>>14 >壬申の乱の記述は天武天皇に都合の良いように改作?或いは捏造?されたという説
私はその説は誤りだと思ってます。
根拠は、天武天皇の即位前「大海人皇子」としての活躍が貧弱だからです。
天武天皇に都合よく捏造するつもりなら、若い頃の武勇伝をもっと追加しないわけがないからです。
まあ、大きな事件が無いなら捏造しようがないという言い訳もあるでしょうが、
大海人皇子が若い頃、乙巳の変や白村江の戦いなどの日本史に残る重要事件が相次ぎます。
その主役は大海人皇子の兄(一説には弟)の中大兄皇子(天智天皇)であり、
そこで活躍させないどころか名前も出てこないのは、記紀(編者)が「天武天皇を蔑ろにしている」からに他ならないと考えます。
記紀が「天武天皇に都合が良いように」捏造するのなら、たとえ事実がどうであっても
「天武天皇は乙巳の変や白村江の戦いで大活躍した」と書くはずです。
書かないはずがありません。
書いていないという事は、仮に参加し活躍していたとしてもそれを黙殺したという事。
活躍・参加していないならそのまま書いたという事であり、天武天皇の扱いがぞんざいであることには変わりありません。
さて、そのように記紀の記述において冷遇されている天武天皇ですが、
現(記紀編纂時)権力者である持統天皇との夫でもありますから、そう悪し様にも書けません。
武烈天皇のように書いてしまうと、現天皇の権威まで失墜してしまうのですから、
「腫れ物に触るように」書くしかなかったと思います。
だからこそ、伝わるような記述になったのだと考えています。
ところで、記紀編纂を発願したのは天武天皇とありますが、命は元明天皇。
天照大神に祈り戦勝したと言われる天武天皇ですが、伊勢神宮の遷宮も持統天皇の御代。
そんな風に、天武天皇「だけ」の実績というのは実はほとんどありません。
決定的な事に、天皇家の菩提寺である京都の泉涌寺には、天武系天皇の位牌が無いのです。
天武天皇は、歴代天皇にとって異質な存在だったのだと思います。
(存在を抹消する事は出来ないが、かと言って悪し様にするわけにもいかない存在)
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