どう見ても、縄文系に見えないのだが….
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077 2022/11/16(水) 12:33:59 ID:nk8tHWKFME
通信使として来た朝鮮人らしい。
ジョム(朝鮮)
朝鮮後期の入れ墨
ジョム(趙曮、1719年~1777年)は朝鮮後期の入れ墨である。本館は豊陽、眠る明書、湖は永湖、志保は文翼であり、
趙尙絅の息子である。本館は豊陽(豊壤)であり、1719年生まれで父親の祖先経も二条判書を過ごした。
文章に堪能で民生問題にも多くの関心を持ち、地平水烈など様々な稲妻を過ごし、趙昌を設置して租税負担を
減らすなどボールを立てた。通信政士に派遣され、大麻に立ち寄り、サツマイモの保管法と栽培法を身につけ、
最初に韓国にサツマイモの種子を広め、貧しい人々の救済作物として活用するようにした。高宗の時に大王対比だった
新政王后チョ氏の曾祖父でもある。文章が優れて「海車録」など著書を残し、経済家として名声を震わせた。
(中略)
1763年(英祖39年)徳川家春の将軍就任を祝う通信社として日本に行って翌年帰ってきたとき、サツマイモの
種子を持ってきて、韓国に初めて済州島と東莞で栽培した。済州島ではサツマイモを趙藷と呼び、サツマイモという
言葉自体が彼が建てた「海槎日記」で日本人がこれを「古貴爲麻」と呼ぶと記録したことから由来したという。
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