1945年8月6日。広島原爆投下。
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001 2012/08/06(月) 05:41:38 ID:wvSQYkJKmA
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が日本の広島市に対して原爆を投下した。
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175 2024/04/04(木) 12:34:34 ID:3ZFPYe6g1s
明和水産で白黒はっきりさせよう
もし原爆が国産なら国内で起爆させる理由がない
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177 2024/09/29(日) 13:46:28 ID:ndL7OUablQ
>>175 >>153 の図をまず見てもらおう
世界で初めて、核分裂が連鎖することによる核爆発に気付いたのは東北大の彦坂忠義教授であった。
その後、ヨーロッパでも物理学者たちが原爆の可能性に気付き、新聞にまで載った。
世界の富の半分を所有すると言われた資産家は
一発で国が消え去ると思われたその新型爆弾は
自分だけが所有しなければならないと考えた。
しかし爆発力はおおよそ計算で判るとしても
放射線がどのくらい飛び、その放射線の殺傷力がどれほどのものか全く不明だった。
それを知るには、荒野で核実験しても仕方ない。
欧米から一番遠い日本の都市で実験することにした。
バチカンを司令塔に、原爆実験のための世界戦争を仕掛けた。
合わせて欧州の資産も巻き上げることも考えた。
皇居の近所に上智大学があり、そこの神学部教授がバチカン大使だ。
ナチスに暴れさせ、欧州の金塊を欧州の植民地になっていた東南アジアの銀行に避難させた。
その銀行は、大東亜共栄圏の名の下、天皇の金塊を資本に予め建てておいたものだ。
その欧州の金塊は、日本が原爆実験場になる見返りに易々と奪うことができた。
一部はUボートでバチカンにも運ばれた。
天皇は皇居の地下18m、壁の厚さ6mもの地下室でその時を待った。
広島での実験は成功し、日本は翌々日から1300人もの調査団が広島入りさせ
詳細なエビデンス作りにとりかかった。
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