卑弥呼」は偉大な女王だった!


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001 2026/10/20(火) 20:44:20 ID:u7D3HNWFT6
卑弥呼」は偉大な女王だった!「三国志」の動乱を読み大国・魏から“破格の待遇”を勝ち取った知略

歴史はいうまでもなく、人がつくるものです。
しかし、日本の古代史、特に弥生時代を振り返ると、「帥升(すいしょう)」と「卑弥呼(ひみこ)」くらいしか見当たりません。
帥升は『後漢書』に登場する倭国王で、西暦107年に後漢に朝貢したと記されます。
そして最も有名なのが、邪馬台国の女王・卑弥呼です。

https://mag.japaaan.com/archives/29089...

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002 2026/10/20(火) 20:46:17 ID:u7D3HNWFT6
彼女も中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場しますが、そのイメージはというと、神がかりな巫女(シャーマン)であり、宮殿の奥で侍女に囲まれて暮らし、ほとんどその姿を現さない神秘的な存在というところではないでしょうか。

また、実際の政治や外交の実務は、弟が行っていたとされています。つまり、彼女はお飾り的な存在で、政治力はほとんどなかったということです。

ところが近年の研究では、そのような卑弥呼像をがらりと変えるような説が唱えられるようになりました。

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003 2026/10/20(火) 21:14:07 ID:8sn9ah6i2c
倭迹迹日百襲媛命だよね。その事績面は記紀からは神功皇后に仮託されて消されてるけど。
八女津比売命(ヤメツヒメミコ=ヤマトヒミコ)でもあるよね。いろんなヒントが埋め込まれているわけだ。重要なのは卑弥呼よりも臺與の方だけれどね。

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004 2026/10/20(火) 21:34:48 ID:8sn9ah6i2c
もう一つ意外と知られていないのが、公孫氏が238年に司馬懿によって滅亡させられた裏で公孫淵の叔父公孫恭が、邪馬台国の手引きもあって倭に亡命しているんだよね。彼らが落ち延びたのが糸島中華街から遠賀川中流域を遡上した邪馬国即ち田川、香春。ここは息長氏の本拠地で、女王国東遷後からは糸島に代わって中華街になるエリアだ。飛鳥時代に裴世清に漢人だらけの秦王国と誤認されたのがここだ。因みに魏志倭人伝中旁国の鬼奴国は日田ね。曹操の鉄鏡金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と同じものが出た日田は、亡命公孫氏の墓があったんだろうね。

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005 2026/10/20(火) 21:37:36 ID:8sn9ah6i2c
>>1
卑弥呼の両脇に松本人志と浜田おるやん。しこんだの?

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006 2026/10/20(火) 21:50:33 ID:PgLGzCeSO.
これはもう
さなえちゃんに間違いない (^。^; )

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007 2026/10/20(火) 21:57:51 ID:oC.uU8iFwU
で
なぜハシカン?

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008 2026/10/20(火) 22:03:11 ID:md9Tg7ckU.
[YouTubeで再生]
倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)は、『日本書紀』や『古事記』に登場する古代日本の皇女であり、卑弥呼の正体(モデル)として最も有力視されている人物の一人です。『日本書紀』には、彼女の衝撃的な最期が伝説(三輪山神婚説話)として記録されています。

1. 姫は三輪山の神である大物主神(おおものぬしのかみ)と結婚しましたが、神は夜にしか姿を現しませんでした。
2. 姿を見たいと願う姫に対し、神は「明朝、あなたの櫛箱(化粧箱)に入っているが、姿に驚かないように」と告げます。
3. 翌朝、姫が箱を開けると、そこには衣の紐ほどの美しい小さな蛇がいました。
4. 驚いた姫が声を上げると、恥じた神は人の姿に戻り、三輪山へ飛び去ってしまいます。
5. 後悔した姫がドスンと腰を落とした際、箸が陰部に突き刺さり、それが原因で亡くなってしまいました。

彼女の墓は「昼は人が造り、夜は神が造った」とされ、この伝説から箸墓古墳(はしはかこふん)(奈良県桜井市)と名付けられました。宮内庁は現在もここを彼女の墓(大市墓)として管理しています。

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