>>42 現代のソープやデリバリーが、吉原遊郭や花柳界を起源とするとは誰も思わない。
それ自体、変質前のキーセン文化と相通じ合っていたかも知れないが、
むしろ、遊郭文化は滅び、朝鮮半島から変貌を遂げたキーセン文化が再上陸した面が強いのである。
戦前までは昔ながらの花柳界が存続し、江戸趣味の永井荷風などが入り浸っていた新橋、柳橋の世界はこれだ。
関東大震災で景色を一変した後の東京になると、昭和初期からは荷風の興味は花柳界からカフェの女給や私娼に移り、向島の玉之井時代が始まる。
私娼の源を辿ると、矢場女や飯盛女が江戸時代から存在している。
それが日清、日露の頃、浅草あたりで銘酒屋となったあと、
震災後の取り締まり強化を避けて東京市外の玉之井、亀戸、鳩の街といった「赤線」の前身地帯に避難する。
戦後になると、齢70近くにもなったことだし、荷風の足は浅草の歓楽街に向けられる。
戦後売春文化の構築に朝鮮人のみが活躍したわけではないだろう。だが、現在いたるもその妓生魂は健在である。
私娼系列の文化に、朝鮮半島から大量の慰安婦&キーセンが合流し、パンパン(洋パン)、立ちんぼなど、その多くが外人兵士をあてにした。
彼女らは赤線に吸収されつつ、赤線廃止後はちょんの間、ソープやデリバリーへと籍を移してゆくが、
本来は戦場や、さもなくば通貨価値の高い国で、自らの股で大金をせしめる貪欲さが売りである。
懐の寂しい貧乏人だらけのデフレ日本では、さぞかし無聊を託っているかも知れない。
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