卑弥呼と神功皇后と天照大神って同一人物なの??


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001 2011/03/05(土) 23:19:02 ID:BIuAKI6Wuw
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017 2016/09/01(木) 21:33:56 ID:z2Twefok3w
>>1
ついでに言うと小林幸子もね!

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018 2016/09/03(土) 07:27:48 ID:ClVLro5las
>>16
その極めて一方的・一面的な理屈で言うなら、日本書紀で「九州に天孫が降臨した」「神武天皇は九州から東征して来た」なんて到底書くはずがないよね。
てことはその理屈は多分間違っているわけだ。

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019 2016/09/03(土) 09:53:33 ID:7CfjTJ5jmE
筑紫は福岡だけを指すのではなく、九州全体を差したとも言われる(筑紫島)が、
記紀の編纂ころに全体をそう呼んだからと言って、筑紫国が福岡県エリアになったのが後
とはだれも思わないのではないか?
筑紫国、肥国、豊国、熊曾国のうち、もっとも王権に縁のある筑紫を全体総称にした
定着はしなかったということ
記紀は所詮、そういう「乗り」だということで、北部九州発の東征、東遷の「可能性」は別に否定されないし、
天孫降臨神話は5世紀仕込みの北方騎馬民族系輸入品の香りが高いけれど、
日向を筑紫島のど真ん中に置き、ニニギを最南端に土着させるなんてことも、
7世紀時点での九州平定(ひいては大八島国全体統括)の自信の現れかもしれない

福岡県内に日向、吾田の長屋の笠狭の岬があるという説もある

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020 2016/09/04(日) 09:45:16 ID:vNRwM91fWg
日本書紀完成の年に隼人は反乱を起こしているんだがな
実体はどうあれ唐への対抗策で九州重視説しかないかな
日本書紀上、臺與は神功皇后のつもりだね
卑弥呼に該当する人物を設定できていないのが不思議

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021 2016/09/04(日) 09:59:48 ID:LwQeW1oMJg
ヤマトの勢力が、「九州の勢力を軽視し得なかった」という点については同意。
短期的か長期に及んだかは別の話として、「九州勢」をヤマト神話に(制圧や併呑ではなく、「尊重」した形で)取り込もうとしていたのは記紀からも明らか。
熊襲のいる僻地でありながら、天孫が降臨し初代天皇が生まれ育った地としている。
しかし、「東征」という言葉に惑わされがちだが、神武天皇は順風満帆に敵を蹴散らしながらヤマト入りしたわけではない。むしろ苦戦と苦難の連続。
初代天皇を単純に褒め称えようと言う意図でないことも明らかであり、何らかの・・・というか、
複数の勢力の思惑がつばぜり合いを起こした挙句にあの記述に落ち着いたのだと考える方が説得力がある。

ヤマト側の一方的な勝者の理論では説明出来ない不自然な記述が多い。

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022 2016/09/04(日) 19:18:52 ID:vNRwM91fWg
東征は明治維新にそっくりで、明治維新後に日本書紀が書かれたと勘違いしたくなるくらい(笑)
瀬戸内勢力の代わりに土佐が割込んでいるけれど。大政奉還、江戸城無血開城って国譲りのパロディでしょ。
で、卑弥呼の役回りはないんだよ。多分存在していないけれど天照を伊勢に祀った倭姫命あたりにあてがっているかもしれない。八咫鏡を持って諸国をうろうろするんだからね。となると卑弥呼=天照大神を示唆しようとしているんだな。
日本武尊の東征の際、草薙剣を授けて難を救ったエピソードもある。あと勾玉があれば文字通り完「璧」。
武内宿祢の瀬戸内侵攻と神功皇后の紀伊水門迂回はまるで神武だね。
和歌山上陸後、昼なのに暗くなる日食みたいな現象も起きる。天岩戸かよ、と。
どうしたんんだと尋ねる相手が「トヨミミ」なのだ。
神武東征は、直近の壬申の乱の写しとも言われる。それに似ている忍熊王の反乱鎮圧エピソードも、つまり、東征であり、壬申の乱なのだろうな。

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023 2016/09/04(日) 21:39:59 ID:vNRwM91fWg
いけね。前提にあるのが、天孫降臨、出雲の国譲り、葦原の中国平定は、神武東征の前哨戦か、
もしくは同じ事跡の禅譲編と放伐編に過ぎないという解釈ね。
一番新しいのが一番古い話という定石からして、天孫降臨神話とその加工が最も新しい。
どう描こうが最も自由だしね。

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024 2016/09/05(月) 22:28:13 ID:StXI1qAdT.
ついでなので天照、卑弥呼、神功から離れます。
出雲、大和、九州の共通点は何か?

この3か所とも、天孫降臨があったということ。
歴史的には出雲、大和、九州の順に。
神話的には同時です。

これが意味するのは、天孫降臨も魏鏡の配布の言葉版。
熱田神宮も、伊勢神宮も、ヤマトタケルエピソードも、地方豪族への町おこしネタ、じゃなかった、王権からの褒賞だということ。鏡も配れない、前方後円墳の効果も薄れた、元来親中国政権の挫折と内向。
安上がりの大盤振る舞いが、日本書紀上の可能な限りの捏造史。

加えて考えるべき、日本書紀の根底にある禅譲史観。

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025 2016/09/07(水) 06:27:17 ID:ABvciP2WIQ
文章がしっちゃかめっちゃかですよ。

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026 2016/09/07(水) 18:00:42 ID:NoPyL4hHVc
そう、明らかに酔っている。
言いたいのは下記。
日本書紀では、意図あって天孫降臨は3回あったことにしてある。
天武、持統朝は、中国式の正史が、魏鏡配布、前方後円墳の代わりになり得ることを発見した。
天皇の系譜は、必ず禅譲を旨とする。
中国資料との整合は、若干配慮。
古い話ほど新しい状況を反映しやすい。

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027 2016/09/07(水) 19:20:48 ID:NoPyL4hHVc
正史が、古墳の代わりというのは、もう少し説明が必要だろう。
この時代から、伊勢神宮が代表的だが、仏教寺院を模倣して神社建築が始まった。祭神を割当て、各地の豪族に、古墳に代わる普請道楽を頒布するのだ。効果は三つある。求心力を生む王権へのロイヤリティ、公共事業と、力を蓄え過ぎないように牽制する事。遷宮の負担などもそうした側面があった。自然神崇拝から神話的事跡に結び付く祭神崇拝へ確実に移行したのが、この時代。

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028 2016/09/10(土) 19:03:36 ID:U5bRN9cxwk
つまり、神社はディズニーランドになった
キャラクタがおって、背景に物語があって、ちなんだアトラクション(祭り)がある
二次元→実体化の一般法則
これが日本文化においても起動した
私のような縄文人には、実に嘆かわしいやるせないできごとじゃった

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029 2016/09/14(水) 18:49:22 ID:JMeU0ITuY6
縄文人にも祭祀はありましたよ。

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030 2016/09/14(水) 22:02:38 ID:UDktYy0SQE
神社はなかった
弥生にも古墳時代にもね

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