戦争での一般人の虐殺で・・


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001 2023/12/28(木) 18:46:29 ID:A4Lrmz5gPA
戦争での一般人の虐殺で
最も多く殺されたのは
アメリカ軍の攻撃(空襲・沖縄戦)よる日本人。
一般米人市民に謝罪しろと言わないがこの事実を知ってほしい。

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002 2023/12/28(木) 19:32:06 ID:8oo59yFZe6
空爆と国際法
第二次世界大戦 (1939 ~ 1945 年) の前および最中、空爆に関する国際法は 1864 年、1899 年、1907 年の条約に基づいており、これらの条約が当時の戦争法のほとんどの定義を構成していました。第二次世界大戦直前には更新されませんでした。これらの条約の中で最も関連性があるのは1907 年のハーグ条約です。これは、砲撃の使用に関する戦争法を規定した 1939 年以前に批准された最後の条約だからです。
 1907 年のハーグ条約IV – 陸上における戦争の法と習慣およびIX – 戦時における海軍による砲撃は、無防備な場所への砲撃を禁止していましたが、防御された場所での非戦闘員に対する無差別砲撃に対する国際的な禁止はありませんでした。規則の欠陥は空爆によってさらに悪化した。

しかし、第二次世界大戦では航空戦の違法行為を禁止する積極的または具体的な慣習国際人道法が存在しなかったため、敵都市への無差別爆撃はニュルンベルク裁判と東京裁判で戦争犯罪の範疇から除外されたため、枢軸国は存在しなかった。

戦後の環境の中で、戦争法を管理する一連の条約が1949 年から採択されました。

#要するにグレーゾーン。技術的に勝った方が勝てて裁けた。ただそれだけ @法の不遡及

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003 2023/12/28(木) 19:34:20 ID:T1pFxDcycc
過去に囚われないことだよ
過去に執着している人たちは、数百年、数千年と一切成長せずに同じ事を繰り返してる
人の振り見て我が振り直せだよ

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004 2023/12/28(木) 19:40:23 ID:YMWEN8MOkU
現代の沖縄県のアホどもはなぜか日本人のせいで犠牲になったとマジで思ってる
沖縄防衛のために死ぬために集まった若き英霊達に失礼すぎる、本当に腹が立つ。

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005 2023/12/28(木) 20:01:38 ID:8oo59yFZe6
1937年4月 ゲルニカ空爆
1938年3月 バルセロナ爆撃
1938年12月 重慶空爆
1939年9月 ワルシャワ空爆 ロッテルダム空爆
1940年9月 ロンドン大空襲(バトル・オブ・ブリテン)
ー中略ー
1943年7月ハンブルク空襲
1945年2月ドレスデン爆撃
他略

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006 2023/12/28(木) 20:04:34 ID:8oo59yFZe6
>>5
露助と支那の値は例によって以下略

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007 2023/12/29(金) 08:29:04 ID:lnq2AL5NFQ
東京の空襲や、原爆は「ジェノサイド」でしかない。
アメリカのやっていることは、今も出鱈目だらけ。
まぁ~アメリカの公共事業は戦争だから仕方ないのかな。

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008 2023/12/29(金) 10:04:00 ID:CdWf7y3aLs
>>5
1937年8月 上海爆撃 多くの避難民が殺到した繁華街に中国機が誤爆

1929年世界恐慌に対しては有効的な対策を取れないまま大統領職を退いた前任のハーバート・フーヴァー(共和党)に対し、ルーズベルトは1933年4月から「ニューディール政策」と呼ばれる、政府による経済への介入(積極的な経済政策)を実施した。
就任後から1937年の隔離演説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%94%E9%9B%A2%E6%BC%...
発表まで、表面上は日本に協調的姿勢を見せて日本と中国間の紛争には一定の距離を置く外交政策を取っていた。

米『ライフ』誌の1937年10月4日号に「上海南駅の赤ん坊」写真が掲載される
それまでモンロー主義(欧州なんて知らね)と親ナチで均衡して東洋の島国に無知だった米世論が一気に反日に傾き始める(ヴェノナ:ソ連スパイ解読する極秘プロジェクト参照)

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009 2023/12/29(金) 10:51:10 ID:CdWf7y3aLs
[YouTubeで再生]
ヨーロッパ戦線は高度性能で勝る米英機が優勢
B-17での爆撃の功績により1944年3月には少将に昇進したカーチス・ルメイ(当時37歳)は、
中国での大陸打通作戦で失った陸上基地から、アイランドホッピングで獲得したサイパン島にシフトした太平洋戦線に赴任

最高速度が100㎞以上速くなり、搭載量・航続距離もほぼ倍増した最新鋭のB-29は開発に長期間手間取っていたが1944年5月に運用開始
それを受け取ったルメイは「戦争に勝てる」と確信し対日戦に参加する

しかし高高度だとジェット気流(その存在が欧米諸国で広く知られるようになり始めて間もない頃)や天候による視界不良等で命中精度が下がり、低空では敵の迎撃機・対空砲があるため夜間爆撃にならざるを得ず、爆撃の成功には大変な工夫を要した。(要するに当時の命中精度は大変低い)
ルメイが東京の空襲に成功すると「陸軍航空軍」(戦後の空軍独立前)司令官ヘンリー・アーノルド(当時59歳)は賛辞を送った。

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010 2023/12/29(金) 11:03:56 ID:ZTFHO3mPZA
なんか難しい話が続いているが・・・
戦争は負けたらすべてが終わり。死んだ人は戻ってこない。失われた時間や空間を取り戻すには
とんでもない努力が必要。
勝った方は批判されようが間違っていようが全ては正義。戦争を戦い、勝ち得た国に喧嘩を売ろ
うとする国は現れにくい。
核を持っているだけで侵略されない。
戦争は勝つのがすべて。

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011 2023/12/29(金) 11:17:57 ID:CdWf7y3aLs
>>9 
要するに当時アーノルド元帥や政治家は、ある一定レベル以上の戦況を俯瞰してるだけで直接具体的な指示はせず、基本現場任せ。
結果を世論(報道)の反響で判断して次のステップに進む、といった手探り状態(これは原爆投下もだいたい同じ)∵明確な法が存在しなかったから
そんなワケで戦勝が評価され、悲願の空軍独立を果たすアーノルド・・・そして爆撃隊マフィア(とマルチロール機の台頭)でベトナム敗戦 
と共に戦闘機マフィア(戦術機派)にレッテル貼りなんかを経て今に至る。。。昔読んだのでうろ覚えでスマソ

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