闇の女パンパンガールのいた街角


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001 2024/05/30(木) 15:51:29 ID:TQyCCBILZc
戦後の焼け跡に公娼よりも早く現れた街娼たち。洋装文化をいち早く採り入れ、官庁街や銀座のOLを始め、わざわざ東北の教員までが立ちんぼになった時代があった。肉体の門の世界だ。貧困ではなく、戦災未亡人でもなく、なにゆえ女達は身体を鬻いだのか?

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002 2024/05/30(木) 16:33:34 ID:TQyCCBILZc
彼女たちがら透けてみえるのは、現代のトー横界隈から大久保公園の立ちんぼだ。坂口安吾のパンパンガールhttps://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42876_34345...
に描かれたように、娼家の娼婦(安吾は、畸型だという)とは異なる自然な明るさがある彼女たちの、独特な壊れ方は、文化をかなぐり捨てた自由の毒から来る徹底的な利己主義から来る。

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003 2024/05/30(木) 16:56:18 ID:/wWdFWwrJ2
新大久保路上価格(ソウル価格に連動)
バッカスクラス 60~ 1000ヲン
50代 クラス     2000ヲン
40代 クラス     3000ヲン
30代 クラス     4000ヲン
20代 クラス     5000ヲン
10代 クラス    10000ヲン

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004 2024/05/30(木) 17:11:56 ID:TQyCCBILZc
思うに、人間も野良猫になりうるのだろう。浜のメリーさんは40近くになってから横浜に流れ着き、70まで客をとる街娼だったが、要するに地域猫みたいな存在であった。自由と安全、安定を秤にかけて、どうしても自由を選んでしまう女がいる。家猫なんて真っ平だと飛び出せた時代が、敗戦直後に訪れた。

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005 2024/05/30(木) 17:44:33 ID:TQyCCBILZc
松沢呉一の「闇の女たち」は、このあたりをテーマにした秀逸な本だ。パンパンの動機は、自由への渇望、道徳への抵抗、カウンターカルチャーだと喝破する。生活苦や貧困は同情を引くための体の良い嘘だった。男には許されなかった自由、解放を、敗戦は、女たちにもたらした。家猫ではいられない女には売春があった。それも立ちんぼというスタイルだ。ただし自然発生的に、頭領が仕切るグループがうまれると、まさに肉体の門の諍いや、闘争といったやっかい、トラブルも発生した。レディースの悶着や揉め事、嫉妬、リンチ、制裁の世界だ。

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006 2024/05/30(木) 18:55:09 ID:aZFSf5lUu6
終戦直後の米国白人男と日本女のカップル50組ぐらいで米国に移民するとかいうのNHKで見たけど日本女ブ巣率100%で羨ましくない。白人は目が大きい人が多いので目の小さいアジア女を選ぶ?白人は白い肌なので褐色アジア女を選ぶ?美的感覚が違う。

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スレッドタイトル:闇の女パンパンガールのいた街角

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