キロ離れただけでエアコン不要の寝室ができるのさ。
うまく利用できるとね。

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027 2017/07/19(水) 10:31:30 ID:ZvM3adbF7o
換気で屋根の煙出しや扉全開、虫に悩みそうなのはスサノオの髪がムカデだらけな逸話からも察せられる
まあ内部は煤で防虫、床は盛んに箒で掃いていればウジャウジャってほどにはならない気はするけど

藁敷きというか床断熱が茣蓙やクッションみたいな袋詰めなら替えも楽だろうし天日干しできそうだし

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028 2017/07/22(土) 11:41:12 ID:Nc84.bEOyQ
>>26
地区限定の特殊環境な話はやめてね。

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029 2017/07/22(土) 15:55:30 ID:evLX9kbu4k
>>28
人の住まい方の根本が近代経済原理にひれ伏している。
という文脈が「縄文」の住まいを語るにふさわしいと考えたんだよ。

もちろん、都心部に住むという絶望的な制約はある。
銀座のビルで花壇や畑をやったり、その花を目当てにミツバチを飼ったりしてる人に知人ができたんだけど
縄文集落(弥生集落は水稲農業の経済原理の制約を受けて変質していく)の話題はよく出てるよ
制約の中でも知恵を振り絞って人生を生きようってわけさ。
そっちがずっと楽しいからね。

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030 2017/07/23(日) 22:29:10 ID:QcXJGvKQfY
いい事言うね。

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031 2017/07/24(月) 01:04:42 ID:8XNmyGtKbQ
知力の優劣がモロにわかるやりとりですな
>>29は、賢いわ

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032 2017/10/15(日) 08:09:45 ID:w9E/k0ZInQ
黒塚古墳です。

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033 2017/11/12(日) 23:11:03 ID:qm4tEuD3.Y
縄文時代って、1500年も続いたんだな。
それって、聖徳太子よりも前から現在まで、
何の発展もせず、ずっと同じ文明・文化が続いているのと同じことだろ。
縄文人って、一体何をしてたんだ。

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034 2017/11/13(月) 17:40:29 ID:AiklGT.y0Q
1500年?
桁間違えてない?

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035 2017/11/13(月) 21:08:00 ID:sk.Tfuv2sA
>>33
縄文時代は12000〜13000年間くらいでしょ。

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036 2017/11/14(火) 17:35:38 ID:IZWQJ4ZNh.
>>33
何をしてたって、そりゃぁ縄文式土器をせっせとこしらえてんだろ。

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037 2018/01/04(木) 15:30:50 ID:gqPBnmwdYY
古代のロマン。

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038 2018/02/24(土) 08:28:14 ID:c2Npt0Aj.Y
縄文時代の後期は、寒冷化のせいで、人口や文化が低迷した、という定説があったが、否定されつつある。では、真相は?
 縄文時代の後期は、寒冷化のせいで、人口や文化が低迷した、という定説があった。
 縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期に分けられる。このうち文化的なピークは火炎土器を生んだ中期で、そのあとの後期(約4500年〜3300年前)以降は生産力が限界を迎えたため、社会が行き詰まったというのが一般的考え方だった。
 きっかけと言われるのが中期末からの寒冷化だ。気候変動で日本では食糧資源の内容が急変。多くの人口が抱えられなくなり、稲作を導入する基盤となったとされてきた。
( → 朝日新聞 夕刊 2014-12-15 )
 しかしこの定説は、否定されつつある。学会で新たに、否定的な報告が出たそうだ。

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039 2018/03/25(日) 09:30:27 ID:VQqDasSwvI
埼玉県北足立郡新郷村
鳥居が初めて被差別部落の調査を行ったことを確認できるのは、1893年12月に大野延 太郎とともに赴いた同村M地区である。
同部落で鳥居と大野が調査したのは、「むろや」 と呼ばれる「掘タテ小舎」についてである。
「むろや」は同地区の家屋にほぼ一軒に一つ ずつ設けられている小屋で、
四角形の穴を一尺四五寸から二尺四五寸くらいの深さまで 掘り,その上に藁や蓆を敷いたものである。
穴の内部は四方の土壁に蓆を張り、竹木で 固定する。
さらに木で三角の屋根を組んで藁を葺き、この屋根に地上からの出入り口を 設け、梯子をかけて室内に入る構造となっている。
報告では、古来「むろ」と呼 ばれてきたこの小舎を、同地の住民は冬期に寒さを防ぎ、竹細工をする作業場として利 用してきたことを、スケッチとともに紹介している。

(「20世紀初頭におけるアカデミズムと部落問題認識 ─ 鳥居龍蔵の日本人種論と被差別部落民調査の検討から ─」)
関口 寛

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040 2018/03/25(日) 23:22:28 ID:VQqDasSwvI
埼玉県北足立郡新郷村
別所というやつだ
竪穴式住居残存地域と目された地域が今や
「北部の別所沼公園周辺の高台は埼玉県内有数の高級住宅街であり、さいたま市内で5番目に公示地価が高い」

ちなみに、アイヌ住宅に床を普及させようとしたが、寒すぎて竪穴式に戻ったくらい、機能性は高い

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041 2018/05/10(木) 18:59:20 ID:.ZVFNAVtvU
>>40
いろいろ教えてくれてありがとう。

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042 2018/05/10(木) 23:45:31 ID:b9a3Jr0hRk
カナダでは地下都市の発達が凄いんだそうだ
道民だって暖房費は大変なんだろう
日本海側の独居老人の雪下ろしは深刻な問題だろう
それを考えたら地下都市はアリだと思うんだ

これから氷河期になったら、どんだけ凍死、餓死するだろうな
核癒合発電もそろそろと聞くし、地下野菜工場も作り始めないといけない

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043 2018/05/12(土) 20:39:08 ID:jcylOrO4xA
>>42
地下で水稲を栽培実験してるところがあるけど、まだまだ課題が多いみたいだね。太陽は偉大だって言ってたよ。

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044 2018/07/01(日) 06:29:33 ID:1J.rlGcByw
>>43

いろいろ勉強になります。
ありがとうございます!

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045 2018/08/18(土) 07:35:44 ID:wj0untSypY
竪穴住居の耐用年数は、20年ほどです。彼らは農耕をしていたのですが、おそらく焼き畑のようなことをして、転々と住まいを移し、そして地力が回復する頃にまた戻ってくる。
ただ、住まいに限らず、縄文人には、恒久的な住まいをつくろうという発想はないでしょうね。
彼らは、命がついえたらまた復活する、やや行き過ぎると、命が終わらなければ新しいものは生まれないという考え方を持っているんです。
せっかく建てた住居が明日壊れるようでは困りますが、単純に木や茅が朽ちるまで修繕を重ねて、それ以上をのぞむこともなかったでしょうね。

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046 2018/08/18(土) 18:48:43 ID:SNSiSbiqSM
宮本常一によれば・・・
信貴山絵巻では平安末期まで一般住宅はそんなものであったと知れる
竪穴式住居なら昭和の初めまで千葉県市川市以東の堀込式藁葺住宅が多かった
飛騨高山高根村の作業小屋兼寝泊りのほおかむり小屋、大分県日田のそれとそっくりな作業小屋
(ヒダ族なのか?アワ、ヒエ、キビ、堅果植物栽培中心のライフスタイルに利便性があるのか?)
奈良の金剛砂採集集落の住居も、鉱物採集は山人の流れなのか、昭和初期まで竪穴式

ということで、縄文時代、弥生時代だけが竪穴式住居ではない
アイヌのチセは平地式なので、縄文と類縁関係があっても竪穴式とは限らない
縄文系でも海洋性が高まれば家船に棲むし

建築基準法的に現代住宅では許されないかな

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047 2018/08/21(火) 06:42:20 ID:W9qaLjRGaY
縄文時代にあったムラの最大の特徴は、(現代のような貧富・人権といった価値観がそもそも無い為)自然の脅威に全員が平等にあたっていた事だと思う。
すなわち、全員の日々の生活が自然への畏敬に直結している。
老⇒子へ自然の摂理を伝承しながら、皆が熟知し、『集団第一』という共認によって、縄文時代のムラは、真正面から外圧と向き合っていたと思われる。
『個』を叫ぶ現代人が、縄文気質を薄れ行く中で、今一度学ぶべき所を抽出していく必要があるように思う。

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048 2018/08/28(火) 14:44:30 ID:jqWyi7PxYI
土偶は女性。

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049 2018/10/08(月) 11:11:55 ID:gPxZkzyw02
住まいは大事。

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050 2018/12/02(日) 08:14:25 ID:x9J8FRGx.c
住居は大事。

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051 2019/01/03(木) 08:33:24 ID:7nBavu757o
古代のロマン

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052 2019/01/13(日) 15:10:18 ID:1CE0VrTH9.
地表に窪くぼみとして残る先史時代の竪穴住居跡について、
北海道教育委員会が2015年に始めた調査で、道内1335遺跡で約2万3000軒を確認したことがわかった。
道教委では、これらの竪穴群を「北海道・北東北の縄文遺跡群」に続く世界文化遺産候補とする想定で、
21年度まで調査を続け、全容を把握する考えだ。
4年にわたる調査の結果、竪穴のある遺跡が最も多かったのは根室地方で470か所。
続いて釧路地方で302か所、オホーツク地方で202か所などで、道東に集中していることが確認された。
時代別では、擦文文化期(7世紀後半〜12世紀頃)が最多の約590か所で、
続縄文文化期(2千数百年前〜7世紀頃)が約180か所、
オホーツク文化期(5〜9世紀)が約90か所など。
約460か所については時代が不明だった。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20190110-OYT1T50028.ht...

ちなみにアイヌ文化期は13世紀から。寒いのになぜ急に平地式になったのか?

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053 2019/03/08(金) 10:53:19 ID:6yYr.3W0rk
人間は強い。

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054 2019/05/26(日) 15:31:27 ID:.OaNslo6Wg
住まいは大事

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055 2019/07/29(月) 19:40:23 ID:gsWCiwsUgg
雇用も大事

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056 2019/08/11(日) 09:33:24 ID:kAORRLk7QA
まぁこんな物の中に入らなきゃならないのは
寒いときや雨風が強い時だけだっただろうね、家畜小屋級に

定住とかプライバシーとかの概念も無く、テント的にあっさり建てるものだったろうし

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057 2019/10/14(月) 09:36:52 ID:KJRcnwnZ9g
トイレは叢?

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058 2020/01/28(火) 13:54:21 ID:gJMl3adohA
太古のロマン

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059 2020/12/18(金) 03:55:30 ID:jPuQT/ItOA
ジャレド・ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章 要約?

氷河期(ヴュルム氷期)が終わると海面上昇でアジア大陸の一部から巨大な群島となった日本列島は
雨は夏の植物育成期に集中しナッツのとれる落葉広葉樹林、シーフードが大量に発生
世界最古の土器は、12,700年前に日本で作られ、人口爆発を生み出し、日本の人口は推定数千から、25万人程度にまで増えた。

数週間ごとに拠点を移し、作るのは小屋程度で、所有物も少なく簡単に持ち運びできるものだけという現代の狩猟採集民とは大きくちがっている。
たとえば食べ残しの残骸を見ると、縄文人はクリとクルミの粉に、ブタや鹿の肉と血と鳥の卵を各種の比率で混ぜ合わせ、
炭水化物の多いマダム縄文クッキーか、あるいは高タンパク質のマック縄文バーガーを作っていた。縄文人は、狩猟採集民としては史上最高クラスの人口密度で暮らしていた。
縄文時代の日本で驚異的なのは、外部世界との接触が多少はあったということではなく、その接触が縄文社会にほとんど影響しない保守的なミニ世界で、一万年にわたり孤立を保ち、ほとんど変化しなかった??脆弱で急変する当時の世界の中で、安定の島だったのだ。

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060 2020/12/18(金) 03:58:14 ID:jPuQT/ItOA
縄文人が何を持っていたかについて強調してきたので、何を持っていなかったかについてもはっきりさせておこう。
集約農業はなく、そもそも少しでも農業があったかもはっきりしない。犬(そしてひょっとしたらブタ)以外は家畜もなかった。金属道具も持たず、書字も布もなかった。
縄文集落や墓地は、豊かな装飾付きの家や墳墓が、他の特色のないものと対比されているような構成にはなっていない——つまり首長と平民といった社会の階層化はほとんどなかったということだ。
土器の様式の地域ごとの差を見ると、政治的な中央集権化や統合に向かう様子はあまりない。
こうしたマイナスの特徴はどれも、縄文時代の日本からほんの数百キロ離れていただけの、中国や朝鮮の同時代社会とは著しい対照を見せている—

400BC までの対馬海峡は、豊かな農民と貧しい狩猟採集民を分断していたのではなく、貧しい農民と豊かな狩猟採集民を分断していたのだ
朝鮮における初期の稲作は水田耕作ではなく乾田耕作であり、あまり生産性が高くなかった。だから初期の朝鮮農業は、縄文日本の狩猟採集に太刀打ちできなかった。縄文人たち自身はおそらく、朝鮮農業の採用をすべき優位性をまったく見いだせなかっただろうし、農業の存在を知っていたかも怪しい。そして貧しい朝鮮の農民たちは、無理に日本に渡っても何の得もなかった

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061 2020/12/18(金) 04:07:36 ID:jPuQT/ItOA
[YouTubeで再生]
要するにガラパゴス的孤立は200世紀級
起源がどうとか、新石器時代の定義とか、ガイコクと比べるのがアフォらしくなるくらいスケールが違う
金持ちケンカせず:視点で 魏志倭人伝( 一〇〇余国ののちに、三〇国が魏と外交関係をもつ) とかの意味を捉えないとダメな気がする


http://bbs16.meiwasuisan.com/history/1466952788/l5...

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062 2020/12/22(火) 13:23:24 ID:aBMWGVAQ7k
土偶の初現は今からおよそ1万3000年前、縄文草創期後半にまで遡ります。縄文時代の幕開けからおよそ2000年後、ちょうど定住生活が板についたあたりです。それまでは、一定期間同じ場所に住んだとしても、季節毎に場所を変えるなど、とても緩やかな定住でした。つまり、生涯に渡って住む家が決まり、「ここが私達の属す場所」という帰属意識が生まれてはじめて、土偶は作られはじめたということです。

【早期】北は北海道から南は九州まで!みんなで同じ土偶を作る
【中期】土偶にはじめて顔が現れたのは、初現からおよそ6000年後、縄文文化が最も創造性と生命力にあふれていた「ゴールデンエイジ」で、土偶にも各地で様々な革命が起きています。顔表現がされるにとどまらず、今まで小さかった土偶が自立できる大きなサイズになったり、土偶の中を空洞にしてみたり、ポーズをとらせてみたり、土器に土偶のような顔をつけてみたりと、表現も技術もぐんと広がります。
【後期】何があった!?奇妙奇天烈な土偶が大流行!
中期終末になると、どういうわけか東北地方南部を除き、いったん土偶が日本列島から消滅します。
【晩期】縄文を途絶えさせてはならない!各地に広がる遮光器土偶ムーブメント
https://intojapanwaraku.com/culture/38011...

http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress016/%E7%BE%8E%E8%A1%9...

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063 2021/06/20(日) 13:36:21 ID:xKI.0slQBY
>>62
勉強になります。ありがとうございました。

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064 2022/08/28(日) 11:31:26 ID:d9J9vaQ9XQ
住まい・・・・。

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065 2024/01/08(月) 11:45:13 ID:gu2kiRSw0w
おすまい。

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066 2024/01/10(水) 19:54:30 ID:ZcoOJleI.I
[YouTubeで再生]
茅ではなく土屋根だったんよ。だから、土蜘蛛=縄文人やな

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068 2024/03/31(日) 12:35:16 ID:O.KkzqDwNs
太古のロマン

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069 2024/04/02(火) 00:43:26 ID:/pqmqrM4kQ
当時としては、とんでもないデカさらしいね、「蛇行剣」って。
ところで当時の倭にも極左は居たのかな?

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070 2024/04/03(水) 01:53:08 ID:Jzue9xx5do
関口宏 身長170cm
膳場貴子 身長は162cm

左側のジジイ、年取って背が縮んだのか?

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071 2024/04/03(水) 01:59:00 ID:Jzue9xx5do
ガチ極左と揃い踏み

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072 2024/04/03(水) 02:14:41 ID:Jzue9xx5do
膳場貴子 身長162cm
堀尾正明 身長170cm
上田晋也 身長172cm

関口宏の実寸はどれぐらいなんだ?捏造だらけなのか、TBSは?

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073 2024/08/14(水) 11:17:19 ID:4i4rjrM9nQ
まあ、そんなもんでしょう。

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074 2024/08/16(金) 23:41:22 ID:h1KfOpr68.
土の上に藁敷いて寝るの寒そう
布団も無いとかきついよな

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スレッドタイトル:縄文時代の竪穴式住居

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