浄土真宗の歴史


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001 2019/05/11(土) 16:47:56 ID:fhL3mT8FF6
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270年-1351年)は、三代伝持等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。
こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺七世の了源(1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。

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034 2024/11/24(日) 19:55:59 ID:FXd2ruSAI6
>31
親鸞や道元が、どの程度の規模の布教を考えていたのかは知らないが、
自然な人間感情として法を広めたいと考えていたことは、その足跡に
照らして明らか。これ(>>28)の言ってることがデタラメであること
に間違いはない。特に道元は、寺を建立して大勢の弟子を育て、著書
を著して教義の神髄について詳しく書き残している。「布教に余り積
極的ではなかったと思う」という、その根拠がさっぱり分からない。

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