>>10 ものすごく大まかに雑把にいえば、朝敵に分類されてしまうのかもしれないが、
薩摩の反乱は中央政府の役人(官軍)から地方武士への仕打ちに対する反抗であって
天皇陛下や朝廷へのものではないよ。
江戸幕府が終焉した後は日本国に『廃藩置県』がおこなわれ、
それまで各地を治めていた殿と武士達(藩)という主従関係も解散。
江戸時代以前数百年続くの身分階級が取り払われて、武士も農民も平民もいきなり同じ地位になる。
地方の武士の仕事が無くなったり馬鹿にされるようになったりして、士族の不満は高まりつつあった。
無血開城、明治政府新設のために尽くした西郷さんも用済みの地方者とばかりにその中央新政府に冷たくあしらわれ、
そのような「すんくじら対応」に血の気の多い薩摩藩は納得いかない。
気にするなほっとけ、となだめて志士達には農業や学校教育などの仕事をすすめ
ギリギリまで静観していた西郷だったが、若手などがあからさまに政府に反抗し始める。
彼らがついに武装反乱に及んだ際、
これはガス抜かねばおさまらないのだろうと、西郷は若手を処罰せず、自らも加担の形をとった。
反乱軍に西郷がいることに、政府は大変驚き、やばいわマジだわこれと、日露戦争並みの軍や艦隊を率いて陸と海から対応に当たる。
西南戦争である。
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