日蓮「立正安国論」
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001 2020/01/05(日) 11:48:42 ID:pK4ty7i2Yw
正嘉年間以来、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだ。
当時鎌倉にいた日蓮は、前年に撰述した『守護国家論』に続けて、政治・宗教のあるべき姿を当時の鎌倉幕府において事実上の最高権力者である北条時頼に提示するために、駿河国実相寺に籠って執筆した。
後にこの書を持参して実際に時頼に提出している。
日蓮は本論で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、法華経以外にも鎮護国家の聖典とされた『金光明最勝王経』なども引用しながら、
このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)、外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、
正法である法華経を中心(「立正」)とすれば国家も国民も安泰となる(「安国」)と説いた。
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022 2026/02/23(月) 12:08:16 ID:EI682kn8OQ
日蓮が文応元年(1260年)に鎌倉幕府へ提出した「立正安国論」は、当時の惨状を打開する処方箋として、主に以下のような理由で支持されました。
1. 天災・飢饉・疫病の現実(危機感の共有)
当時、正嘉の地震(1257年)を筆頭に大風、洪水、大飢饉、流行病が続き、人々は「今にも国が亡びる」という不安を抱えていました。
立正安国論は、この悲惨な現実を直視し、原因を明らかにするものとして支持されました。
2. 「他国侵逼難(蒙古襲来)」の予言的中
立正安国論では、正しい仏法(法華経)を捨てて、念仏などの誤った教え(邪法)を尊ぶため、神がこの国を捨てて災難が起きる、と警告しました。
特に、「他国侵逼難(他国からの侵略)」という、後に現実となったモンゴル帝国からの国書(文永5年・1268年)到来を的中させたことは、その先見の明が評価され、人々の信頼を得る大きな要因となりました。
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