浄土真宗の歴史
▼ページ最下部
001 2019/05/11(土) 16:47:56 ID:fhL3mT8FF6
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270年-1351年)は、三代伝持等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。
こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺七世の了源(1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。
返信する
002 2019/05/11(土) 18:26:26 ID:ZqCQWlcM0M
親鸞は、源頼朝の甥って本当か? 頼朝の腹違いの妹が親鸞の母と本にあるけれど…
返信する
003 2019/05/18(土) 10:30:07 ID:VoLUnOrZ3w
蓮如については、師の教えを捻じ曲げ、利益団体としてオーガナイズした という印象がどうしても拭えない
返信する
▲ページ最上部
ログサイズ:18 KB
有効レス数:33
削除レス数:1
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
歴史掲示板に戻る 全部
次100 最新50
スレッドタイトル:浄土真宗の歴史
レス投稿