神功皇后


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022 2014/09/07(日) 23:49:09 ID:xPQP6Knj9M:au
ちと風呂敷広げすぎた。ごめん。
ヒミコ(238)ー倭王讃(413)まで約170年ある。寿命が50〜60年とすれば王は最低でも6〜7代はいた。(在位期間を信じない理由。神功は4代分ぐらい引き受けてるかな。)
この間にヒミコとイヨ、景行を迎えた女しゅう長、神功がいる。
ヒミコが死んで倭国大乱になり、景行がクマソ征伐に来たときには女しゅう長が鏡をぶら下げて出迎えた。
景行は女しゅう長の敵対国を幾つか攻めた。(この時は景行(近畿王権)と女しゅう長(九州王権)は仲が良かった。)
仲哀が即位した年に新羅は倭の王子に嫁を送った。(仲哀は新羅国の存在を知らない。)
神功は仲哀と結婚して神憑りして新羅を攻めようと言ったのに仲哀はクマソを攻めようとした。
(この時には神功にクマソを攻める理由がなくなっている。女に化けたヤマトタケルまたはクマソの娘がクマソを殺したから。クマソは女か女もどきに殺された。)
翌年、神功に従わなかった仲哀はバチがあたって死んだ。
(クマソと合体した神功王権と仲哀が戦争した。この事件後、記紀の主人公は崇神集団から神功、応神になる。)
神功は三韓征伐に行って帰った。帰ってすぐに応神を産んだ。(妊娠期間が長すぎる。記者は生年を一年早めて書いておけばいいのにそうしなかった。石を腹に巻いて妊娠期間を延ばした事にしたのはなぜだろう。)

()内は空想部分
なんか、神功皇后にはまりそう

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