>その考察を求む
写真も無い時代の事。
どんな有名な武将であろうと、髪や髭で見た目を変えればどこででも隠れて暮して行けただろう。
適度に人の入出が多い町で一人暮らしすれば、人生を全う出来たかもしれない。
日本人なら。
だが、事、弥助となれば話は別。
どう取り繕おうとその外見は奇異の目に晒されて何かしらの記録が残っているだろう。
(もちろん、奇異な目に晒されながらも文書に記されなかった・その文書が途絶えた可能性はあるが、それを言ったら可能性が広がりすぎる)
つまり、弥助のその後についての記録が「何も無い」と言う所を軸に推理するしかない。
1、独力で、外見を完全に隠す格好(虚無僧など?)で生を全うした。⇒論証不可能。
2、独力で、人目に触れない山中で生を全うした。⇒論証不可能。
3、協力者の下で、人目に触れないように生を全うした。⇒信長ゆかりの寺院などで匿われ、外出しない。⇒寺の記録などに残っている可能性が存在。
4、その他。
ということで、今後弥助の消息が知れるとしたら、織田信長ゆかりの寺の記録などから明かされる可能性が残る。
現時点ではそれ以上の論証は不可能だと考えられる。
>他地域の史料の中に黒人が登場するものがいくつかあり(フロイスの『日本史』の、沖田畷の戦いの記述の中で、
>大砲を使って活躍した有馬方の黒人が出て来る等)
これが弥助だとしたら、選択肢が少ないだけに同時代人がそれを結論付けに動かないのはどう考えてもおかしすぎる。
本人だとしたら歴史の大転換の生き証人と言う事になるし、その後の幕府も放置しておくはずがない。
逆に言えば、弥助だと結論づけられていない以上、別人だと考えるのが合理的。
(可能性がゼロだという事ではない)
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