西郷人気の理由は、色んなところで、散々、いやというほど、書き散らされているので、今更どうでもいいとして。
いくらこういう場所でも、万一こどもが見て、間違ったことを覚えてはイケナイので、あまりに出鱈目は、訂正
しといてあげましょう。
>>17 官軍に逆らったけど、売国奴ではない。
>>16 敗軍の将として死んだのが人気の理由のひとつだが、それだけではない。
飾らない人柄、清貧(少なくとも政府高官と比べて)に甘んじた暮らしぶり、
敵をも信服させる大度量(これには疑問符がつく場合もあるが)等々。
>>15 この人は、気の毒な部類に属するような人のような気がするので、そっとしといてあげよう。
>>14 「西郷さんも用済みの地方者とばかりにその中央新政府に冷たくあしらわれ」
この部分は事実にまったく反している。いわゆる征韓論の政変で、大久保ら欧米視察組が最も
排斥したかったのは江藤新平で。西郷までも巻き添えにしたのは、やむをえない苦渋の決断。
それに、そもそも西郷が政府を去ったのは、西郷の自由意志で(勝手に出奔した)、
大久保は、わざわざ鹿児島まで慰留に出かけようとまでしている。
さすがに余りに危険すぎるというので、岩倉らに止められるが。
その後の政府は、西郷の盤踞する鹿児島には只管低姿勢。政府高官で、厳しいことを言ったのは木戸くらい。
「日露戦争並み」
どこに焦点を当てても、日露戦争とは桁が違うと思う。
返信する