4,5世紀から、朝鮮で暴れ回った倭であるが、朝鮮半島からどんどん人がやってきている。
毛野なんていうのは、新羅の巣窟である。越前、信濃、毛野の日本海ルートで武闘派が流入してきている。
5世紀末、百済は高句麗に支配されてしまう。
現在の朝鮮半島は高句麗、?、狛、扶余などの北方系が優位である。
伽耶にまで分布していた倭人も、6世紀初頭以来百済や新羅にどんどん領土を侵されて、562年に引き上げを敢行。
西日本はほとんど6割方朝鮮半島由来の人々の住む場所となった。
河内などは9割であった。
日本語はおそらくは紀元前後から朝鮮半島南部と共通で育まれ、支配階層のほとんどで話されていたが、縄文語やオーストロネシア語も混在。
これらを排除して日本語が確立したのは7世紀以降にずぎない。
万葉集をはじめとする和歌は、明治政府以来の小学校の国語教科書か小学校唱歌みたいに日本語教育の手本として機能した。
ほとんどの日本人が考えている以上に日本人は朝鮮半島成分が強いが、7世紀から日本人、日本国、日本語が生まれるのである。
ただし、騎馬民族は来なかった。
4、5世紀、古墳に馬具や甲冑、金銀アクセサリーなどが副葬されはじめても、馬自体が運び込めなかった。
馬がもたらされ、馬飼部が淀川あたりに牧をつくるのは5世紀末からにすぎない。
これは、半島で武具を統一した共闘、統一戦線を戦いつつ、国内では武装のみが選考して流入したことを意味する。
日本の弓馬道は独特であり、オーストロネシア風である。
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