中学の教科書に書いてあることですけど。
薩摩藩はイギリス艦隊、長州藩は4カ国連合艦隊との戦いで、攘夷の不可能なことを悟る。
以後、両藩ともにイギリスと接近して、武器購入の便を得るなどする一方、幕府に肩入れ
していたフランスを牽制する役割をイギリスに期待する。フランスに対抗心を持つイギリス
もまた、一定程度両藩の希望に答える。
教科書よりもう少し詳しい、普通の歴史の本に書いてあることを、少し付け足すと、
長州藩を代表する木戸は若い頃に江川太郎左衛門について洋楽を学んだくらいだから、
初めから、神がかり的な攘夷思想は無し。木戸よりも実年齢も精神年齢も低かった
高杉、伊藤、井上は実際に海外に行き、攘夷が無謀であることを実感する。
薩摩藩を代表する西郷、大久保は、開明的な名君といわれた島津斉彬の薫陶を最も
強く受けてたので、木戸と同様に、ナショナリズムはあっても宗教的な攘夷思想
の持ち主ではなかった。
幕末、大部分の武士は時代の風潮である攘夷気分を濃厚に持っていた。これは倒幕側も、
仕方なしに開国に踏み切った幕府側も同じ。その中にあっても、後に明治政府の重責を
担うことになる程の人物は、どこかの段階で、お祭り騒ぎの攘夷気分とは決別していた。
それから、いざ幕府を倒して、朝廷政府で、つまり自らの手で外交問題を処理する段に
なると、何人も—少なくとも責任ある立場のものは—攘夷を口にしなくなった。実際、
当事者になってみれば、攘夷の不可能なことは明々白々だから。
一個人の思想でも、壮年から晩年にいたるまで絶えず終始一貫しているとは限らないので、
ややこしい歴史の流れを正確を伝えようとすれば、もっと詳しい説明が必要でしょうが、
スレ主の基本的な疑問は、中学の教科書の説明でだいたい解決するのではないでしょうか。
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