北九州、山口、瀬戸内、畿内。朝鮮系の濃度が高いエリアで、なおかつ、被差別部落が多い地域。
神武東征と重なるそれが意味するのは、弥生系入植スタイルとの明らかな差。
鉄器を、農具のみならず、武具にして、剣による支配を導入した異民族の襲来が、我が国の歴史に古墳時代を画したことだ。
多くの朝鮮系がこの後も瀬戸内海ルートから流れ込み、新撰姓氏録では、外国渡来系を意味する諸藩は3分の1を占めていた。
彼らは単に「遅れて来た渡来系」に過ぎないから、同じく3分の1をなす皇別の相当数もまた朝鮮系を含む。
弥生系は、倭なのだが、古墳系は、ヤマトである。倭人系は、若干数半島内にもいたし、朝鮮系も北九州、中国地方から、敦賀辺りまで鉄、ヒスイ交易で分布。
実はヤマトは、中国楽浪郡系が、半島人を引き連れて九州の倭人系ヤマトを動かし、畿内にまで支配を一気に押し広げた事績によって成立した。
この時の朝鮮系は、中国系ともども、大した数ではなかった。皇別を形成はしたが、主力は九州ヤマト系で、なびいた瀬戸内、畿内倭人系豪族も連なっていた。
やたらと朝鮮系が増えるのは、4、5世紀。5世紀初頭には、半島経営に逆流侵出していた倭人系が、朝鮮系麾下と共に高句麗に大敗。駆逐される。
古墳に馬具、武具が埋納され始めたのもこの頃。
その後も白村江の戦いまで、瀬戸内ルートは、頻繁に渡来系が往来することで朝鮮系密度を増やす。
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