会津藩
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001 2010/06/22(火) 05:08:59 ID:MgRxqwYbSI
なぜにあまたある藩のなか、会津藩はあのように
幕末に存在感を示したのか?
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002 2010/06/22(火) 05:30:37 ID:7KtEGbGnMg
003 2010/06/22(火) 17:35:20 ID:MgRxqwYbSI
会津だけが武士。サムライを名乗る権利がある。
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004 2010/06/22(火) 22:19:05 ID:V8NTQkyosU
005 2010/06/22(火) 22:40:22 ID:jKLJnyhdhU
006 2010/06/22(火) 23:04:46 ID:7KtEGbGnMg
007 2010/06/22(火) 23:44:42 ID:V8NTQkyosU
かつて日本テレビが年末時代劇スペシャルというのを12月30日、31日と2夜連続で
放送していて、2作目として制作された白虎隊の主題歌『愛しき日々』を歌ったのが
堀内孝雄です。
このシリーズ9年続いたけど6作品で堀内孝雄が歌ってます。
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008 2010/06/22(火) 23:53:26 ID:rXTkGxO3zg
ドラマを見ても泣けるしこの歌を聴いただけでも
泣けるんだよなあ
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009 2010/06/23(水) 04:58:26 ID:HEDgIBZnqA
子供のときになにげなくやってたのを見たけど、あれは泣けるよなあ…
俺の中で愛しき日々=白虎隊と刷り込まれた
会津藩モノだと、今、ヤングジャンプでやってるSHIDOとかいう漫画がそういう題材だね
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010 2010/06/23(水) 05:04:14 ID:HEDgIBZnqA
>>5 そんなネットスラング聞いたことねぇよw
しかし侍を名乗るなら、武士道を名乗るなら、会津の取った行動はまったく正しい。
これは否定しようが無いと思う。
薩長の人らでも、学のある連中は、会津が真の侍という点には敬意を持ってるのではなかろうか。
むしろ幕府に仕えながらヘタレな動向に終始する他の藩こそ日本人の価値観からするとみっともない。
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011 2010/06/26(土) 02:24:06 ID:T4/a1hBtF2
孝明天皇の信頼厚く、京都を守護する立場だったはずが
いつの間にやら、朝敵にされてるんだもんな
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012 2010/06/26(土) 17:01:21 ID:o/5kkdph8I
>>10 とはいえ、日本の将来を見据えたら、その行動はどうかと。
まあ、侍らしく散った人達がいたって歴史が残ったのはよかった。
諸藩すべてが新政府側についても、または全てが旧幕府側についても、おかしくなってしまう
ちょうどいい配分だったんじゃね
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013 2010/06/26(土) 17:27:23 ID:CEsMjfgkGE
どうだろうね。公武合体で日本総力政権という道もあったと思うがねえ
薩長が私利的に牛耳った部分はあったと思うし
会津が徹底抗戦したのはまさにそういうところだろ
単に徳川というはなしなら、大政奉還で終わってるはずで
薩長が玉を押さえて皇軍を気取る欺瞞への怒りってのがあるんじゃないかね
賊が天皇を傀儡にして皇軍気取ってるんを認めるわけにはいかんという
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014 2010/06/26(土) 21:33:49 ID:crsM8nOPG2
>>10 ネットスラングとは言い切れないよ。
観光に特化した会津の歴史観を批判する声は会津の有識者からも出ている
いい例が「埋葬禁止令」
史実を捻じ曲げ、ありもしない悲劇を被害者面で観光客に語る
今の会津は乞食や斜め上の半島と変わらない
敗者には敗者の意地があるだろう
ありもしない悪行で敵を貶め、被害者面など言語道断
私は会津藩士の子孫だが、今の会津が恥かしい
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015 2010/06/27(日) 01:47:54 ID:kzXH9R7Zt2
>>14 いや、そこまでのものは感じないよ
むしろ長州ファンがありもしない会津相手にシャドーボクシングしてる感のほうが強いと思うねえ
郷土の観光で郷土史家が取り上げるのなんてどこでもあることじゃん。ぜーんぜんたいしたことない話しか無いと思うよ。
その些細なことにどうしたの?ってくらい、目くじら立てていきりたってる長州ファンが居るほうが
なんか病んでるなあと感じる。
Wikipediaのその項とか見ても、長州ファンって…としか思わないなあ〜
よっぽど武士道的な視点で見た場合、悪役になってしまうのが我慢ならないのかね?よー感覚わからんわ。
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016 2010/06/27(日) 17:54:25 ID:M2tqjFavvA
>>15 個人の主観の問題だとは思うけど
会津の悲劇だけを誇張して、それを商売にしている現状を
憂いている方は地元でも少なくないですよ。
会津人による観光史学を批判する著作もいくつか出版されてます。
決して官軍を贔屓してる人だけではありません
武士道的視点で見れば、嘘まで付いて泣き言で飯を食う
会津の観光業界に我慢なりませんね。
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017 2010/06/27(日) 18:27:43 ID:bE1mfszp.M
渡部恒三新衆議院副議長「何といっても百三十年前の戊辰戦争だね。
私が副議長になってみんな喜んだのは、副議長公邸が桂小五郎こと
木戸孝允の屋敷跡だったことだよ。わが会津に攻め込んだ長州の
大親分の家を占拠することになったって」
まあジョークだろうけどな。
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018 2010/06/28(月) 10:45:17 ID:yprOdletGQ
>>16 そこまで大げさな話じゃないでしょ
どこの地方でも郷土の英雄を美化して描くようなのはあるもので
別に会津に限ったはなしでなく、どこでもあるわな
道鏡の地元じゃ道鏡を再評価する郷土史家の本とか意見があるけど
そんな類のもので、そういう見解もあっていいと思うけどね。
むしろ長州を悪く言ったらそこまで過剰反応でバッシングされるのかー
というののほうが印象深いけどなー
「ウソまでついて」ってのはどれを指してるんでしょうか?
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019 2010/06/28(月) 10:52:08 ID:ttup2Dc/wY
埋葬禁止令の話しについていえば、実際に遺族が弔うことを禁じて
罪人として集団埋葬場にゴミみたいに埋めてしまうというのをしたというのはあって
そのへんの話が伝聞として遺族の怒りを買って言い伝えられてきたんじゃないかな
白虎隊士の遺体を勝手に独自に埋葬した件で民政局から咎められた件とかあったでしょ?
遺族が自分の手で弔うことができなかったわけで、そういう話は実際にあったようですから
その話のことを言ってるんじゃないかと
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020 2010/06/28(月) 10:55:01 ID:ttup2Dc/wY
今の感覚より、一家代々の墓に入れるというのは非常に重い時代で
しかも厳格な武家のご家庭。一家代々の墓を菩提寺で丁重に守ってきた家柄なわけだ。
そりゃあ遺族からすりゃこれは埋葬禁止令に等しいでしょ。
勝手にゴミ同然に一箇所に埋められるって状態は、埋葬できてない状態も同然と言えると思う。
この話が伝聞として埋葬禁止令ということばで伝わったものと思うけどね。
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021 2010/06/28(月) 20:36:01 ID:q8JW7l4NXg
>>18 どこでもやっているから、やっていい?
会津武士道は「ならぬことはならぬ」事です。
埋葬禁止令ですが、遺体の身元がきちんと判明するまで埋葬する事を禁止したもので
決して弔う事を禁じたものでは無い事が、当時の書面でわかっています。
「賊軍を弔う事を禁じた」とは、後の会津系作家と呼ばれる方の創作であったのに
長年事実として伝えられてきました。
この事は会津若松市も認め、会津若松が編纂している郷土史から最近やっと削除されました。
市側も捏造であることは判っていたはずなんですがね・・・。
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022 2010/06/29(火) 01:43:23 ID:tIsIUdf5RI
会津の場合、いまでに反長州感情があったり、
それが政治に思いっきり絡み付いてたりするのはいかがなものか。
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023 2010/07/01(木) 09:03:48 ID:Y.xRi/Q2K6
024 2010/07/02(金) 19:05:12 ID:BlqPsW2qdo
>>21 いや、違うよ、それは。当時の書面ってなに?
埋葬に関しては、遺体を井戸に捨てるなどをして地元側には渡さなかったというのが長州藩士の当時の記録で複数残ってる。
身元が分かればもなにも、死体はゴミ同然に井戸に投げ込んだりで、身元確認の機会などそもそも与えられてないだろう。
あと官軍の行動については、当の官軍側の兵士の手記でいろいろ分かってるけど
会津にまず入ったのは官軍と名ばかりのボロ来た盗賊まがいの部隊で、
民衆が逃げる際に金目のものを地面に埋めて隠していったのを探すため、大量に水を流して探して回ったとか、酷いモラルの連中であることが分かってる。
まが死んだ人間の数は戦後わかってるが、その婦人の異常な数の自刃の数を見ても、レイプ横行は決して会津のフカシじゃなかろう。
講談社選書メチエから出てる、『会津戦争全史』とかこのへんの資料ふんだんに使って経過を書いてるので、一度目を通すとよかろうと思う
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025 2010/07/02(金) 20:48:32 ID:W1waeWxWl.
>>24 明治新政府からの命令書で一級品の資料です。
内容は身元調査が終わるまで官軍賊軍双方の遺体の埋葬を禁止したものです。
もちろん全ての調査終了後は埋葬は許可されています。
双方の遺体を禁じた命令書を「賊軍のみ埋葬も弔う事も禁じた」と改竄し
著作にて世に広めたのは『会津戦争全史』の著者・星 亮一氏です。
いくらふんだんに資料を使っていても捏造や改竄だらけ
彼は歴史学者ではなく会津系作家と呼ばれる小説家ですから
フィクションを書いても仕方無いのかも知れませんが、捏造がばれた今も謝罪一つしてません。
ちなみに星氏にはアマゾンでの書評操作の疑惑も出ております。
過去の著作に対する評価など決して高いものではないので
書評操作などしても焼け石に水かも知れませんが・・・。
もう一度書きますが、会津若松市も埋葬禁止令が
星氏などが主張するものとは掛け離れたものだと認めて郷土史から削除しています。
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