【サムライ】 日本の武具  【武士】


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001 2010/02/05(金) 01:33:28 ID:JyfGYRStGY
日本刀・大太刀・薙刀・槍・大槌・鉞・鎖鎌、
大鎧・腹巻・当世具足。
矢でも鉄砲でも日本の武具ならなんでも

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※省略されてます すべて表示...
011 2010/02/06(土) 01:33:58 ID:ich6AClt0g
しかし何故、日本では靴が進化しなかったのかな
戦記絵巻とか見ると立派な鎧着てるのに、裸足とか多くないか?
よくて草履


なんかアンバランスなんだよね

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012 2010/02/06(土) 03:39:46 ID:a9553d219o
合成樹脂がない中世日本では
素足に土踏まずまでのわらじってのが
一番踏破性が高かったんだろう

水虫になりたくないだけってのもあるだろうけど

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013 2010/02/07(日) 16:50:26 ID:94EQ.OYfcs
014 2010/02/08(月) 15:34:40 ID:w1gje4fY4w
陣羽織

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015 2010/02/09(火) 15:26:00 ID:5C5e.GHsYs
通信用具

背負陣太鼓

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016 2010/02/09(火) 15:32:55 ID:5C5e.GHsYs
群馬県金山城出土 銃弾

大筒用は鉄製、鉄砲用は銅製と鉛製

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017 2010/02/09(火) 16:01:28 ID:5C5e.GHsYs
武田信玄の軍資金

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018 2010/02/10(水) 03:16:46 ID:RXjsDZsHNg
?な刀

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019 2010/02/10(水) 13:13:27 ID:9kWWJ7hoz6
関船(戦闘艦)と小早(伝令・偵察艇)

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020 2010/02/11(木) 01:36:26 ID:eu2V/mRhTw
日本刀の強度

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021 2010/02/12(金) 02:54:33 ID:oSvSGx.9fg
>>11
実際は沓も色々あったけど
サイズを合わせるのがめんどくさいとか
まあ今も個人差があるわけだし
なんて事もあったりしてね

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022 2010/02/12(金) 16:57:06 ID:P0t3TZ/NXg
「わらじ」ってのは、身軽で滑らず、足にフィットするから動き易い。
現代の「地下足袋」に当たる。
戦場を走り回る白兵戦が主なんだから、当然と言えば当然。
製造も靴のように手間がかからないし、材料もふんだんにある。

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023 2010/02/12(金) 17:46:05 ID:JM3GgG5wa.
馬用わらじ

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024 2010/02/12(金) 17:57:03 ID:JM3GgG5wa.
025 2010/02/12(金) 18:08:45 ID:JM3GgG5wa.
よろいどおし(鎧通)
無銘だけどたぶん土佐吉光作。
ただ刺すのではなく、刺してねじり短時間で目的を達しようとする殺傷武器。
鎧の胴を容易に貫通する。

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026 2010/02/12(金) 22:43:12 ID:yyhHtHPMm2
>>22
とはいえ、なんで裸足が多いのよ

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027 2010/02/12(金) 23:14:06 ID:E0puacRYPc
差物、馬用の柄杓など。

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028 2010/02/12(金) 23:16:32 ID:E0puacRYPc
うえのは空穂、その下のは何?

http://photofile.name/users/doubleclouder/96187849...

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029 2010/02/12(金) 23:25:57 ID:E0puacRYPc
大小。天正拵と思われ。

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030 2010/02/12(金) 23:48:54 ID:5wkQBwQc1M
>>26
移動途中に田んぼや河川が多いから、クローズ系のシューズだと水入ったりして滑
るとか不快だから?
適当に言ってみた

バスタオルの古いやつをひっ裂いて、1回だけ見たチューブ動画のように作ってみ
たら俺でも布草履が出来たくらいだし、作り方は簡単だ

あと、履いてみて初めて気づいたんだが、あれ足ツボの効果あるね
それが戦場の草履と何か関係あんのかっていうと、ないんだけどさ

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031 2010/02/13(土) 19:36:32 ID:TXvOzMj99k
日本ではかなり長い間裸足がデフォだったしね

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032 2010/02/16(火) 16:48:24 ID:ZwMlM8MRRs
[YouTubeで再生]
コメント不能な面白動画

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033 2010/02/18(木) 08:29:52 ID:.lDp3ofzDY
下半身の躍動感が半端ない

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034 2010/02/18(木) 15:53:56 ID:gRc3maoBz.
刀の金具とか小さい所に凝りだしたのは江戸時代から?

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035 2010/02/18(木) 21:55:27 ID:FbkVDje1BA
>>34
原哲夫の傾奇者連載あたりからだと思うよ

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036 2010/02/19(金) 15:12:39 ID:WxqMjfL57o
凝るのレベルがわからんが
ピークは江戸だけど
鎌倉時代でも平安でも凝ってる

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037 2010/02/20(土) 09:56:47 ID:u6tswh1QKc
>>24は闘犬用?
それとも軍事用?

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038 2010/02/21(日) 00:44:35 ID:Ag4NKdQNFE
>>35
原哲夫って、あの「誰がカバやねん!」の原哲か?

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039 2010/02/21(日) 12:27:05 ID:U6fI2AFcCY
>>33
それはどうかなあ。鎌倉時代の騎馬武者と思える骨調べると、上半身が著しく発達しているわりには下半身は華奢だったらしいよ。

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040 2010/02/21(日) 12:29:29 ID:U6fI2AFcCY
>>37
軍事用じゃないかなあ。お犬様の頃の。

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041 2010/02/24(水) 07:57:27 ID:G6gpjIi1wM
下半身が華奢ってことはそれだけ
運動性が高いってことじゃないのか
マイケルジョーダンが身長体重に比べ極端に下腿が細いのと同じで

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042 2010/02/25(木) 01:16:46 ID:HK6UILnHzA
揮刀如阳

倭奴刀を揮ふこと阳の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。
故に短兵相接するは乃ち倭奴の長ずる所、
中国の民の敵し難き所なり。
その嫌う所の物は火器のみ。
然るに多くの鳥銃手を擁して居ながら我兵勝てぬのは外でもない。
倭人は戦いに臨んで命を忘れるが、
我兵はこれを臨んで即ち恐れ走るため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、
手震え、目眩み、天を仰いで空しく発する為なり。

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043 2010/03/01(月) 09:34:11 ID:pQkQkPBWWA
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン

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044 2010/03/01(月) 19:01:58 ID:OUkqwhqpdc
そら100年近く戦乱状態で生きてた民族だからな…
今のアフガニスタンやらそんな感じのイメージだがな。

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045 2010/03/02(火) 10:18:56 ID:boTX5VyYyk
源平合戦、元寇、南北朝、応仁の乱、戦国時代…

こう考えると100年じゃ足りない

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046 2010/03/07(日) 21:41:06 ID:vpdtGuR4F2
ポルトガルは和冦のマネして海賊やってたんだよ。そっちのがもうかった。

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047 2010/03/10(水) 10:23:34 ID:g2S.eW4h4s
姜弘重『東槎録』1624年
「新将軍の邸宅から城内を一巡して、東に行くこと幾十里あまり、
(朝鮮の一里は日本の十分の一)内城の周囲もまた五里は下らなかった。
築城の石は皆大石をもってし、その勢いに従って積み上げ面を削っているのが神業のように巧妙であった。
内に高楼傑閣が起ち、将軍はその中にいる。
別に五層の飛ぶような楼閣が中央に起ち見張りをして守備をするところで、天守台といった。
金色の甍と白い壁が堀の水に影を落とし、光彩が人を照らして心魂を眩乱する。
(大名)各家で兵を養い、兵器が便利で精巧であり、軍糧が山積みされ、戦艦が海に満ち、
常に臨陣対塁の心構えができている。
だから兵を動員しようとすれば命令に従って直ちに出動できる」

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048 2010/03/11(木) 10:43:32 ID:cl1C6R.BpI
049 2010/03/11(木) 15:18:25 ID:uKjpIdlB6o
古刀のやり、いいね。

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050 2010/03/11(木) 16:28:40 ID:cl1C6R.BpI
051 2010/03/12(金) 16:33:41 ID:KxnU0A.Tpk
これはいい鎧

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052 2010/03/13(土) 17:25:50 ID:zLLiQQBDuk
靖国神社にある芝辻砲

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053 2010/03/14(日) 15:20:33 ID:n7bIW82apc
色を派手にしたらデザインはシンプルに

このあたりの「やりすぎない」感じが素敵だ

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054 2010/03/16(火) 02:46:48 ID:Tt9ZIlX/J6
組み打ち

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055 2010/03/16(火) 17:57:00 ID:zUzM7DmgIo
関節極まってるがな

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056 2010/03/19(金) 02:39:29 ID:qwuKM4DKZs
昔の剣道は面白そうだな

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057 2010/03/24(水) 16:22:24 ID:ITOMhk2tnA
イエズス会ジャン・クラッセ(1618-1692)「日本西教史」
 日本人の特に習練するものは武術なり。
男子はすべて十二歳にして刀剣を侃び、
これより後は夜間休憩する時の外は腰間の秋水を脱せず、
寝に就くの時と錐も、尚枕頭にこれを安置して、
睡眠中と難も、曾つて武事を忘れざるを示す。
武器は湾曲剣、短剣、小銃、弓箭あり。
その剣は精練を極めて鋭利なること、
これを以ってヨーロッパの剣を両断するとも刀口なお疵痕を残さずと云う程なり。

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058 2010/03/27(土) 03:31:43 ID:mRJk5EjVnM
明成皇后殺害「肥前刀」の返還 日本の神社に要求へ

 「一瞬電光刺老狐−老いた狐を一刀で刺す」。日本の刺客が明成皇后(1851−95)を
殺害した「肥前刀」の鞘に書かれた言葉だ。

日本宮内庁所蔵の朝鮮王室文化財に関する中央日報の報道で、海外に流出した文化財
に対する国民の関心が高まる中、「肥前刀還収委員会」が26日に発足する。

日本・福岡の櫛田神社には、皇后の寝殿に乱入した3人の中の一人、藤勝顕が寄贈した
肥前刀が保管されている。
肥前刀は、江戸時代の16世紀に忠吉という職人が殺傷用に製造した刀だ。
長さ120センチで、刃は90センチ。神社が保管している奉納文書には「王妃
をこの刀で斬った」と書かれている。

右翼エリートだった藤勝顕が明成皇后を殺害した最も有力な人物に挙がっている。
しかし藤勝顕を含む乙未事変の関係者は1895年、
広島刑務所で「証拠不十分」で釈放された。

 還収委共同委員長のへムン僧侶は25日、
「日本は朝鮮の王妃を殺し、その葬儀の手続きを記録した儀軌まで持って行った」
とし「神社に犯行道具の肥前刀が保管されているというの
は民族的自尊心が許さないこと」と述べた。
へムン僧侶はこの刀の存在を確認し、その記録
を載せた本『朝鮮を殺す』(東国大出版部)を昨年9月に出版した。

 還収委は26日、「神社は謝罪の意味で韓国に引き渡すか廃棄すべき」
という内容の声明を発表する。
これは安重根殉国100年を迎えて推進される。
安重根が伊藤博文を狙撃した最も
大きな理由が「朝鮮の国母を殺害した罪」だった。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=127569...§code=400

犯人は李周会じゃなかったのか?
そもそも閔妃が死んでも当時誰も悲しんじゃいなかったろう?

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059 2010/03/27(土) 12:09:43 ID:egPXy6b2DU
突っ込みどころが多すぎてレスに困るな…(;^ω^)

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060 2010/04/01(木) 01:51:51 ID:H1DjG5xOWA
061 2010/04/02(金) 15:48:18 ID:CLa8MhUeOY
高宗と閔妃が売り払ったとされる利権↓

1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権
豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権
1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権
1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権
1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権

↑これって本当なの?

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062 2010/04/04(日) 00:24:11 ID:pGT6.DPt7E
すげえな、これ本当だとしたしたら朝鮮人て王族でも無知な猿人ってことになる

ホント、昔から朝鮮人は自分の保身しか考えねえな

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063 2010/04/06(火) 00:21:26 ID:JdsfIkMmWY
[YouTubeで再生]
海外の日本刀の描写でよくある刀を鞘から抜くときにシャランと
刀と鞘がすれる音、刀同士がぶつかり合う時になるカランという
軽い音がすごく違和感がある。
刀と鞘はすれるような構造になってなく、音が鳴るのは鯉口を切る
時や刀を納めたときのカチンという音だけ。刀同士がぶつかり合う
音はガチンという重い音。という風に日本の時代劇から得た知識で
勝手にそう思っているw
実際に真剣を扱ったことがある方や具体的な史料を知ってる方、
日本刀は一般的に思われてるのとは違い実際はこうなんだって
いう事を教えて下さい。

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064 2010/04/06(火) 08:46:52 ID:OKrHoOPzwc
鞘から抜くときは金属音はしないけど無音でもない
>刀と鞘はすれるような構造になってなく
刃はすれないけど刀身、正確には峰(棟)はすれる
峰と鯉口がすれた音、まあ金属と木がこすれる音だね、さほど大きい音ではないけど。
もちろんなるべくすれないよう、なるべく無音に近づけるよう努力するのは正しいんだが実際問題普通の早さで何気なく抜いたとき無音で抜ける人は見たことないね。
効果音としては誇張も必要だろうしシャランでも仕方がないかもしれない。

刀同士を(刃と刃を)がっちり打ち合わせたことは無いのでわからないが
斬り落としのとき(鎬と鎬)はチュンって澄んだ音はする。
あまりうまい具合に切り結べなかったときは音が小さく濁り、その後刀身が震える音が一瞬聞こえる。
ちなみに斬り落としで鎬同士が打ち合った後は逆に刀身が勝手に加速するかのごとくつるっといくので防具等があっても一歩間違えば大事故になる。よい子はマネしないように。

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065 2010/04/08(木) 10:12:23 ID:FtbMQgQXuM
刀同士をぶつけあうと、破片が目に飛ぶ危険あり。

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066 2010/04/11(日) 15:05:34 ID:JVdwyBk1NU
やはり大鎧

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067 2010/04/12(月) 13:04:59 ID:GpzBBuj606
刀を抜く時にヘタクソがやると
切っ先が鞘の内側を削って「シャラン」というような音が出る。
刃に刃で切り込むとガチッとかバチッみたいな音がして
刃と刃がかみ合う。

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068 2010/04/18(日) 03:26:41 ID:AgEh0FoPRs
おさふね

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069 2010/04/22(木) 01:32:02 ID:FLrJXKSxvU
鳥居反りかっこいい

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070 2010/04/23(金) 10:24:46 ID:VY7aWAki52
「揮刀如阳」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」

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071 2010/04/25(日) 02:35:24 ID:U8gdv7wlLI
日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、
刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる

日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、
 相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。
 当然のことながらこの武器は極度に危険な物と見なされ、
 刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを殺しても正当防衛と認められる。
 一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである
「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン

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072 2010/04/28(水) 09:27:56 ID:/lH2oayyjQ
やっぱこれでしょう

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073 2010/04/28(水) 20:39:17 ID:.MT8CnXaFU
諸籠手に喉輪、面頬、佩楯までついてる大鎧ってどうなのよ

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074 2010/04/29(木) 02:32:44 ID:sZ08RELsVw
いーんじゃない?
かっこよければ

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075 2010/04/29(木) 03:32:16 ID:e30qA63MmA
まぁ、これは時代考証して作った復元模型じゃなくて「飾り」だしな。

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076 2010/04/29(木) 13:44:07 ID:2Bvn8wokjM
復古調だからねぇ〜
なんちゃって大鎧としては申し分ないかな?

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077 2010/04/29(木) 16:10:44 ID:sZ08RELsVw
南北朝時代ならこれぐらい重装備(胴体は胴丸だろうけど)のやつも結構いそう

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078 2010/04/29(木) 19:16:44 ID:bXjQmXgvsY
江戸時代の復古調の大鎧には
面頬や佩楯がついているものも少なくないっす

写真はヴィクトリア&アルバート博物館所蔵の
19世紀の大鎧でやんす

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079 2010/05/02(日) 12:57:33 ID:2ycAQ2rJaM
色合いがいいね

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080 2010/05/02(日) 21:15:26 ID:gq81W/CPZY
夏は暑くてたまんねえな

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081 2010/05/05(水) 02:27:39 ID:QLQhZ1JhXQ
少なくとも酸欠で死なない分
日本のはマシな方だ

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082 2010/05/06(木) 07:56:15 ID:ucdpv3VEQw
[YouTubeで再生]
ひさしの描くカーブが美しい

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083 2010/05/09(日) 09:53:00 ID:F.EkCjMtOc
[YouTubeで再生]
スレ違いかもしれんが、居合いって本当に最速なの(マンガの知識)かな。
フェイントの要素があるから速く感じるだけな気がする。
上段に比べりゃ移動距離が短いから速いってのはまだ納得できるが、突きとか小手よりはさすがに遅いよね?

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084 2010/05/10(月) 01:01:41 ID:a.edWqO2hQ
「日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、
刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる」

「日本人は圧倒的に優勢な西洋の武力に対して
下関海峡や鹿児島で戦いを挑むという暴挙を敢えてし、
狂信的な憂国の志士たちによって炎と燃え上がった勇気が決して侮るべきではない
ことを、戦力の上で遥かに勝る敵に証明してみせたのだった」

「日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、
 相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。
 当然のことながらこの武器は極度に危険な物と見なされ、
 刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを殺しても正当防衛と認められる。
 一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである」

「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン

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085 2010/05/10(月) 03:17:05 ID:3K6/vFkdC.
>>83
「突きとか小手よりはさすがに遅いよね」って、抜刀済みの状態で早いも遅いも無い。

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086 2010/05/11(火) 12:19:43 ID:7Ch4yiIi.Y
[YouTubeで再生]
演出がアレだが…

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087 2010/05/14(金) 02:20:13 ID:mChafa8MWs
鎧どおし

貫通力すごそうだな

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088 2010/05/14(金) 10:40:13 ID:rr3Q6ngo8.
こういう刺し傷になるそうな

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089 2010/05/15(土) 13:08:19 ID:uj.cMNimwY
上下にぶれるせいか
左右に裂けるのが多いね

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090 2010/05/18(火) 10:45:20 ID:UinSgNxZt2
hikonyan

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091 2010/05/21(金) 10:40:15 ID:SKiDlRcSqo
国立博物館で細川家の武具をみてきた。武器や甲冑よりも一番度肝を抜かれたのは、旗とか指し物。やはり目立つことが必要。

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092 2010/05/22(土) 02:20:51 ID:KApuaYeNbQ
この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。

中略

邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年

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093 2010/05/25(火) 02:19:39 ID:sZfE30B0.s
粗食だけど強かったみたいな
記録あったね

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094 2010/05/25(火) 07:56:29 ID:THvUhmHt56
095 2010/05/28(金) 11:05:18 ID:t32GMpplJE
捕鯨用火縄銃

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096 2010/05/29(土) 02:52:56 ID:w/X6ffO/C2
武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。

武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。

騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、
脆弱な我々ヨーロッパ人と違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。

刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。

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097 2010/05/29(土) 14:28:01 ID:Dnp2d.RhpE
ここまでくるとうそっぽくなっちゃう

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098 2010/05/29(土) 19:25:22 ID:BUO4WnuUto
>>95
澤田先生やん
この人ほんと火縄銃好きだな

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099 2010/05/30(日) 02:50:09 ID:VXprznjcNw
>>97
当時のヨーロッパの衛生観念はかなり低いからな
傷の治りに関しては単純に日本人は傷をあまり化膿させることがなかったただけなような気がする

体の頑丈さや落馬の耐性への記述も実際は柔術などによる技能の差じゃないの
外人には体が頑丈だから死なないのだと思われてただけで
実際は受け身がうまかっただけという

食いもんに関しては単に昔からヘルシーだっただけだろ↓


この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。

邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年

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100 2010/05/31(月) 11:37:20 ID:S4w8pP3f1U
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。※
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)



※「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)

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101 2010/06/01(火) 02:36:36 ID:L0ES65s93o
日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、
刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、
両手をもってこれを扱ふゆえに、
一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり
パードレ・フランシスコ・カリヤン

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102 2010/06/01(火) 16:19:13 ID:L0ES65s93o
1588年にキリシタン禁止令を発布した豊臣秀吉が、
フィリピン総督フランシスコ・テーリョに送った書状。

往年、バテレンが日本国に来て、異国の宗教を説き、
我が国の下賤男女をひきつけ、国風を乱し、
国政を害したので、予は堅くそれを禁じた。
しかるに貴国より来た僧侶たちは帰国せず、
各地に赴き、賤しい人々に異国の法を説いてやまぬので、
予はそれを聞いて忍ぶことができず、
誅戮せしめたのである。

聞くところによれば貴国は布教をもって謀略的に外国を征服しようと欲しているということだが、
もし我が国から教師や俗人が貴国に入り、神道を説いて人民を惑乱することがあれば、
国主たる卿は歓びはしまい。
これを思え。
けだし卿らは、そのような手段をもってその地の旧主を退けて新たな君主となったように、
予に背き、我が国を支配せんと企てたのであろう。

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103 2010/06/02(水) 02:47:56 ID:3HWDCJnA4g
秀吉かっけー

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104 2010/06/03(木) 09:14:02 ID:0Tyd.3ZbDo
当時は宗教ってコトバなかったのとちゃう?

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105 2010/06/04(金) 01:07:26 ID:HunNNGZ9Ho:au
>>104
そんな訳無いだろ

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106 2010/06/04(金) 02:31:49 ID:GXMXKrSKuE
宗教って単語は確かに幕末に作られた造語だが
現代語訳になに的外れなこと言ってんのってことで終了の話だな

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107 2010/06/07(月) 03:03:20 ID:.lDp3ofzDY
こりゃすごい

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108 2010/06/09(水) 13:38:00 ID:iC6DziOFJ2
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。

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109 2010/06/10(木) 01:37:59 ID:6CoPm.ypig
長刀解
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。
況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。


戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。

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110 2010/06/11(金) 08:26:19 ID:IUS8Vvy4I.
此六十六箇國には多數の都市あり、廣大にして人口多く、鋻潔にして秩序正しく、
欧洲に於て之と比較すべきものを發見すること困難なるべし。
而して陸路を行くこと二百レグワを超ゆるも人の居住せざる地一レグワを見ること稀なり。
家屋市街及び城郭は善美にして、これを過賞すること難し。
人民の數非常に多く、悉く國内に容るゝこと能はざるが如し。
人口二十萬の市多く、都の市は八十萬を超えたり。
此等の住民若しイスパニヤ土人の如く野蠻ならば恐るゝに足らざれども、
彼等は長銃を有し最も熟練せる兵士の如く巧妙に之を用ふ。
又弓、矢、鎗、及びカタナ(cathanas)と稱する劍及び短劍を有す。
而してイスパニヤ人と同じく勇敢なるのみならず
議論及び理解の能力に於ても之に劣ることなし。
ドン・ロドリゴ『日本見聞録』

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スレッドタイトル:【サムライ】 日本の武具  【武士】

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