>>9 確かにそうなる。話しを厩戸皇子が、聖徳太子に変身した頃に遡らなければいけませんね。
その聖徳太子伝説を、藤原不比等健在の時代の編者がなぜ受け入れたか?
①前の方が指摘した、偉大な太子を殺害した蘇我氏の悪玉振りを強調する。
イコール藤原氏の正統性の強調につながるという推測。
②他に可能性を考えれば、利害関係抜きで、伝説をそのまま受け入れた。
③或いは、怨霊一般を恐れた(別段身にやましい点が無くても)。
想像をたくましゅうすれば、実はやましいところが大いにあった可能性もある。
例えば山背大兄王暗殺のような“凶行”を、実は藤原氏が首謀また実行し、それを
蘇我氏の事跡にすりかえれば、記録としての歴史は変えることが出来るが、太子に
つながる怨霊を恐れる心の闇は残ることになる。
まあ、100%想像ですけど。しかし、先の大戦のことですら、一部の軍人の意図的な
発言によって、事実と違った事が事実としてまかり通っている例もありますから。
こんな昔の、チェック機関のない時代に政権側によって書かれた書物は、疑い始めれば
きりが無いですね。
ただ、すべてが藤原氏や天武天皇(舎人親王の父)の顕彰目的で首尾一貫していると
考えると不自然な点もあるし、さりとて伝えられたことを有りの儘に書いたとはとうてい
思えなし。それ以上のことは、素人の自分には分からない。
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