浄土真宗の歴史
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001 2019/05/11(土) 16:47:56 ID:fhL3mT8FF6
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270年-1351年)は、三代伝持等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。
こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺七世の了源(1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。
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018 2023/06/19(月) 00:31:15 ID:vCiF.01/Hs
>>13 まあ、なんか安っぽく見えるよね
豪華さを競ってもしょうが無いけど
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019 2023/06/26(月) 08:47:28 ID:cv3d/ddm8g
>>18 真宗の仏壇は超絶きらびやかやけどな
正直言って豪華さや大きさを競っていると思う
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020 2023/07/02(日) 11:23:03 ID:UBME6ETFZI
浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞
1902年から1914年(明治35年 - 大正3年)の間に、前後3次にわたって中央アジアに学術探検隊を派遣。
シルクロード研究上の貴重な業績を挙げた。
その報告書として『西域考古図譜』2帙(1915年)、『新西域記』2巻(1937年)が刊行され、研究報告として『西域文化研究』全6巻(1958年)がある。現在では、招来された文書の資料集である『大谷文書集成』1(1984年)も公刊されている。
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021 2023/12/16(土) 05:15:01 ID:6XDXyJsajQ
古代アーリア人がインダス川流域からガンジス川流域に侵略した際、先住民族征服の過程でカースト制社会が形成された。
アーリヤ人の聖典ヴェーダがバラモン教になり、その権威を否定して生まれたのが「仏教」とジャイナ教。この時点での仏教は三蔵法師によって般若心経が7世紀に日本に伝わる
その後インドではカーストを肯定したヒンドゥー教が定着するが北西からイスラム勢力が拡大しヒンドゥー教の呪術的要素と融合して生まれたのが「密教」で9世紀に日本に伝わる
更にイスラム勢力はインドで仏教弾圧。僧たちは大挙してネパール、チベット、ビルマへ逃げ、インドの信者たちはヒンドゥー教に吸収されるかイスラーム教に改宗しインド仏教は13世紀に終焉。
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022 2023/12/17(日) 16:02:40 ID:WjidExMMbI
浄土真宗が人気があるのはなぜだろう?
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023 2023/12/19(火) 13:57:57 ID:LhDnTxFW12
>>22 「なんにもしん」しゅう(真宗)と揶揄?される教義や戒律のゆるさが理由だと推測
じゃあ曹洞宗も人気(寺が多い≒信徒が多い)だけどそれは?と言われると答えに窮するんだけど
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024 2024/05/11(土) 13:36:33 ID:ZPd4RzhU9g
025 2024/06/11(火) 10:04:40 ID:e3jpaFfjRE
経が長いのはまだ我慢できるが、真宗大谷派の場合、
正信偈読まされる。長い。
和讃。長い。
あのトーンでずっと読まされる身にもなれ。
喉が痛い。もう念仏だけでいい。
やっと終わったと思ったら坊主が向き直って話し出す。
もちろんこれも長い。クソ長い。
オマケに「俺いいこと言うわあ」という体が鼻につく。
教義の上ではお前になんかしてもらわんでも極楽浄土に生まれ変われるし別にありがたくない。
あと関係ないが真宗の坊主は頭丸めなくてもいいからハゲてる人は逆にかわいそう。
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026 2024/06/12(水) 02:21:56 ID:8pBKCE4aPI
>>23 曹洞宗の寺数が多いのも、真宗の信徒が多いのも、教義とは直接関係ない。
どちらも中興の祖と呼ばれる人物の布教政策が巧みだった。また、曹洞宗は
鎌倉幕府を牛耳った北条氏によって保護された。真宗は徳川幕府の支配制度
に組み込まれた。このことも寺門の維持発展に大きく貢献した。
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027 2024/06/12(水) 06:46:11 ID:8pBKCE4aPI
>>26 失礼、訂正します。鎌倉幕府が保護したのは、専ら栄西の臨済宗。
栄西は、政治的手腕にも優れた人物だった。曹洞宗も真宗も、開祖
である道元、親鸞の死後は次第に衰退し、室町時代になって中興の
祖と呼ばれる敏腕家の力によって隆盛をみるに至ったのは事実。
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028 2024/06/20(木) 09:50:17 ID:o5i86A9wfk
>>27 親鸞も道元もこの教えを広めようとか後世に残そうだなんて思ってなかったのは明らかだからね
衰退したというよりはそもそも発展させようだなんて考えてもいなかっただろう
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029 2024/06/20(木) 19:23:03 ID:DEXy9F0FSI
>>28 たとえ本人が望んでいなかったとしても、弟子たちが法を継いで布教活動に勤
しんでいる。それにそもそも、二人とも生前から弟子と共に熱心に布教活動を
行なっているし、著作も残している。道元は寺まで建立している。
「教えを広めようとか後世に残そうだなんて思ってなかったのは明らかだからね」
何の根拠があるんだ?
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030 2024/11/03(日) 09:13:16 ID:yIlzzHYqHg
031 2024/11/05(火) 14:45:39 ID:yqafC3JbqA
まあ言い方が難しいな・・・確かに広めようとは言えるかもしれないが、ただそのために弟子を多く育てようだとか女性にも声を掛けようだとか
在家信者へもっと働きかけようだとか、もっと言えば教団を作ろうだとか、積極的に信者を増やそうとは考えていなかったんじゃないかと思う
例えばキリスト教でそれをしたのはパオロであってナザレのイエスではないように
つまり真宗でいえば蓮如、曹洞宗でいえば紹瑾みたいな人が今日の隆盛をもたらしたとはいえるが、それが師の思いだったのかどうかと言われればどうだろう
阿弥陀様は極楽浄土に生まれ変わらせてくれるから何にもしなくてええんやでだとか、ごちゃごちゃ言わず全てを捨てて今すぐ出家しひたすら座禅しろだとか
それじゃあこの教えは広まらない、どうしよう・・・せや、もっと人が集まるような教義に変えるんや!みたいなことがあったんだろう
まさか親鸞は自分の血統を貴として教団ができ、戦国最強の織田軍を敵に回して戦争を繰り返し、西と東に分かれてケンカするだなんて思わなかったに違いない
ベルリンやベトナムは統一されたが、某半島と真宗は統一の気配すらないからな
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032 2024/11/24(日) 11:16:16 ID:K5V8uDGPcs
034 2024/11/24(日) 19:55:59 ID:FXd2ruSAI6
>31
親鸞や道元が、どの程度の規模の布教を考えていたのかは知らないが、
自然な人間感情として法を広めたいと考えていたことは、その足跡に
照らして明らか。これ(
>>28)の言ってることがデタラメであること
に間違いはない。特に道元は、寺を建立して大勢の弟子を育て、著書
を著して教義の神髄について詳しく書き残している。「布教に余り積
極的ではなかったと思う」という、その根拠がさっぱり分からない。
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