古墳時代


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001 2011/10/16(日) 17:17:06 ID:Y3uNIcBSD.
王塚古墳の装飾壁画の公開を見に行きましたがほとんど色と絵があせていて
美しさが失われていました。
竹原古墳の装飾壁画は結構きれいに残っていたのですが・・・

みなさん古墳について興味ありませんか?

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※省略されてます すべて表示...
017 2012/01/09(月) 06:29:01 ID:Y958Qeet2U
>>15
大体の古墳は盗掘されていますよ

沖出古墳は盗掘抗を利用して石室を見学できるようになってます

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018 2012/01/09(月) 14:39:34 ID:YNsZI0yQ5g
壁画や遺品に道教文化の影響が色濃いことからも、
大陸系の渡来人の主導で作られたものであることが分かる。

一方、神社の注連縄信仰の痕跡は、
一万年前の縄文土器の文様にも見て取れる。

ただ、土器文化は、一万五千年前の長江流域にもすでに見られるため、
まず長江流域の大陸人などが一万年以上前から日本に流入し、次いで
縄文時代後期の3000年前あたりから、黄河流域の、特に中国文明を
代表するような中国人が新たに渡来して来たのではないかと思われる。

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019 2012/01/09(月) 20:45:05 ID:AwY9iDvg5k
最後の古墳は一体どこにあるんだろうね
近畿で廃れても東ではそれなりに続いてたと言うから、関東のどっかにあるんだろうけど

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020 2012/01/09(月) 22:26:12 ID:o2r..daIaY
最近咳が止まらないんです

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021 2012/01/10(火) 02:17:54 ID:i3.piyHlQg
西日本の古墳って大きいのが多いよね
オレんちの近くに古墳ないかなと思ってググったらチャリ10分の場所にあったんで
行ってみたら小さい小山だった
ホントにしょぼくて案内板すら無いのよ(´・ω・`)ショボーン

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022 2012/01/11(水) 21:55:11 ID:lue24/nC6k
>>21

 >小さい小山

だと言葉と状態が一致している、という見方と
重複していておかしい、という見方が発生する可能性がある

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023 2012/01/12(木) 01:46:50 ID:bWwQ0VsrD6
夏休みの研究でな

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024 2012/01/12(木) 09:30:35 ID:bAS6St5EvI
小さいのでも見つけたらこーふんするでしょ

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025 2012/01/13(金) 22:00:54 ID:WOtn1IMCkg
神花山古墳と女王

ここからは被葬者の頭骨が出土し、敗戦占領時、進駐軍が「人類学の貴重な資料である」として、
日本国外に持ち出してしまった悲しい歴史が

レプリカを現代の技術で復元したところ、大半の予想を覆して、鼻根部が高く、頬骨が低く、額部と後頭部が
突出した、長頭で彫りの深い立体的な形質がコーカソイド的要素を持つなど、明確に縄文系の特徴を備えており、
現代の基準に照らすと、相当の美貌に恵まれた女性首長であったと考えられている
(パッチリ超二重瞼や長いまつ毛、高い鼻と低い頬)

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026 2012/01/17(火) 01:06:49 ID:7wgRQfKT22
ここは箸墓でしょう。

写真:ホケノ山古墳から箸墓を眺む。


ここが卑弥呼墓&台与墓?

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027 2012/01/17(火) 04:43:10 ID:GtcO3ogo0k
新原、奴山古墳群

20基ほどが田舎の田園に点在している光景は軽い感動を覚えます

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028 2012/03/19(月) 12:33:10 ID:jF/P6gDcn.
埼玉県の黒岩横穴墓。
有名な吉見百穴の近所です。

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029 2012/03/20(火) 06:10:56 ID:IcDnvdwrJY
030 2012/03/20(火) 14:56:55 ID:Flp10jda.w
>>22
くだらん揚げ足取りウザイな
死ね

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031 2012/03/21(水) 01:35:49 ID:GJLEC59RFo
三鷹の国立天文台の敷地内にも古墳あるよ。小さいけど。

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032 2012/03/22(木) 22:34:09 ID:ixP4P.a60g
そんな小さなことで、見ず知らずの他人に「死ね」なんて言葉を吐くなんて
”俺は小物だぞ”と天下に示したいとしか思えん

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033 2012/06/18(月) 23:59:25 ID:n/UFf30d5c
不思議なことだが、誰もそれを問おうとはしない。
古墳時代という名前は後世の時代区分だとしても、時代がそもそも墳墓で特徴づけられること自体、奇妙ではないだろうか?
彼の地にはピラミッドがあるから当然、のような顔をしてやりすごしてはいまいか?
なにかすこぶる記念的な「死」が、この大和国家建設の最初にあったはずだ。

考慮すべきことは下記だ。

7世紀には消滅する
卑弥呼の死の直後から巨大前方後円墳が急に全国に普及する
卑弥呼の死=大和盆地の大和国家建設である
副葬品を伴い、鏡(卑弥呼の鏡)も一緒に出る
埴輪が飾られるがその初めは吉備系円筒埴輪である
畿内に巨大墳が集中
纏向遺跡には生活感がない
奈良の大和盆地から中国式方位学と土木工学が始まり、それ以前の倭国は環濠集落
6世紀ごろから仏教伝来と蘇我氏の滅亡で消滅

鏡-墳墓-中国の影響-吉備の影響-祭祀中心

以上の状況証拠から
卑弥呼(おそらく生前北部九州在住)の死は大和に巨大な墓を作らせた
吉野ケ里のような環濠集落と異なる中国風の都市整備が大和に比較的新しく建設された
そこは生活居住都市ではなく、祭祀都市、なかんずく卑弥呼の死を記念複製反復する古墳のメッカである
卑弥呼の鏡は巨大な墳墓と一体のもので、ともに全国普及を目指した
鏡は複製量産され、ばら撒かれた
吉備がこの墓制の創始者
土木工学は中国由来
蘇我氏の滅亡か仏教の伝来のどちらかが引き金になって卑弥呼以来の古墳建設が終わる
卑弥呼に鏡を撒けと指令したのは魏の国である

結論
古墳は卑弥呼の死のリフレーンであり、鏡を伝搬する道具立てである

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034 2012/07/08(日) 21:10:50 ID:QG0ELcSHcg
大英帝国コレクション

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035 2012/08/13(月) 21:00:29 ID:5NCuUYv5cg
>>28
百穴は入れるけどここ入れないんだよね
未発掘の穴もあるとか

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036 2012/09/29(土) 18:57:59 ID:YMEtHWIj9Q
情緒はないけど、大阪府高槻の継体天皇の陵墓といわれている今城塚古墳は
埴輪祭祀場(区)が日本最大級で復元展示(レプリカ)している。
(宮内庁管理ではないので、完全に公園にしてしまっている。)
埴輪がいっぱい出土しているので、埴輪好き(?)にはたまらないかも。
当方、見たかったけど、土砂降りの雨で行けませんでした。

あと、その近くに今城塚古代歴史館というのがあって、常設展示なら、入場無料で
2〜3時間位かけてじっくりみれる程、出土した埴輪や古墳の資料が充実してます。

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037 2012/10/06(土) 16:52:11 ID:tHlctop22U
>>18
多分違う。
漆の文化は日本と、長江下流域に共通してるわけだが
土器やらなんやらから米まで、両者が通じている。

が、それは漢民族系とは違って異民族、蛮族の類の文化なわけで。
漢民族系から文化の影響はあるにせよ、異質な民族によるものであるのは
漢民族にあるべき種類の器具が無い等があまりにも多いため、漢民族が直接来た的に考えるのは無理があるのではないかな。

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038 2012/11/12(月) 12:59:09 ID:NNLrMQWwgE
>>16

茶臼山古墳の被葬者は大毘古命だよ

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039 2012/11/12(月) 16:51:32 ID:pdDh1G5Qf6
>>37
賛成だな、どこまでが漢民族か不明だし、中国は少数民族の
るつぼだから。
多分、遺伝子的に漢民族ではない。
多分、チベット系。
姜族ってのがいて、これがどうも気になる。
封神演技における姜子牙こと太公望だよね。
姜とは漢字そのものの意味では現代では人質という意味だそうだ。

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040 2012/11/12(月) 19:59:59 ID:WmmeIOslao
神戸の五色塚古墳
10年がかりで築造当時の姿に復元。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/folk/estate/bu...
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bucdm105...

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041 2012/11/12(月) 23:11:50 ID:zF8tp21Dzw
ボクはコレで古墳や島根県に興味が湧きました。
いや、墳丘墓なんですけどね(笑)

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042 2013/01/22(火) 17:44:22 ID:JewYM1yXG2
7世紀以降、巨大な古墳はなぜ廃れ、つくれらなくなったのか。

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043 2013/01/22(火) 19:13:19 ID:D2zI9OeG8c:au
古くもないし巨大でもないけど武蔵野御陵は上円下方墳。
20年ほど前か?

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044 2013/01/24(木) 21:11:39 ID:qnfpKXgEFM
だれか「薄葬令」出した天皇いたんじゃなかったか?

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045 2013/01/25(金) 11:29:18 ID:cgw/TgDf0A
薄葬令は大化2年(646)、孝徳天皇の詔として出されているね。
実際は中大兄皇子が出したんだろうけど。
大きな古墳をつくるには、
すでに費用面でも労働力でもたいへんな負担になっていたんだろうか。

それにしても、邪馬台国の時代は大王の死とともに殉死として
たくさんの民や馬がともに埋葬された。
それが代用品としての埴輪となり、
墳墓そのものも7世紀には小規模なものになっていった。

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046 2013/01/25(金) 18:59:47 ID:BrEd1BR97Y:au
殉死はどんな殉死だったんだろか?
自ら望んで殉死。
無理やり殉死。
寿命で死んだから殉死ということで埋葬。

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047 2013/02/03(日) 14:46:33 ID:ZNUOQhor.6
邪馬台国の卑弥呼が見罷ったときには100人を越す人びとが
無理やり殉死させられたというね。

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048 2013/02/04(月) 10:58:32 ID:dI6uNVQgNU
埋葬方法はその集団の文化そのもの。
埋葬方法が変わったと言う事は、権力構造が変わったと言う事。

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049 2013/02/11(月) 14:09:53 ID:FUeeOCKO7Q
卑弥呼の墓は短里で直径25m程度だから探せないし、現存しないかも
大室古墳群など積石塚古墳は高句麗式で5世紀〜長野県あたりでウマの飼育に従事した渡来系のものとされる
駒は高麗で、東京の狛江(亀塚古墳5世紀末から6世紀初頭)や山梨県巨摩、河内の巨麻郷に名残をとどめる
山梨県巨摩の積石塚古墳は、横根・桜井塚古墳群、春日居古墳群など
武蔵の国の高麗(日高市)はずっと下って8世紀高句麗滅亡後の移民村
埴輪は日本独自だからといって高句麗式古墳から出てはいけない道理はない
宿禰は高句麗の官名(少兄、スクナエ)に由来する
少彦名も宿禰だろう

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050 2013/02/12(火) 12:51:53 ID:oV7y5OaSyE
巨大な古墳が廃れたのは、やはり仏教が入ってきた影響かな。

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051 2013/03/03(日) 22:06:49 ID:AbKatrWe7o
[YouTubeで再生]
蛙男商会の古墳ギャルのコフィーか

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052 2013/04/17(水) 15:03:20 ID:D1eIgetlS6
少女時代

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053 2014/11/11(火) 22:26:40 ID:j4rBEWdr0I
[YouTubeで再生]
古墳へGO!

ドラムとパーカッションよろし。

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054 2014/11/30(日) 12:51:49 ID:a1leBe3xBA
古墳文化がすたれて脅威に感じた大和朝廷は、
仏教を取り入れる一方で、天皇の神格化をせにゃならんと考えた
そこで、全国を天照大神はいらんかね〜
豊受大神はいらんかね〜
と行脚して半世紀以上も流離う
これが元伊勢

結局落ち着いた場所が「伊勢」
どうして伊勢なのか?

鬼門に猿田彦の二見輿玉があるから
鬼門に猿はここに由来する

猿田彦は、プレヤマト勢力にとっては裏切り者なので、
大物主が三輪山に大神神社として祀られて以降、大和の地に踏み込めない

大神神社、伊勢神宮、両方の創建エピソードに「倭」の姫が関わり、嫡系の「大田」が場所を牛耳っている
これは偶然ではないんだね

古墳にコーフンできなくなって、古墳時代以前からあった古代神道に天皇家を潜らせたのが「伊勢」

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055 2014/12/23(火) 16:43:15 ID:6p3BvJmYsU
大化の改新までにすでに古墳が廃れていたので薄葬令で後追いした
これは服属儀礼のツールの消失を意味するのみではない
古墳がどんな機能を果たしていたかを考えれば判然する

・古墳(なかんずく前方後円墳)は中央への服属儀礼
・地方豪族の公共事業(ピラミッドや期末の道路工事と同じ)
・地方豪族の勢力抑制
・政治的権威の更新、再生

古墳は農耕社会以降の過剰生産気味の社会集団が必ず必要とする再分配装置として重宝し、隆盛を誇った
これが機能不全にいたり、消滅すると問題が起きる
斉明天皇の奇妙な石の神殿もアイデアの内だったが、オタクっぽくて不評で代替物にはなりえなかった
手っ取り早い解決策は対外戦争だが、白村江の敗戦で頓挫してから、さあいよいよ困った
国内回帰してからの解決策がとりあえず北九州の水城、瀬戸内の山城建設だが、機内以西が回らない
じゃあ内戦(壬申の乱)一発やっておこうか
孝徳以降の「遷都」(150年間に13回)はなかなかいいアイデアだった
鎮護国家仏教寺院建築も金がかかる、よしよし
伊勢神宮をはじめとする皇祖神を祀る国家神道の創立もどうだ
全国に伊勢神宮は無理だから周期的な「遷宮」がいい・・・・

古墳時代を経験してしまった日本はこれだけの再分配+瀉血装置が必要になったのだ

江戸時代で言えば武家諸法度の築城制限に対応した参勤交代と天下普請に見られるのと同じ構図

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056 2014/12/23(火) 16:51:45 ID:6p3BvJmYsU
×機内以西
〇近畿以東

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057 2015/01/09(金) 02:17:44 ID:a47lY7yfJY
なまじ遺跡や中途半端な資料がある分、古墳時代は妄想の宝庫だなあ。
まあ、妄想も空想も人の自由だから別に良いのだが。

実家(瀬戸内海の島)に極小さな古墳がある。古墳のある場所は、海に突き出た
半島の林の中で、普段人が近寄らないところなので、草や潅木に道が隠されていて、
以前近くまでは訪ねて行ったことがあるのだが、結局見つけることが出来なかった。
今年の正月に、再度探訪するつもりだったが、寒いのでやめた。

しかし、フェリーの便も橋も無かった昔に(橋は今も架かっていないが)、
なぜ辺鄙な島に古墳が作られたのか不思議だ。

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058 2015/01/10(土) 09:09:01 ID:.rf2VKQs1s
1)どうして古墳が300年以上にも及ぶ1大ブームを起こしたのか
2)どうして古墳が廃れたのか

1)日本の人口、生産力が充実して豪族が割拠、同時に大和に巨大政権が樹立されて地方豪族服属のレガリアと王墓葬祭テンプレートを配布することで朝貢交換ネットワークを形成すれば戦乱回避可能であることを大陸から学習した。そのシンボルが「鏡」。後ろ盾がイメージとしての「シナの超巨大王朝」
銅鐸文化の「音」から鏡の「光」へ。
生殖-祖先崇拝をベースにしながら、天、太陽神信仰へ。
2)魏晋南北朝時代の終焉。581年大陸の隋のよる統一が最大インパクト。王族の権威づけとしての呪術支配の限界で律令制度の導入シフトが起きる。文化的影響としては仏教(皮肉にも感が滅亡してからシナでは興隆し、隋で最盛期を迎える)、道教、儒教の流入。
太陽神信仰の政治思想的完成へ。大日如来との習合。天皇制の開始。

シナの巨大な風圧圏内にある列島の政治文化変容は、東アジア全体の激動をもろにかぶりながら変化に対応してきたと言えよう。

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059 2015/01/10(土) 09:29:39 ID:.rf2VKQs1s
ちなみに殉葬の妄想はシナからの伝聞
古墳そのものはシナの大王墓の輸入
そのシナでは殉葬が云々・・・とはいえ、シナでも本当に死んでなどいないのは始皇帝陵発掘で明らか

当時の都市伝説だったのだ
それを形にしたのが最初から兵馬俑坑であり埴輪なのである
シナの使者や史書の編纂者ですら思い込んでいる都市伝説

あるいは王があの世でも王であり続けるように副葬した現世の部下や用具である
兵馬俑坑壮大な副葬品の思想が誤って解釈されて都市伝説のソースになった可能性も

日本の古墳自体は、なかんずく「前方後円墳」自体は、「子宮」「胎内」「死と再生の通路」「地母神信仰」の流れ
沖縄のカーミナクー(亀甲墓)と同じ発想

これを版築で造成するので「ホトを突く」ということに相成る

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060 2015/01/11(日) 05:26:03 ID:Co9Jkl6/i6
この際、愚輩も少し妄想を。
死骸の上に塚を築いて祭るのは、人間感情の自然の発露のようにも思われるが、
もし外からの影響を考えるなら、まずは道教。中国で昔から最も広くに信じられた教え。
墳墓に累々祖先の霊が集うという迷信もこれに含まれる。

古墳が消滅した理由は、ただ単にブームが去ったから。
ブームに終止符を打ったのは、木造建築術。
これも仏教などと一緒に、中国や朝鮮半島から伝わったものと思われるが。
ハイテクが駆使された木造建造物は、実用的でもあり、さぞおしゃれでもあっただろう。

古墳消滅の理由をさらに妄想すれば、仏教の影響も考えられなくも無い。
釈迦が説いた仏教の根本原理は諸行無常。万物は絶えず移り変わる。
死者の霊、すなわち霊魂不滅という発想は、この原理と真っ向対立する。
従って、釈迦の説いた教えを受け入れた時には、古墳は思想的に否定される。

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061 2015/01/11(日) 17:59:25 ID:PhVx8i6tu6
まあ、そんなにほいほいさっさと外来文物を手当たり次第に取り込むかね?
現代消費文明じゃないんだから・・・

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062 2016/08/20(土) 15:11:51 ID:jiPRuBISMs
1)古墳の盛土は灌漑工事の残土でしょ
農業用水確保のための羽曳野の溜池、仁徳天皇の洪水対策の堤とか、要するに開拓とセット
という合理的、機能的な側面は確かにある

2)同時に、中国由来の円丘、方丘を贅沢にも合体したのが前方後円墳
上円下方墳も同じ天地思想の流れ・・・倭国の使者自らちゃんと晋に対してそう説明している
よりパワフルで先進的な思想基盤を欲する外来変調傾向も、古来日本のお家芸
でも、これは外来思想なので、定着しにくい。新しい思想に柔軟に切り替えられる

3)もう一つ、大王墓という性格
この見地からは、前方後円墳は「子宮」に見える
磐座と見立ててもよい。三輪山もどきだ
古墳が廃れて興った寺社建築は、墓そのものではないが、社殿、参道、門、鳥居などの形式が、古墳のこの部分(生殖器模造)を継承する
古墳は外来思想の仏教建築に代替されただけではなく、仏教建築を模倣した神社建築でも代替されている
外来文化を盛大に取り込むときに、同時に土着文化がバージョンアップされるのも日本の特徴

古墳時代が終わるとき、上記の3つの内、1)だけが代替されない
治水灌漑とセットの前方後円墳は、地方豪族にも流行ったが、御陵の規模に比例して仁徳天皇時代がピーク
灌漑工事が終了したわけでもないが、残土はもともと堤防にできるのであった

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063 2016/08/25(木) 22:33:01 ID:iwEwxgsoR.
額に電燈の灯る大仏・・・ウオルター・ウエストンが感嘆した日本流のカスタマイズ
伝統と新規性の融合
むかしからの日本の技芸
いささか欲張りな・・・
前方後円墳もそうだったのだろう
舶来だが、ぜいたくな天(円墳)と地(方墳)の融合でバージョンアップしている

日本人は、昔から、外圧によって国を締めてきた
北朝鮮が暴れれば、国体がシャキッとする
なぜなら、倭、大和王権から、日本の国の誕生に預かって力があったのは、「高句麗」だからだ
締めてきたどころではない
国ができてしまったのだ

米国支配下で惰眠をむさぼる半人前国家だった日本
また、高句麗のお世話になるのかナ?
SLBM 潜水艦発射弾道ミサイルが防空識別圏内に着弾
もっとやれ、北朝鮮、そう思っている人は少なくないのでは?

黒船のおかげで近代国家を建設できた日本
好太王碑の404年に高句麗に叩き出された日本は、仁徳天皇の下、河内平野の新田開発で国造りに励んだ
白村江の敗戦で律令制中央集権国家が立ち上がった日本
朝鮮出兵が頓挫して徳川幕藩体制を仕上げた日本

3世紀、古墳時代の始まりにも、きっと必ず外圧があったと大局的に推定しても、はずれはないだろう
舶来品なんだから

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064 2016/09/18(日) 10:04:30 ID:N7fkT2wNCE
前方後円墳については、子宮であるという説が正しそうである。
造り出しが何であるかも定説がないようであるが、ヒンズー教のリンガとヨニにも同様の突起がくびれ部分にある。
ヨニ=女陰
リンガ=男根
>>55の斉明天皇の石の建造物である出水の酒船石にもヨニがある。
古墳時代の終末で次なるアイデアを模索していたが、リンガ/ヨニ信仰は外せなかったようだ。

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065 2017/08/29(火) 16:42:21 ID:los6tuW7wY

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